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ウィーン留学記|サウンド・オブ・ミュージック|蒲知代

サウンド・オブ・ミュージック
The Sound of Music

Text & Photos by 蒲知代(Tomoyo Kaba)

長く伸ばした三つ編みのもみあげに、黒のシルクハットを被った成人男性が、瓜二つの格好をした小さな息子たちを連れてウィーンの町を歩いている。普段ときどき遭遇する光景だが、初めて見た時は独特すぎるファッションに衝撃を受けた。ユダヤ教の超正統派と呼ばれる人たちの服装らしいが、そもそも日本でユダヤ人に出会ったことがなかったので、失礼だが物珍しい目で見てしまった記憶がある。これまで本を通してユダヤ人に対するイメージはある程度持っていたが、ぼんやりしていたものが突如はっきりとした瞬間でもあった。

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随分前の話だが、ウィーン・ユダヤ合唱団のコンサートに行ったことがある(2016年6月23日、ウィーン・メトロポール)。合唱団は黒い衣装を着て、女性は青いスカーフを身にまとい、一部の男性は頭に「キッパ」という小さな帽子を載せていた。賑やかに歌いながら舞台に登場し、イディッシュ民謡を中心としたフォークソングを披露。イディッシュ民謡といえば「ドナドナ」が思い出されるので、哀愁を帯びた暗い音楽ばかりが演奏されると思っていたが、乗りの良い明るい曲の方が多かった。会場はアットホームな雰囲気で、観客に手拍子をさせたり、一緒に歌わせたり。ユダヤ音楽に対して親しみを覚えた夜だった。

その一年後。2017年5月13日にはフォルクスオーパーでミュージカル『アナテフカ(屋根の上のバイオリン弾き)』(1964年)を観た。1905年の帝政ロシア領ウクライナの小さな村アナテフカに住むユダヤ人一家が、「ポグロム(ユダヤ人迫害)」によって村から強制退去させられる話であり、結婚式など楽しいシーンもどこか寂し気。この作品では厳しい戒律を守るユダヤ人の生活が描かれていて、特に安息日の食事の場面が印象に残った。家族で小さなテーブルを囲み、一杯のワインを家長から順番に回し飲みしたあと、父親が一塊のパンを小さくちぎって全員に配る。なんとも厳し過ぎるが、そういう生活をしている人たちもいることを知ることができたのはよかったと思う。

ブルク劇場(白い建物)

そして、同じ時代の「シュテットル(東欧のユダヤ人が住んだ小さなコミュニティー)」を舞台にした作品がブルク劇場でも上演されていた(2019年5月17日)。オーストリアの作家ヨーゼフ・ロート(1894-1939)の長編小説『ヨブ』(1930年)である。『アナテフカ』の家族も最後はニューヨークに旅立つが、『ヨブ』の家族もアメリカに移住する。『ヨブ』では家長のメンデル・ジンガーが厳格なユダヤ教徒で、祈りの場面が繰り返し描かれるが、他方、娘と息子たちはニューヨークの生活に同化。物語前半の貧しくて暗い雰囲気とは打って変わって、舞台がアメリカに転換したあとは、明るいジャズの音色と共に、新しい希望に満ちた生活が幕を開ける。しかし、第一次世界大戦の勃発で家族に次々と災難が襲い掛かり、メンデルは神を呪うが、有名な指揮者になった息子と感動の再会を果たして、信仰を取り戻す。

鑑賞前に原作を読んだ段階で鳥肌が立った作品だが、ブルク劇場の俳優たちの演技でなお一層作品の世界に惹き込まれた(ラビ役を演じた宮廷俳優ペーター・マティッチは、公演の1ヶ月後に82歳で突然亡くなった)。私は思い立てばいつでもオーストリアから日本に帰ることができるが、メンデルたちは祖国に帰りたくても帰ることができない。もし帰ることができても、大金をはたいて何日も命がけで船旅をしなければならなかった時代。想像しただけで辛かった。

さらに時は進んで1930年前後のドイツ・オーストリアが舞台となったブロードウェイ・ミュージカルを、今シーズンのフォルクスオーパーで観る機会があった。『キャバレー』と『サウンド・オブ・ミュージック』である。

9月14日にプルミエを迎えた『キャバレー』(1966年)は非常に力の入った公演で、他の公演が『キャバレー』に差し替えられるなど、大成功を収めた。ベルリンのキャバレー「キットカットクラブ」のイギリス人スター歌手サリーとアメリカ人作家クリフォードの甘く切ない恋物語で、キャバレーのステージパフォーマンスのシーンが豪華で見応え抜群。相当盛り上がったところで、ナチスの影がちらつき始める。本作ではクリフォードが住む下宿の大家である未亡人フロイライン・シュナイダーの婚約相手で果物商のヘア・シュルツがユダヤ人。舞台がどんどんナチス色に染まると同時に、二人は周りから追い詰められていき、やがて別れを選択する。

「アンシュルス」に唯一抗議した
メキシコを顕彰する記念碑

次に、『サウンド・オブ・ミュージック』(1959年)は2005年の初演以来、10月19日までに128回の公演を重ね、今なお人気を博している。日本ではジュリー・アンドリュース主演の映画が長く愛されているが、オーストリアでは知名度が低い(実際、ウィーン大学の友人に「何それ?」と言われて、ひっくり返りそうになったことがある)。その理由は、そもそもこの映画がアメリカ製作であり、オーストリアの暗い歴史を暗に非難してしまっていることが挙げられる。

1938年にオーストリアはナチス・ドイツに併合(ドイツ語で「アンシュルス」)されたが、ヒトラーはもともとオーストリア人。また、『サウンド・オブ・ミュージック』でもトラップ一家の長女の恋人はナチスの腕章を付けて登場するが、「アンシュルス」に賛成するオーストリア人がいたのも事実だ。オーストリア人にとっては見たくない過去なのかもしれない。

しかしながら、フォルクスオーパーでは予想外の体験が待ち受けていた。物語終盤のコンクールのシーン。大きな鉤⼗字が立てられたステージ上で、トラップ一家は「エーデルワイス」と「さようなら、ごきげんよう」を歌い、退場する。結果発表に⼀家が現れないので、観客席の通路に⽴っていた軍⼈が、私たちに懐中電灯を向けながら捜索開始。サイレンも鳴るし、スポットライトがときどき顔に当たって騒々しい。演出とは分かっているが、見つかりそうでドキドキさせられる。それに続く修道院での逃走シーンはあっさり済み、舞台背景に描かれたスイスの山に向かって、トラップ一家が手を繋いで歩いて行くところで幕が閉じた。そこまでは筋書き通りだが、カーテンコールの最後の方で「エーデルワイス」が流れると、スタンディングオベーションになり、舞台上のキャストも観客も「エーデルワイス」を⻫唱。「エーデルワイス」は国歌ではないが、まるで国歌のよう。今まで劇場通いをしていてこんな経験はしたことがなかったので、感動して涙が出た。

ユーデンプラッツのホロコースト記念碑

「アンシュルス」以降、オーストリアではシナゴーグが破壊されたり、ユダヤ人が逮捕されたりした。多くのユダヤ人は亡命したが、ホロコーストにより強制収容所などで大量虐殺されている。どうしてこのようなことが起こったのか。私なりに考えてみると、それは大規模な虐めなのだと思った。人間はどこかに敵を作って、蔑み、優位に立ちたい生き物なのかもしれない。学校で起こる虐めも、隣国の人間を罵ることも、結局は同じ性質から始まっている。そう考えると、子供のうちから歴史を学び、虐めはいけないと教えられることは、世界が間違った方向に進まないために必要なことだと感じた。

 

(2019/12/15)

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蒲 知代(Tomoyo Kaba)
兵庫県神戸市出身。京都大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科修士課程を経て、現在は京都大学及びウィーン大学の博士後期課程に在籍中。専攻はドイツ語学ドイツ文学。主に、世紀末ウィーンの作家アルトゥル・シュニッツラーを研究している。