Menu

新国立劇場オペラ『ウェルテル』(マスネ作曲)|秋元陽平

新国立劇場オペラ『ウェルテル』(マスネ作曲)|秋元陽平
Opera : Werther  by Jules Massenet

新国立劇場 オペラパレス
Opera Palace, New National Theatre
2026年5月28日
2026/5/28
Reviewed by 秋元陽平(Yohei Akimoto)
Photos by 堀田力丸 提供:新国立劇場

〈キャスト〉
【ウェルテル】チャールズ・カストロノーヴォ
【シャルロット】脇園 彩
【アルベール】須藤慎吾
【ソフィー】砂田愛梨
【大法官】伊藤貴之
【シュミット】村上公太
【ジョアン】駒田敏章
【ブリュールマン】水野 優
【ケッチェン】肥沼諒子

〈スタッフ〉
【演 出】ニコラ・ジョエル
【美 術】エマニュエル・ファーヴル
【衣 裳】カティア・デュフロ
【照 明】ヴィニチオ・ケリ

〈演奏〉
【指 揮】アンドリー・ユルケヴィチ
【合唱指揮】平野桂子
【合 唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】世田谷ジュニア合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

『ウェルテル』の原作を注意深く繙いてみれば、それが「当時としては」という枕詞が不要なほどに過激な小説であることがわかる。ウェルテルは真率であり、かつ度を越した情念に取り憑かれていて、そのうえそれを自覚している。刻一刻とボルテージが上下し、それに応じて見るもの全てに日々異なる意味を与える苦悩(=Leidenは情熱Leidenschaftとも結びついている)を、これほど克明に追いかける一人称の散文があるだろうか。さらに、原作のウェルテルはその詩的な散文で読者を共感に誘い込んで、あっという間に目を逸らしたくなるような思考の帰結まで連れ去ってしまう。彼がわざわざアルベルト(仏語ではアルベール)の拳銃を借りて自死するときには、シャルロッテ(仏語ではシャルロット)に危害を加えるくらいなら、とまで思い詰めていたのである。そののちに三人称の記述が、すぐに死にきらなかった彼の受傷の、そして死の痙攣についての医学的描写を淡々と記述する。物語は、聖職者は誰ひとり彼の葬儀につきあわなかったというそっけない記述で結ばれる。この内面への沈潜と、残酷な突き放し方に比肩する小説というのは、今日でもそれほどあるものではない。
したがってこれは、18世紀が成熟させた小説というメディアがかろうじて可能にした表現であって、常識的に考えてオペラ向けの台本にはなりそうにない。それを考えると、本公演はマスネの離れ業をじゅうぶん実感させるものであった。それは確かにオペラになったのだ。確かにウェルテルのアップダウンの激しい気性は角を丸められ、世紀末フランスふうのたおやかなメランコリーへと薄められて、作品全体に甘美に塗り広げられている。しかしそこにこそ、マスネの作曲の妙が光る。音楽による場面やムードの転換が精妙なのだ。出来事らしい出来事が起こらず、悲劇が感情だけに煮詰められたようなこの『ウェルテル』では、音楽は主役にならざるを得ない。第一幕、ジョアンとシュミットの楽しげな応酬のモチーフが次第に翳りを帯びてきてウェルテルが登場するところ。それから、エレガントで楽しげな祝祭の音楽のまま、ウェルテルの遁走に泣き崩れるソフィー。また、アルベルトがウェルテルの横恋慕を認める台詞「彼は妻を愛している」とともに鳴る力強い長調の和音。これらの場面では、マスネの技巧がオペラで伝統的に使いまわされてきたわかりやすい「ムード」の色調を高精度で分解し、精緻化し、ワーグナーの濃厚なそれとはまた違った半音階的展開でうつろわせてゆくさまが味わえる。子供達の合唱や教会のオルガンなど、フランス流の美しい数字付き和声と歌手が遠近法のなかで絡み合う展開も美しい。
演出の方向性はほとんどリアリズムといってよく、近年欧州の劇場で見られたような大胆な読み替えはないが、手前と奥という空間が巧みに活用されている。人がいなくなった机と椅子や、教会の外側の空間など、ウェルテルの「社交のうちなる孤独」が巧みに表現されている。それにしても、わたしは正直なところ、ウェルテルが自傷してから死に至るまでを引き伸ばしに引き伸ばした最終幕をはじめ、現代の観点からはマスネのオペラはメロドラマだ、という批判には首肯できるところもあるのだが、それだけに一層、ウェルテル役のチャールズ・カストロノーヴォが、歌唱だけで観客を情念の渦に巻き込む桁外れの説得力を持っていることが痛快だ。ウェルテルの歌は、深く内向する求心力と、同時に世界の果てまで届こうとする遠心力を持っているが、カストロノーヴォの歌唱は後者の方向性を壮絶なまでに押し出し、シャルロットでなくともこの求愛に抗うことは難しい。他方、ロッシーニやモーツァルトではコケットな生彩を見せる脇園彩は、今回は市民社会の規律のなかで懊悩する少女という、一味違った役柄で歌手としてのレパートリーの広がりを印象づけた。脇園のメゾソプラノの深みを伴う歌唱が、ソフィー役の砂田愛梨の天真爛漫なソプラノと好対照を成していたことも、舞台に一層の華やぎをもたらしていたことも強調しておきたい。

(2026/6/15)