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東京都交響楽団 第825回 定期演奏会Cシリーズ|藤原聡

東京都交響楽団 第825回 定期演奏会Cシリーズ

2017年2月26日 東京芸術劇場
Reviewed by 藤原聡( Satoshi Fujiwara)
Photos by堀田力丸/写真提供:東京都交響楽団

<演奏>
指揮:ダニエーレ・ルスティオーニ
コンサートマスター:矢部達哉

<曲目>
デュカス:交響詩『魔法使いの弟子』
レスピーギ:交響詩『ローマの噴水』
ベルリオーズ:幻想交響曲

2014年4月に東京二期会の『蝶々夫人』で都響と初共演、2016年6月には東響客演のために2度目の来日を果たしたルスティオーニだが、今回は都響との待望の再共演である。やはり二期会で『トスカ』を振り、その後の本公演が都響の定期演奏会デビューとなる。バッティストーニ、マリオッティと並んで「イタリアの若手指揮者三羽烏」とも称されるルスティオーニ自らがチョイスした今回のプログラム、大いに楽しみである。

1曲目のデュカスからして実に精密。何よりも音色の作り方が非常に上手く、表情の付け方も細やかであり、そのために聴き手のイメージを実に豊かに喚起する。この特徴は主部に入ってからさらに際立ち、クライマックスへのダイナミックな構築がまた巧みである。リズムや音程が極めて正確でありながら、即興的な感興の変化もある。正確かつ柔軟なのだ。これはこの指揮者がオペラを得意とすることと無関係ではあるまい。この短い1曲だけでもルスティオーニの才能が理解できるというもの。

レスピーギでは正確さ・緻密さ・透明な音響が特徴の――逆に言えばワイルドさや野太さにいささか欠ける――都響から恐るべき図太い音響を炸裂させている。オルガンも加わった<昼のトレヴィの噴水>での開放され切った音響は都響からはなかなか聴けない類のものだろう。それでいて混濁もしない。対して終曲の<黄昏のメディチ荘の噴水>での音の綾の美しさ。色彩感も豊かであり(楽器ごとの遠近感が明確なのだ)、こういう音を引き出したのは指揮者の手腕以外の何者でもない。乱暴な言い方かも知れないが、バッティストーニよりも表現の幅が広いのがルスティオーニなのではないか、という気がするのだ。

休憩を挟んでの『幻想交響曲』。ここで指揮者は、休符やテヌートなどのいわば「間合い」や「溜め」を生かす、という方向を取らずに一気呵成に演奏を進めて行く。しかし、そこにはある種の品格も備わっており、敢えて名前を出すならばミュンシュのような「爆演」にはならない。こういう「表現性と抑制」のバランスの取れ方が全く素晴らしい。まさにベルリオーズ的ではないか。第4楽章になると実に明確にその音響に「重さ」が付加されるが、ここまではっきりとその差異を体感できたことはほとんど記憶にない。それを表出できたのは当然具体的な技術の差異によるのだが、ではプレイヤーの技術力を「表現したい内容」に即していかに引き出すか・変化させるか。これは指揮者のイマジネーションとそれをプレイヤーたちに伝えうる卓越したコミュニケーション力の賜物である。 文字にすれば「それが指揮者の仕事でしょう」という話であろうが、それを聴衆の立場としてこれほどまでに鮮やかに印象付けらることもあまりない機会と思う。この第4・第5楽章の思い切った弾けぶりは近年の『幻想交響曲』演奏史でも特筆に価するものだと断言できよう。

ちなみにルスティオーニはステージマナーがまた良い。首席奏者と各パートを称えるその仕草、『ローマの噴水』でうっかりオルガン奏者を立たせるのを忘れて慌てて袖から戻って来た際の茶目っ気。幻想~終演後には楽員に起立を促すも座ったまま盛大な拍手で指揮者を称え、それを受けて燕尾服を脱ぐ仕草で矢部達哉コンマスを力ずくで立たせようとするジェスチャーもまた微笑ましい。都響としてはミンコンフスキやアラン・ギルバート初客演時並のルスティオーニ定期デビューの大成功ではないだろうか。次回客演を早くも期待せずにはいられぬ。

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