白熱の名演 ー 第173回 神戸市室内管弦楽団定期演奏会 「からみあう情熱」| 大田美佐子
白熱の名演 ― 第173回神戸市室内管弦楽団定期演奏会 「からみあう情熱」
2026/6/20 Kobe Bunka Hall
Reviewed by 大田美佐子 (Misako Ohta)
写真提供: (公財)神戸市民文化振興財団
<演奏者>
ロベルト・フォレス・べセス (指揮)
ホアキン・アチュカロ (ピアノ)
神戸市室内管弦楽団
神戸市混声合唱団
<曲目>
大澤壽人: 小ミサ曲 I.キリエ (日本初演) II.グローリア(世界初演)
ラヴェル: 混声合唱と管弦楽のための『道行く恋人たち』(日本初演)
ファリャ: スペインの庭の夜
I. ヘネラリーフェの庭園
II. 遠い踊り
III. ゴルドバ山地の庭園
― 休憩 ―
ビゼー/ シチェドリン: カルメン組曲
I.序奏 II.踊り III.第一間奏曲 IV.衛兵の交代 V.カルメンの登場とハバネラ
VI.情景 VII.第二間奏曲 VIII.ボレロ IX.闘牛士 X.闘牛士とカルメン
XI.アダージョ XII. 占い XIII.終曲
アンコール
ドビュッシー: ベルガマスク組曲より 第3曲「月の光」(アチュカロ)
スクリャービン: 二つの左手のための小品より「ノクターン」Op.9-2 (アチュカロ)
ビゼー: アルルの女 組曲 第一番より第3曲 「アダージェット」
その日、1974年に開館し50周年記念事業を終えた神戸文化ホールは、張り詰めた熱気に包まれていた。外は大雨。にもかかわらず、開場前のロビーは詰めかけた聴衆の期待感で満ちていた。コンサートマスターの高木和弘によるロビー・コンサートが、事前にアナウンスされていたためである。高木はイザイの超絶技巧の難曲を演奏し、ヴィルトゥオーゾとしての風格を存分に示した。まさにメインプログラムへと聴衆を誘う、極上のアペリティフ(食前酒)の役割を果たした。ロビーでの開演前の催しは「劇場へ来る」という行為を、単にコンサートを静かに聴くルーティンから、一気に非日常の出来事へと昇華させた。
この熱気の背景には、今春に明らかになった「神戸市室内管弦楽団問題」がある。来年度末で市の財政支援が打ち切られる方針が示された、と報じられたのだ。地元紙のみならず全国紙の地方版でもその背景を熱心に特集し、反響は今や一地域の問題を超えている。公的助成で支えるオーケストラに求められる役割とは何か。さらには芸術が社会に果たす役割そのものが、今あらためて問われている。まさにこのオーケストラが未来をどう切り開くか、その試金石と位置付けられたのが、5月と6月の定期公演なのである。
四半世紀を神戸で過ごしてきた筆者から見て、コロナ禍以降、ここ数年の鈴木秀美体制は目覚ましい成果を積み重ね、高く評価されてきた。ヘンデル『メサイア』やハイドン『天地創造』、ベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』と『第九』の二日連続公演など、よく知られた作品のまだ知られていない魅力を届ける新鮮なアプローチ。原田慶太楼や鈴木優人ら、国際的に活躍する中堅指揮者たちとの意欲的なプログラム。さらに50周年では山田和樹の指揮で、武満徹や大澤壽人、神本真理といった神戸ゆかりの作曲家たちの作品が上演されたのも記憶に新しい。
当楽団がその規模としても得意とする古典的な名曲から、20世紀の現代作品、そして委嘱作品まで、そのレパートリーは実に幅広い。昨年来日した世界的フルーティスト、エマニュエル・パユが共演者として全幅の信頼を寄せたのも、楽団全体の高い演奏能力と音楽性を物語っている。こうして、毎回の新たな発見をもたらすプログラムの妙味は、「神戸市室内だからこそ行きたい」と思わせる独自の世界を築き上げてきた。筆者もまたそう信じてきたからこそ、春からの騒動には驚きを覚えるとともに、やるせなさが募った。劇場文化を次世代へどう継承するかという課題もこの問題の背景にある。
ロビー・コンサートの後は、幕が開く前のプレトーク。音楽主幹の辻雅滋、大澤壽人研究家である生島美紀子が登壇して、大澤がいかに早熟な天才であり、そして46歳という早すぎる死を迎えたかを解説した。全体のプログラムも、音楽史の祝祭とともに世界初演・日本初演を含む斬新さと、神戸―パリ―アンダルシアの物語、細い糸と太い糸が幾重にもからみ合いながら紡がれるような絶妙な曲目構成である。
最初の二曲は、大澤の『小ミサ曲』と、ラヴェルの混声合唱と管弦楽のための『道行く恋人たち』。パリに留学した大澤が1935年に書いた『小ミサ曲』で、日本人の祈りとして響かせた五音音階の斬新さを、当時のパリの人々はどのように受け止めたのだろうか。「キリエ」と「グローリア」の二曲にもその先進性は滲み出ていたが、これが全曲完成していたらどれほどインパクトのある作品になっただろうと思いを馳せる。続くラヴェルでは、混声合唱団と管弦楽団が互いによく聴き合いながら奏でており、これまでともに歩んできた両者の響きの親和性を余すところなく伝えていた。舞台はフランスからピレネー山脈を越え、スペインへ。
一部の後半は、アンダルシア出身で今年生誕150周年を迎えるファリャの『スペインの庭の夜』。ピアノは93歳のレジェンド、ホアキン・アチュカロである。杖をつき、支えられながら腰を曲げて歩く姿からは想像もつかないほど、瑞々しく強靭なピアニズムであった。呼吸をするように絶妙な節回しで奏でられる、艶のある音の粒。それが、管弦楽団が繊細に描き出す異国情緒豊かな夜の庭に、軽やかな光を放っていく。言葉では尽くせない響きの風情に深く魅了された。アンコールに応えて演奏されたドビュッシー『月の光』の天にも昇るような抒情性、そしてスクリャービン『2つの左手のための小品』より「ノクターン」では、音を「鳴らす」のではなく「語る」アチュカロの、芳醇な音楽世界に酔いしれた。
二部は、ビゼーの『カルメン』を、ソ連の作曲家シチェドリンが大胆に翻案したバージョン。多彩な打楽器の圧倒的な存在感に目を奪われるが、味わい深い語り口を見せる弦の響きの中で、あまりにも有名なメロディやリズムが影となり光となって、マグマのように沈殿する人間の性を炙り出していく。カルメンの物語の普遍性を、冷戦下のソ連という別の感性で捉え直す文化的越境の妙味が前面に出た翻案の巧みさに心が躍った。
二部が終わり拍手喝采に包まれた会場で、情熱的な指揮を繰り広げたロベルト・フォレス・べセスは、「一人一人がダイアモンドのような、宝物のような奏者たち」が繊細な対話によって繰り広げる音の世界の素晴らしさを観客に向かって力説した。アンコールでは、室内管弦楽団の緊密なアンサンブルが際立つ、ビゼーの『アルルの女』組曲より「アダージェット」を演奏。本編ではコンサートマスターの弦が切れるハプニングを鮮やかにカバーする一幕もあったが、それもまた劇場の「生」の醍醐味だ。満席の会場を包む完全な静寂の中、最後に残された響きの重みは、忘れ難く心に刻まれた。
国境や時代を超えてこの日劇場に響いた緊密な対話こそ、公的助成によって育まれ、市民へ還元されるべき芸術の価値そのものではないだろうか。神戸市室内管弦楽団が未来へ存続すべき理由を、この日の演奏は何より雄弁に物語っていた。
(2026/7/15)







