特別寄稿|ベトナムの響きに魅せられて|加納遥香

ベトナムの響きに魅せられて

text & photos by 加納遥香(Haruka Kanoh)
写真提供:ベトナム国立交響楽団ほか

2018年5月、ベトナムの首都・ハノイ。コロニアル建築が残る地区の中心にそびえたつオペラハウス。今宵はベトナム国立交響楽団(Vietnam National Symphony Orchestra: VNSO)の第110回定期演奏会が開催される。日の暮れた19時30分頃、じめじめとまとわりつく蒸し暑さが残る中、ライトアップされたオペラハウスの前に、人々がバイクやタクシーに乗って次々とやってくる。建物の正面では、本番前のひと時を過ごす演奏者やチケットを片手にした聴衆らが立ち話をしている。開演時刻の20時が近づくにつれ、人々は灯りのともった建物の中に入っていく。
フランス植民地政権下で1911年に建設されたハノイのオペラハウスは、ベトナム語では「ハノイ大劇場」といい、街のシンボルの一つとなっている。馬蹄型の劇場の天井には淡い青空の絵がフレスコ画で描かれ、中央にシャンデリアがつるされている。これらの装飾のためか、またはえんじ色の客席や深みある黒褐色の舞台のためか、こぢんまりとしつつも重厚感が感じられる。
今宵のプログラムは、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とショスタコーヴィチの交響曲第10番。黒い正装に身を包んだ演奏家たちが舞台に現われ、チューニングを行い、指揮者を迎えて演奏が始まる。客席ではベトナム人やベトナム在住の外国人、また観光客らしい人々が作品を堪能したり、出演する友人を見守ったり、またVNSOの演奏はどんなものかと好奇心をもって聴いたりしている。一部の聴衆は身を乗り出して音楽に聴き入る。盛大な拍手とともに終演を迎え、拍手が鳴り止むと人々は退出していき、劇場はがらんとした静けさを取り戻す。そして、演奏者も観客もバイクやタクシーに乗り、ハノイの街に散り去っていく。

私がVNSOと初めて出会ったのは、2013年の日越外交関係樹立40周年記念の日本ツアーのときのことだ。全国7か所で開催された大規模なツアーの中で、私の所属する一橋大学の兼松講堂でも公演が行われ、当時修士課程の学生だった私は同公演の学生実行委員として企画運営に携わった。その時からVNSOの魅力に取り憑かれ、VNSOが活動拠点とするハノイに留学して研究に取り組んできた。
VNSOについては日本の新聞やネットなどでもしばしば紹介されているが、ベトナムにおけるいわゆる「西洋クラシック音楽」の歴史についてはあまり知られていないのではないかと思う。ここではハノイを中心に、その歴史を簡単に紹介したい。

その萌芽は、19世紀後半に始まるフランス植民地時代のことである。フランス植民地政権は、軍事的・政治的支配と並んで、遠く離れたアジアの一角に位置するベトナムの地に西洋文化を持ち込んだ。音楽については、教会や軍楽隊、ジャズ喫茶、オペラハウスなどを通して、また短期間ではあったが音楽院も開校され、こうした場を通してベトナムの人々は西洋音楽に触れていった。1945年にフランス、および第二次世界大戦期の日本の支配からの独立を宣言した後も、彼らは西洋音楽を取り入れた新しい音楽文化の構築に取り組んでいく。

指揮を振るホー・チ・ミン主席 
(c)Lam Hong Long

1954年にベトナムが南北に分断されると、社会主義体制を採用する北部ベトナムでは、ベトナム音楽学校(1956年)、ベトナム音楽家協会(1957年)、ベトナム国立交響楽団(1959年。1964年にベトナム交響楽・合唱・オペラバレエ劇場となる)などが設立された。作曲においては、社会主義リアリズムや民族性が重視され、革命歌曲や祖国を謳う作品などが数多く創作された。ジャンルについては、歌曲や小規模な器楽曲に加え、1950年代末以降、交響曲やオペラ、バレエ作品なども作曲されるようになる。これらはソ連や北朝鮮などの社会主義諸国の支援を受けながら、ベトナムの音楽家らと共産主義政権の協力関係の下で進められていった。
ベトナム音楽史に関する先行研究によれば、1975年にベトナム戦争が終結し、南北が統一されたベトナム社会主義共和国においてこれらの音楽活動は停滞し、1986年に経済自由化政策であるドイモイ路線が採択された後、再び活発化していったとされている。ドイモイ以降、ベトナムは社会主義体制を維持しながらも、あの残虐で悲惨なベトナム戦争の傷跡を覆い隠していくかのように急激な経済発展を遂げてきた。社会主義諸国に限定されていた外交関係は幅を広げ、音楽分野においても、日本を含めた西側諸国との関係が深まっていった。

(c)Hiroomi Takemori

私が滞在するハノイの街には、現在、次々に高層マンションやショッピングモールが建設され、都市開発が進んでいる。それに伴い、人々の生活スタイルも大きく変化している。例えば、伝統的な市場は未だに姿を残しているものの、庶民の間でもスーパーマーケットでの買い物が一般的になってきた。また、道から溢れんばかりのバイクの波は東南アジア名物として日本でも知られているが、それに加え、現在では車を持つ人も増えている。音楽については、「西洋クラシック音楽」は広く受容されているとは言えないものの、個人・民間レベルでの活動も行われるようになってきた。室内楽オーケストラを結成してコンサートを開催したり、カフェでソロやアンサンブルの自主コンサートを開くなど、多様な演奏活動が繰り広げられている。その中心を担うのは若い世代の演奏家たちで、ハノイにあるベトナム国立音楽学院で教育を受け、一部はアメリカやドイツ、ロシアなどへの留学経験を持つ。また、2017年末にはベトナム史上初の企業オーケストラも設立され、ハノイを拠点に、国内外の演奏家を集めたインターナショナル・オーケストラとして活動している。
同時に、政府直属の楽団の活動も盛んである。ハノイにはVNSO、ベトナム国立オペラバレエ劇場、ハノイ・フィルハーモニー(国立音楽学院のオーケストラ)があり、100年以上の歴史を持つオペラハウスや、2015年に音楽学院内に新設されたコンサートホールで公演が開かれている。

これらの楽団の中で、日本と深いつながりを持ち、また海外公演を積み重ねてきたのがVNSOである。VNSOは1984年に結成され、90年代以降、徐々に活動を活発化させてきた。2000年代より日本人指揮者本名徹次氏の音楽指導の下で多種多様な作品に挑戦してきた。ヨーロッパやロシアのレパートリーに加え、日本やベトナムの作品を含む現代作品の演奏も行う。

音楽学院内ホールでのリハーサル風景 
(c)VNSO

現在、20代から50代を中心とした演奏家たちが楽団を支えている。オーケストラの楽器を学ぶ人が決して多いとは言えないベトナムにおいて、彼らは国内外で音楽の専門教育を受け、上の世代たちが築き上げてきた歴史を継承しながらVNSOの現在、そして未来を創っている。彼らはとても愉快で気さくな人たちで、常に冗談と笑いが絶えない。彼らの自由気ままな性格は時に練習の妨げとなることもあるが、日本とは異なる、不思議で魅力的な集団性をもっている。それは緩く、柔軟で、しかし強い結びつきであるように思う。
彼らが生み出す響きとはどのようなものだろうか。リハーサルやコンサートに立ち会い音に耳を傾けていると、一人一人の演奏家がその身体から、楽器から生み出す音には、彼らの生が凝縮されているかのようである。それらがハーモニーとなって鳴り響くとき、彼らの音楽は格別な深みを持ち、VNSO独自の響きが生まれる。本名氏は、一橋大学公演の際のインタビューにおいて、「攻撃的な曲でさえ『僕らは攻撃しない』と語っているかのよう」と語る。私はその言葉に同感する。彼らの音楽には、流れる川のような旋律はもちろん、力強い音もまた、何か柔らかな情に満ちている。
生み出される一粒一粒の音が非常に貴く感じられる。流れる時間の中に置かれ、そして消えていく音には、まるで、VNSOの過去と、現在と、そして未来が映し出されているようである。しかしながら、貴く、愛おしいこれらの音は立ち止まってはくれない。だからこそ、音が聴こえてくるその瞬間が常に待ち遠しい。

来る7月には、VNSOが5年ぶりの日本公演を実施する。VNSOの響きが日本の人々に再び届くことを非常に嬉しく思う。公演曲目の一つに、ベトナムの音楽家チョン・バン(1931-)による交響詩≪幸せを私たちに運んでくれた人≫(1990)がある。この作品は、ベトナム建国の父ホー・チ・ミンについて謳ったもので、音楽家ヴァン・カオ(1923-95)の歌曲≪ホー主席を讃える≫を主題として取り入れている。ベトナムの革命音楽と交響曲が融合した作品とも言えよう。是非とも多くの方に、ベトナムの音楽を、VNSOの音楽を、耳で、肌で、全身で堪能していただけたら幸いである。

 (2018/6/15)

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加納遥香(Haruka Kanoh)
一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻博士課程在籍。専攻は文化人類学、社会学。社会主義ベトナムにおける交響楽やオペラなどの音楽文化構築について研究を行う。2014年よりベトナム・ハノイ国家大学に留学、2015年秋〜2016年秋に同大学ベトナム学・発展科学研究院に所属。2017年3月、修士論文「ベトナム・オペラという文化表象:社会主義ベトナムにおける芸術と権力」をもって同専攻修士号(社会学)取得。