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プロムナード|過ぎ行くもの|藤堂清 

五線紙のパンセ|音の声、声の音――生の死、死の生|桑原 ゆう

ベトナム便り|~ハノイの秋、から一歩飛びだして|加納遥香

パリ東京雑感|宗教戦争を生きのびるには ロシアが待ち望むアメリカの内戦|松浦茂長

小人閑居為不善日記|楳図かずお、奇跡の条件――《わたしは真悟》と《呪術廻戦》|noirse

特別寄稿|ウィーン感傷記(2)シュテファン大聖堂|丘山万里子 

特別寄稿|追悼文 安倍オーペル節子(1933-2021) ― 熊本からドイツ・バート・ゾーデンへ 演奏、通訳、文化仲介者としての生涯(1)|デトレフ・シャウヴェッカー

特別寄稿|プロムナード『なぜピアノなのか?という問いに』から考えたこと [その3]|丘山万里子

プロムナード ― 対話を育む歴史研究|大田美佐子

特別寄稿|プロムナード『なぜピアノなのか?という問いに』から考えたこと [その2]|丘山万里子

五線紙のパンセ|道、海、過程、変化|黒田 崇宏

小人閑居為不善日記|気分はもう内戦――《ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ》と《シビル・ウォー アメリカ最後の日》|noirse

パリ・東京雑感|犠牲者に<後光>? ノーベル平和賞と水俣に思う|松浦茂長

特別寄稿|ウィーン感傷記(1)|丘山万里子

プロムナード|幻の光の先へ |チコーニャ・クリスチアン

特別寄稿|プロムナード『なぜピアノなのか?という問いに』から考えたこと [その1]|丘山万里子

五線紙のパンセ|定まらないように|黒田崇宏

ドイツ便り|①13年ぶりのドイツ生活がスタート|藤井稲

パリ・東京雑感|祈りより小説を!哲学より文学を!驚きのローマ教皇書簡|松浦茂長

小人閑居為不善日記|不条理な疑いの彼方に——《憐れみの3章》と《きみの色》|noirse

プロムナード|何故ピアノなのか?という問いに|能登原由美

五線紙のパンセ|小さい音や微かな音——私の作品におけるそれらを聴く行為と社会的行為に関する随想——|黒田崇宏

パリ・東京雑感|孤独と独裁の親密な関係|松浦茂長

小人閑居為不善日記 |「物語」から降りるということ——《デッドプール&ウルヴァリン》から《ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ》まで |noirse