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札幌交響楽団 東京公演 2019|藤原聡

札幌交響楽団 東京公演 2019

2019年1月30日 サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
ピアノ:岡田奏
指揮:マティアス・バーメルト

<曲目>
モーツァルト:セレナード第6番 ニ長調 K.239『セレナータ・ノットゥルナ』
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 op.58
(ソリストのアンコール)
ラヴェル『クープランの墓』~メヌエット
ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 op.73
(オーケストラのアンコール)
モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K.136~第3楽章

 

毎年この時期に行なわれている札幌交響楽団の東京公演。昨年は当時の首席指揮者であったマックス・ポンマーが登壇したが、今年はポンマーを引き継いで札響の同ポストに就任したマティアス・バーメルトが指揮した。

ところで、筆者にとってまずバーメルトとは「CHANDOSレーベルにおいてマニアックなレパートリーを沢山録音している知る人ぞ知る通好みの指揮者」という認識であった。同レーベルでのパリーやドホナーニの交響曲などはしばしば聴いていたものだが、そのバーメルトが札響の首席指揮者に就いたと聞いた時には意外、というか英断だなと感じたものだ。N響にも客演したことがあるとは言え、先にも書いたように就任前の段階でバーメルトの名前を知っているファンはある種の通に限定されるだろうし、ということは何度かの共演を経てオケが心底この指揮者の力量に惚れ込んでのオファーだったのだろうと想像される。実演初体験となるバーメルトがこの日の有名名曲でどのような演奏を聴かせてくれるか実に興味深い。

最初のモーツァルトでは極めてオーソドックスな演奏が展開された。こんにちモーツァルトのセレナードを指揮者付の小編成によるモダン楽器で、かつサントリーホールのような大ホールで演奏するとどうしてもインパクトの弱く新鮮さの感じられない演奏になる危険性があるように思うが、この日の演奏はそうではない。札響自慢の透明な弦楽器群の響きが何より美しく、バーメルトはそこに細やかなうねりと合奏における立体感を付与していた。ソロも活き活きと表情豊かな演奏を披露していたが、第3楽章ではロンドが回帰する前に第1ヴァイオリン→第2ヴァイオリン→ヴィオラ→コントラバス→ティンパニ(バロック楽器に木製のバチ)という順番でカデンツァを披露。これらが一巡した後のロンド回帰前にはバーメルトがそれぞれに向かって「どうぞ」という身振りをするが、それぞれもう出番は終わっているので「いやいや」という感じで弾かない。この小芝居にはホールから軽い笑いが漏れる(こういう事をする指揮者だとは思わなかったのだが、この辺りは助手を務めたストコフスキー的ショウマンシップ?)。ルフトパウゼの後、では…という趣でロンドが戻って来る演出は楽しい。

次のベートーヴェンの協奏曲では、バーメルトの作り出す弾力性と緻密さに富んだ響きと明確な造形を伴うサポートの元で岡田奏が非常にユニークな名演奏を聴かせた。冒頭からこの曲の抒情的な側面に没入したかのような弱音とまるでショパンのような沈滞を聴かせて異色。この独特の静謐さと気高さはどうだろう。しかしそのタッチは鍵盤の奥まで届くようなくっきりとした明快なもので力強くもあり、ただ弱々しい抒情一辺倒ではない。第2楽章での弦楽器との掛け合いはテンポこそ標準的なものながら、決然としたオケ部と流れる時間が急転するソロ部の対比効果が目覚しく、元々異色の音楽ながらその特異性がより際立って聴こえて来る。終楽章では一転して天衣無縫に泳ぎ回り、この協奏曲に内在する多様な感情的世界に目が眩むような感覚を味わう。ソロはベートーヴェン的ではない、あるいはソロとオケの表現の方向性が一致していないと言えば言えようが、だからこその目覚しい演奏とも言える。少なくとも、筆者が実演で接したベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第4番』では最も強い印象を与えられた演奏の1つと断言してよい。

岡田はアンコールでラヴェルの『クープランの墓』からメヌエットを弾いたが、これもまた絶品である。ラヴェルの音楽の持つ「仮面に隠された哀しみ」が匂い立つ。今後岡田の実演には可能な限り接した方が良さそうだ。

休憩後はブラームスの『交響曲第2番』。誤解を恐れずに言えばベームやヴァントの演奏を想起させる辛口の秀演。この辺りは作曲を学んだブーレーズやシュトックハウゼン、もしくは指揮を師事したジョージ・セルの影響はあるだろう。音響構築はチェロとバスを強めに響かせてその上に札響の透明な高弦が乗るという昔ながらのピラミッドバランス、旋律の歌わせ方は禁欲的だがテンポを細やかに変動させてその躍動をあやまたず表現する。それが極めて奥床しくさりげなく行なわれるが故に、あからさまなドラマ性が欲しい方からすれば地味と聴こえるかも知れない。しかし最終楽章ではそれに相応しい高揚を見事に演出し、全体の演奏設計も巧みなものだ。ここで札響が聴かせる立体感に富んだ合奏とパート毎の音楽的な呼吸/受け渡しの見事さは素晴らしく、バーメルトはこのオケのグレードをさらに引き上げた印象すらある。派手さはないがとにかく考え抜かれた緻密な音楽を聴かせるバーメルト、近現代作品にその特質がより明快に発揮される気がする。プロコフィエフなどどうであろうか。

躍動感と繊細なデュナーミクの変化が聴き物であったアンコールはモーツァルトのディヴェルティメント K136から終楽章。

(2019/2/15)