すみだサマーコンサート2017 わが街のオーケストラ|藤原聡
2017年7月29日 すみだトリフォニーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<曲目・演奏>
ペルト:『子どもの頃からの歌―少年少女合唱とピアノのための』
指揮:甲田潤
ピアノ:上岡敏之
合唱;すみだ少年少女合唱団
オルフ:『カルミナ・ブラーナ』
指揮:上岡敏之
ソプラノ:安井陽子
テノール:絹川文仁
バリトン:青山貴
合唱:栗友会合唱団(合唱指揮:栗山文昭)
すみだ少年少女合唱団(合唱指揮:甲田潤)
コンサートマスター:豊嶋泰嗣
新日本フィルハーモニー交響楽団
新日本フィルが毎年行なっているサマーコンサートの名称が今年は「すみだ」サマーコンサートとなった。今年2017年ですみだトリフォニーホールが開館20周年を迎えたこと、そして「街に密着したオーケストラ」として新日本フィルの存在をすみだの街の人々に誇りに思って頂き、一緒に文化をつくって行けるような豊かな活動を広げて行きたい、との上岡音楽監督の想いを反映させる場としてこの公演には「すみだ」を冠し、さらには「わが街のオーケストラ」と題することになった、という。そして、今回は墨田区在住・在学の小学校3年生~高校生で構成される「すみだ少年少女合唱団」が共演。より地元密着型の、そしてまずは地元に人々に愛されるオーケストラへと向かって行く第一歩がこのコンサート、と言えるかも知れない(余談めくが、かのジェイムズ・ゴールウェイがベルリン・フィル在籍時代のことを振り返ってこんなことを書いていた、「ロンドンのオーケストラに在籍していた際には、ロンドンっ子にオーケストラのメンバーだと言っても清掃夫と紹介するのと何ら代わりはなかったが、ベルリンではベルリン・フィルのメンバーです、と言うと尊敬の念を持たれるのだ」。印象的なエピソードである。新日本フィルもベルリン・フィルのようになれば良いと思う)。
その「すみだサマーコンサート」はペルトの『子どもの頃からの歌』で幕を開けた。全15曲で緩急交互の配列。すみだ少年少女合唱団を全面的にフィーチュアするにはうってつけの演目だが、彼ら彼女らの歌はかなりの高水準だ。発声は素直で伸びやか、音程やイントネーションもよくまとまっており素晴らしい。ドイツ語歌唱に際しての抑揚と子音の飛ばし方の弱さはあるにせよ見事な歌。曲はペルトが20~30代の頃、舞台やアニメーションの音楽などの仕事を通じて書いたもので、どれも素朴な美しさと素直な楽しさが横溢している。曲によっては合唱団のメンバーから数名が前に出て歌う(ソロを立てる曲もある)。失われた幼年時代への集合無意識的な追憶に満ち満ちたこの曲集は、美しいと同時にある種の胸の痛みをも呼び起こす。ノスタルジックな気分に浸るのもたまには悪くない。ピアノ伴奏は上岡が担当したが、これもまた巧みなものだ。指揮は甲田潤。
後半は大曲『カルミナ・ブラーナ』、これは名演。筆者が実演で接したこの曲では最高の演奏。こういう曲の指揮において上岡敏之は抜群の手腕を発揮するが、冒頭「おお、フォルトゥナよ」での強烈な音響の炸裂から「semper crescis」以降の非常に抑制された音響への移行。合唱を抑えてオケのオスティナート音型を浮き立たせることにより、人間の意志とは無関係かつ無慈悲に背後で確実に作動する「運命の女神」を聴き手の深層に降り立たせる。バリトンソロによる「太陽はすべてを穏やかにする」において、各節の第5行(第1節では「ad amorem properat」)でのvnの入りを強調することによる心理的効果の冴え。「心の中はメラメラと」での切迫したオケの煽り。「私はかつて湖に住んでいた」冒頭の突飛なファゴットの素晴らしい効果(奏者に大拍手!絹川文仁の身振り、歌ともに表情たっぷりのソロはけだし聴き物/見物)。最終曲で再度「おお、フォルトゥナよ」が回帰した際の明確な力感の変化…。オケパートにも細やかな神経が張り巡らされていたが、声楽(特に合唱)の表情付けもまた多彩で、この辺りはキールやヘッセンでのオペラハウスのキャリアが大いにモノを言っている感。テンポの急激な切り替えもぎこちなさもなくほぼ決まっており、『カルミナ・ブラーナ』という曲が特殊なのは百も承知ながら、上岡敏之はその手練手管が必ずしも上手く行っている気がしない交響曲よりもこういう大規模な声楽曲の方が違和感なくその手腕が全面的に生かされる気がしてならない。部分の効果と表現力が無理なく生かされるからだろう。安井陽子(S)と青山貴(Br)のソロも秀逸、栗友会はやや粗いが曲には合っているとも言える。また、出番は少ないながらすみだ少年少女合唱団がここでも良い歌を聴かせてくれたことを最後に記しておこう。