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東混・八月のまつり 38 林光メモリアル|藤堂 清

東混・八月のまつり 38
東京混声合唱団 特別定期演奏会
林光メモリアル

2017年8月9日 第一生命ホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 鬮目幸司/写真提供: 合唱音楽振興会

<演奏>
指揮、ピアノ:寺嶋陸也
合唱:東京混声合唱団
照明:立川直也(満平舎)

<曲目>
林光:原爆小景(詩:原民喜)
     水ヲ下サイ/日ノ暮レチカク/夜/永遠(とわ)のみどり
—————-(休憩)——————-
萩京子:みるく世がやゆら(詩:知念捷)
寺嶋陸也:ざんざんと降りしきる雨の空に(詩:須藤洋平)
ハレルヤ/走る/合掌/ざんざんと降りしきる雨の空に
日本抒情歌曲集より(林光:編曲)
     椰子の実(大中寅二)
     浜辺の歌(成田為三)
     叱られて(弘田龍太郎)
     ゴンドラの唄(中山晋平)
—————-(アンコール)——————-
林光:明日ともなれば
宮沢賢治:星めぐりの歌(林光編曲)

 

東京混声合唱団が毎年8月に行ってきた「八月のまつり」、林光の《原爆小景》を中心としたプログラム、今年で38回となる。今回は、1945年8月6日広島への原爆投下、1945年6月23日沖縄戦が終わったとされる日、そして2011年3月11日東日本大震災、これらの日にちなむ作品が歌われた。

《原爆小景》は作曲年代が異なる4つの部分からなる。第1部〈水ヲ下サイ〉は1958年、第2部〈日ノ暮レチカク〉、第3部〈夜〉は1971年、そして第4部〈永遠(とわ)のみどり〉は2001年に作られた。詩の違いもあるだろうが、13年、30年という間隔は曲の作りに少なからず影響している。
第1部<水ヲ下サイ>、冒頭、「水ヲ下サイ アア 水ヲ下サイ」と女声が静かに歌いだし、他の声部が同じ言葉を繰り返しながら加わって不協和な響きを作り、「死ンダハウガマシデ」でピークをむかえる。その後再び抑えた声で「水ヲ、水ヲ」と繰り返し、「天ガ裂ケ 街ガ無クナリ」でふたたび大きく盛り上がる。この曲の緊迫感はまだ記憶も新たな時期に作られたということによるのだろう。
第2部〈日ノ暮レチカク〉はトーン・クラスター的な技法を用い、複雑な和声を作り出す。
第3部〈夜〉では3名のナレーターが先導しつつ歌声が響いていく。ナレーションが終わると複雑な和声が重なり、大きく盛り上がる。第2、3部はこの時代の先鋭音楽をとりこんだ作品といえ、林光の作曲技術の高さが感じられる。
第4部〈永遠(とわ)のみどり〉はおだやかな祈りの歌といえる。それまでの3曲とは異なり、ごく自然に歌いあげられた。
毎年この曲を歌い続けてきている東京混声合唱団、その精度の高いアンサンブルとともに、新たに生み出された作品に対するように取り組む姿には心を打たれた。

後半の1曲目《みるく世がやゆら》は、2015年の沖縄全戦没者追悼式で朗読された、当時高校生であった知念捷の詩に萩京子が作曲したもの。沖縄戦で亡くなった兵士の妻の戦後、今も沖縄を飛ぶ戦闘機、そういったことを受け、「今は平和でしょうか」と問う。
曲自体は、いろいろな合唱団が歌えるようにという配慮であろうか、複雑なハーモニーが用いられているわけではない。詩自体の訴えかける力で聴かせる。
ピアノは、指揮者寺嶋陸也が担当、音楽の流れを的確に伝えた。

《ざんざんと降りしきる雨の空に》は、トゥレット症候群による障害に苦しむ詩人が2011年3月11日の東日本大震災で被災した体験を綴った詩に、寺嶋が作曲した曲。「生きること」への決意が歌われる。
声域はそれほど広くなく、目新しい形式で作られているわけではないが、声部ごとの和声の重なりで音が取りにくそうなところもあった。まったく不安なく聴かせるこの合唱団の力量をあらためて感じた。

重い曲が続いたこの日のコンサート、最後は林光の編曲による日本抒情歌曲集からおなじみの4曲で終わる。

戦後72年目の「八月のまつり」、忘れてはいけないことを伝える努力、いろいろきな臭いことが続く今だから必要だと訴えているように感じた。

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