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アリーナ・イブラギモヴァ & セドリック・ティベルギアン|谷口昭弘

アリーナ・イブラギモヴァ & セドリック・ティベルギアン
ブラームス ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会

2019年2月19日 横浜みなとみらい 小ホール
Reviewed by 谷口昭弘 (Akihiro Taniguchi)
Photos by 藤本史昭/写真提供:横浜みなとみらいホール

<演奏>
アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
セドリック・ティベルギアン(ピアノ)

<曲目>
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 《雨の歌》Op. 78
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 Op. 100
(休憩)
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op. 108
(アンコール)
クララ・シューマン:3つのロマンス Op. 22-1

 

ほどよい呼吸から紡ぎだされる、やさしく、やわらかなイブラギモヴァのヴァイオリン。ブラームスの現存する最初のソナタは決して「若書き」ではなかったことを最初の一音から改めて思い知らされた。そこには枯れた境地さえ感じられる。ティベルギアンは推移部からアンサンブルに光を添え、第2主題部で音域が上がるのを見越して2人の音楽は輝いていく。展開部における感情の起伏は大きく、感情を盛る器となったロマン派のソナタをまざまざと体感させられた。またフレーズの終わりでビブラートを抑えるところが、独特の表現になっていて興味深かった。第2楽章は、翻ったように、満たされた音で滔々と流していく。堰を切ったように盛り上がる中間部と合わせ、深さと明るさが共存していた。
自作の歌曲から楽想を取った第3楽章は、秘めやかな旋律が滑らかに歌い綴られる。内面から沸々とするものを常に表出し、コンスタントにうごめくブラームスを訴える。ピアノとのやり取りも自然にあふれるがままのようでいて、節度を保っている。やさしく豊かに、大切に語りかけるコーダだった。これ見よがしなところはないはずなのに、聴き手が自然と2人の音楽に集中してしまうのはなぜだろう。

第2番では最初からブラームスの森に切り込んでいく。スケールの大きいティベルギアンの第2主題から、やはり音域を広げつつ、濃厚なアンサンブルで、みずみずしく自在な展開となる。緩徐楽章はスケルツォの性格も抱き込んだような構成の面白さを存分に伝えてくる。テンポをくどくどとしたものにせず、ラプソディックな部分とうまくバランスを取っていた。不穏な和音が印象的な第3楽章は、ブラームス作品の中でも揺れ動く度合いが強いものなのかもしれないが、しっかりと根をおろした実直で嘘のない運び方が印象に残った。

第3番のソナタは、胸迫るすすり泣きから始まり、決然とした不安定さが緊張感を保つ。波打つ愁いの展開部も2人の共同作業で通りぬけ、迷いのまま突っ切る第1楽章となった。対照的に、誰にも邪魔されないヴァイオリンの歌世界が広がる第2楽章、ピアノのリズムに乗せて戯れる第3楽章を経て、最後はエネルギーを発散させ、有無をいわさぬフィナーレを繰り広げた。イブラギモヴァの力強い旋律線、迫り来るシンフォニックなティベルギアンの和音の塊。アンサンブルに技術的な問題がなかったとは言わないが、ブラームスがこれを晩年に書いたことに驚かされる「若さ」は十二分に堪能できた。
2人のコンサートは、常々一人の作曲家に焦点を当てて行われていると聞く。どの楽曲の演奏にも並々ならぬ意欲を感ずるのは、もちろん第一義的には彼らの音楽作りによるものだろう。しかし、作曲者選びとプログラミングが真剣な聴取を聴き手に促している側面もあるのではないだろうか。今後も彼らの演奏活動に注目していきたいと感じた公演だった。

関連評:イブラギモヴァ&ティベルギアン ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会|藤原聡

(2019/3/15)