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渋谷慶一郎 アンドロイド・オペラ「MIRROR」―Deconstruction and Rebirth―解体と再生|能登原由美

第64回大阪国際フェスティバル2026
64th Osaka International Festival 2026

渋谷慶一郎 アンドロイド・オペラ「MIRROR」―Deconstruction and Rebirth―解体と再生
Keiichiro Shibuya Android Opera “MIRROR―Deconstruction and Rebirth”
2026年5月16日 フェスティバルホール
May 16, 2026  Festival Hall, Osaka

Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
Photos by 竹久直樹(Naoki Takehisa)/吉野萌(Moe Yoshino)


〈出演者・アーティスト〉 →foreign language

作曲・ピアノ・エレクトロニクス|渋谷慶一郎
ヴォーカル|アンドロイド・マリア
高野山声明|藤原栄善、山本泰弘、柏原大弘、谷朋信、後藤慈延、美松寛大、片瀬雅大、
関義弘、秋山弘俊、葛城法侑、市川啓雅、島田大観、佐々木延弘、浦田俊弘、 浦田克弘、
西蔵全啓、松田全弘、高見昭寛、神保博舟、笹川勝永

大阪フィルハーモニー交響楽団(ゲストコンサートマスター|成田達輝)
アンドロイド・プログラミング|今井慎太郎
映像|ジュスティーヌ・エマール
音響|ZAK
照明|上田剛 


〈曲目〉

第1部
00. Overture
01. BORDERLINE
02. The Decay of the Angel
03. Recitativo 2
04. Voices
05. Rinkai Sekai

第2部
06. MIRROR
07. Scary Beauty
08. On Certainty
09. BLUE
10. Recitativo 3
11. I Come from the Moon (Android Opera ver.)
12. Midnight Swan
13. Lust

 

 音楽というものはさまざまな「関係」の上に成り立っている。社会システムや産業構造など、大きな体系もそうだがそれだけを言っているのではない。目の前の一つの演奏をとっても、だ。奏者と奏者の関係、または奏者と聴者の関係、というように。ここではむしろその小さなレベルのことを問題にしている。「関係」とはいわず、「コミュニケーション」、あるいはもっと簡単に、「やり取り」と言い換えてもいいかもしれない。「キャッチボール」でもいい。言葉や気持ちを音に託して受け渡しをする。だから同じ楽譜を奏したとしても、同じものは生まれない。いや、同じものかどうかなんて、本当はどうだっていいのだ重要なのはそのやり取り自体なのだから。

渋谷慶一郎が手がけた《アンドロイド・オペラ「MIRROR」―Deconstruction and Rebirth―解体と再生》の関西初演を観て、こんなことが頭に浮かんだ。

©︎Moe Yoshino

実は、筆者がこの公演を見るのは昨年11月の東京公演に続き2回目だリピートしたくなるほど感動したのか、と言われればそうではない。逆である。前回舞台を見たときは、AIロボットという最新の技術に触れた満足の一方で、既聴感のあるサウンドのオンパレードに落胆したというのが正直なところだった。ところが、その聴取の仕方、というか、自らの「音楽」の捉え方が根本から間違っていたのではないかと気づき始めた。何か特定のきっかけがあったわけではない。ただ、昨今の人工知能(Artificial Intelligenceの進化を前に音楽の未来像について考えたことが引き金にはなっただろう。音楽などの芸術分野は、AIに取って代わられる可能性が比較的低い領域とは言われるけれども本当にそうなのか。人とほぼ同じレベルの演奏や作曲まで出来てしまうロボットがいずれは現れるそう遠い未来にではないであれば、人間に残された価値はどこにあるのか。そもそも音楽とは何なのか…。

©︎Naoki Takehisa

タイトルからして「オペラ」をイメージしがちだが、西洋の伝統的なオペラをもとに云々するのは既成の概念に囚われ過ぎているというものだろう2部構成で、Overtureを含め)合計14の楽曲からなるが、特定の物語を表す台本があるわけではない。テクストは、Open AIによって作成されたもののほか、渋谷自身による作詞、また、ミシェル・ウェルベック、ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン、デレク・ジャーマンらの作品から抽出された言葉をもとにしている。音楽は渋谷。それらの曲が、AIロボットの「マリア」による歌唱とともに、生のオーケストラ(コンサートマスターは成田達輝、大阪フィルハーモニー交響楽団)、作曲者自らの弾くピアノによって奏される。さらに重要なのは、高野山の僧侶20名による声明だ。その役割については、のちに引用する作者の言葉に明らかだ。

©︎Moe Yoshino

ちなみに、東京公演では僧の数は4名で皆ステージ上にいたが、今回はその5倍の数が舞台と客席に分散したり、経を唱えながら移動したりするなど空間性が強く意識されたものとなった。同様に、金管楽器奏者など一部のプレーヤーはホール上部の各所に分かれて配置されていた。その結果、電子的に制御されて放出される音も含め文字通りホール全体が巨大な音響装置となったまた、場内を照らし駆け巡る色とりどりの照明にステージ背部に映し出される映像など、半年前に比べてスペクタル性が一層顕著なものになっていた。

こうした舞台の壮麗さ、あるいは異次元を思わせる「非日常性には圧倒されもしたが、それだけであれば何かを書こうという気にはならなかったであろう。実際前回は単なるテクノロジーの実験的試みにしか見えなかったために筆を取ることもなかった。だが、渋谷の狙いとするところはもっと別のところにあるのではないかふと思い直し、改めてその現場を見てみたいと思ったのが2回目の観覧の理由だ。それが、冒頭で触れた「関係性」である。

それは特に新しい視点というわけではない。むしろアンサンブルなどの場面では当たり前のように考えられてきたことだ。ただ、それが創作そのものにも影響を与えるというのであれば、既存の作品を再現する行為よりもむしろ、即興演奏においてその重要度を増すコール・アンド・レスポンスなどの奏者間のやり取りもそうだが、たとえソロであっても聴き手の反応や場の空気が新たなプレイを引き出していくのだから一方が他方を動かし、他方が一方を動かす。そのやり取りを味わうそれとともに集積されていく音の行方を愉しむ。そのことを強く実感したのが、本公演の中でも一つの山場であり白眉となった楽曲、《Recitativo 2》であった。

その楽曲の内容については、当日配布された公演パンフレットにも掲載されている。抜粋しよう。 

アンドロイド、声明、電子音による「Recitativo(レチタティーヴォ)」は、アンドロイドが声明の旋律をリアルタイムで解析し即興的にメロディを生成し歌う。声明の音楽とテクストは1200年前から一切変わらず、GPTによってそのテクストは学習され、声明と対となるように生成された歌詞をアンドロイドが歌っている。ここに1200年の時空を超えた音と言葉のハーモニーが表現される。

©︎Moe Yoshino

加えて、MCで渋谷が行った説明によると、オーケストラの奏者は聞こえてきた音をそのままなぞって演奏していく。すべての楽器には集音装置が付けられており即席で奏でられる節がアンドロイドや僧侶の声と重なり合いながら会場に降り注ぐ仕組みだ。それぞれの声部はあらかじめ楽譜の上に記された音符を追うのではなく、奏者の判断に応じて自律して動くのである。ただし、他者の動きに反応して音を生み出すわけだから、相互に無関係というわけではない。まさに究極のポリフォニーである。しかもその基軸となるのが1200年前の仏典なのだから、究極のパロディでもある。文字通り、時空を超えたハーモニーだとはいえ、その時はそんな西洋音楽的枠組みを考える暇もなく、ただ音と音の間に無数に広がる網の目と自らもその目の一部であることに不思議な感覚を覚えていた。

©︎yoshino

その他の曲では、ここまで即興が重視されていたわけではない。が、渋谷とマリアによるトークも含め(今回、彼女は関西弁で応じていた)、ロボットがいかに自在に反応できるかを見せるのがこのオペラの主眼の一つでもあるわけだから、この関係性の帯が本公演の核になっていることは間違いないだろう言い換えれば、アンドロイドを使うからこそ見えてきたものでもある。

この体験は図らずも、私自身の音楽に対する態度を振り返らせるものともなった。というのも、作品を正しく演奏すること、演奏を静粛に聴くことといった態度は、クラシック音楽の世界では半ば当然のこととして定着している(そのような聴取のあり方は19世紀に成立したと言われるが、今はその点には踏み込まない)。そこでは、作品も演奏も聴き手にとっては味わう対象ではあっても、こちらから何かを投げかけることは前提にされていない(一部の現代音楽を除いては)。いわば、一方通行のようなものであった。けれども、どんな音楽もさまざまな協働の中から生み出されているのであり、その生成のプロセスに身を委ねることに我々は喜びを見いだしてきたのではないか。音楽とは元来そのようなものであったのではないかと、今さらながら気づいたのである。

©︎Moe Yoshino

ところで、渋谷はプログラム・ノートの中で、ボーカロイドやアンドロイドを使ったオペラ創作の発端に身近な人間の死がきっかけとなっていたことを記している。実際、あのマリアは彼の亡き妻をモデルにしたと言われている。となれば、もしかするとこのオペラは死者を悼む喪の行為なのかもしれない。それにしても、AIは「死を悼む」ことができるのであろうか。そればかりか、マリアは自らの死を知ることがあるのだろうか。その答えは、次作以降の彼の手に委ねられるのかもしれない。

©︎Naoki Takehisa

 

©︎Naoki Takehisa

 

 

2026/6/15 

 

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 [Performers and Artists] 

Composition/Piano/ElectronicsKeiichiro Shibuya
VocalAndroid Maria
Koyasan ShōmyōEizen Fujiwara, Taiko Yamamoto, Taiko Kashihara, Hoshin Tani, Jien Goto, Kandai Mimatsu, Gadai Katase, Giko Seki, Koshun Akiyama,
Hoyu Katsuragi, Keiga Ichikawa, Daikan Shimada, Enko Sasaki, Shunko Urata, Kokuko Urata, Zenkei Nishikura, Zenko Matsuda, Shokan Takami,
Hakushu Jinbo,
 Shoei Sasagawa
Osaka Philharmonic Orchestra (Guest Concertmaster: Tatsuki Narita)
Android Programming: Shintaro Imai
Video: Justine Emard
FOH Engineer: ZAK
Lighting: Go Ueda 

 [Music List] 

00. Overture
01. BORDERLINE
02. The Decay of the Angel
03. Recitativo 2
04. Voices
05. Rinkai Sekai 

06. MIRROR
07. Scary Beauty
08. On Certainty
09. BLUE
10. Recitativo 3
11. I Come from the Moon (Android Opera ver.)
12. Midnight Swan
13. Lust