The Shakuhachi 5 《浮世絵プロジェクト》|丘山万里子
The Shakuhachi 5 《浮世絵プロジェクト》The 5th Concert|丘山万里子
The Shakuhachi 5 The 5th Concert
2026年3月3日 豊洲シビックセンターホール
2026/3/3 Toyosu Civic Center Hall
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
写真提供:高木真希
<演奏> →foreign language
The Shakuhachi 5
小濱明人・川村葵山・黒田鈴尊・小湊昭尚・田嶋謙一
<曲目>
望月京:観音アナトミー (2023) *
金田望:コレオグラフィ(2022) **
ジョン・ケージ : Five (1988)
琴古流本曲:鹿の遠音 -五重奏版-**(The Shakuhachi 5 編曲/2025)
〜〜〜
[NY作品]
リサ・ビエラワ:Invitation 2.0 (2025) ***
+ 映像(テイ・ブロウ)
[プラハ作品]
ミロスラフ・スルンカ : Berorin Ai(2025) *
+映像(マレック・貴明・マトヴィア)
[東京作品]
原田敬子 : 変風⁺ 5人の尺八奏者のための (2024-26) *
+ 映像(大田暁雄)
*The Shakuhachi 5 委嘱作品/**The Shakuhachi 5 公募作品
***The Shakuhachi 5 & Japan Society 共同委嘱作品
尺八の新たな表現を求め、流派を超えて結成された尺八5人衆の第5回公演は《浮世絵プロジェクト》。2024年よりアメリカ(ニューヨーク)、チェコ(プラハ)、日本(東京)3都市の美術館所蔵の「尺八が描かれた浮世絵」をモチーフに、新曲+映像を作曲家と映像作家に委嘱する企画である。2025年ニューヨーク、プラハでの新作初演を終え、今回東京での完結とあいなった。
前半は過去の公演からの3曲と古典本曲、後半に3都市の新作が並ぶという趣向。
ロビーには5人の所蔵する浮世絵『五人男』が展示され、何やら『白浪五人男』もどき。上手い。
世界に出陣するだけあって、聴かせ方、見せ方のセンス抜群。
私はこの5人衆、第2、3回と聴いており、その第2回では諸井誠:対話五題(1972)と西村朗:五本の尺八のための<沙羅双樹 >(2021/委嘱・世界初演)に震撼した。尺八の「音声(おんじょう)」の持つ「相」と「気」に圧倒されたのだ。
第3回では望月、金田初演に立ち会い、とりわけ望月作品に感嘆した。
その『観音アナトミー』は、「いかに『一音』の内外をつぶさに観る(聴く)か」が眼目で、いわば音の解剖学。さらに観音にカノンを重ね、「十手観音」(奏者5名ゆえ)のイメージを喚起、とのアイデアは「一音成仏」の尺八に似つかわしい。同一音を順次飛び石のように置いて一続きの持続と成し、かつ一音それぞれの「気」から滲みやぼかし、震え、うなりといった微細かつフラクタルな「相」を広げつつ、わかりやすい(カノン)で流れを創出する。ちなみに観世音菩薩とはその字の如く菩薩の名を聞けばこの世の苦しみから救われ、名を唱えれば(一心稱名)その声を聴きとり救いに飛んでくる、誰にでもどこにでも手を差し伸べる(千手)ありがたいお方。そのご利益を岡本かの子が熱烈解釈するに、「一つの音の発動には、諸法実相、十回互具、一念三千、假(け)空中三諦、などによって説明されたる大生命の全機構、全能力、全功徳が秘められておるのです。物質が物質であるうちは兎に角、既に物質内に伏勢力(ポテンシアリティ)が音となって発露した以上、これはもう生命の用(ゆう)であります。全宇宙の功力を攝在して、空気を伝って対象に向け働きかけたのであります」。 『観音アナトミー』の何たるかを最もよく説明しているのではないか。改めてそのことに気づき、望月のしなやかな感性と洞察、それを「観音化」(音化)する作法に感じ入った次第。
これに比すると金田作品はメトリック・モジュレーションやポリリズム(金田解説)でダンスミュージックを目指したとの意図が空回りの感は否めない。前回は金田自身の指揮であったが、今回は指揮者なし。息を合わせる困難以上に、尺八であることの必然がやはり私には不明であった。必然(化石的既成概念とも言えるわけで)などうっちゃり、新たな音響素材としての可能性の追求に邁進、奏者が演奏を楽しみ磨いてゆけばそれはそれで面白いかもしれないけれど。
照明落ちての暗闇にスポットライトで奏者が思い思いに立つケージ作品がこれに続く。『Five』に楽器編成の指定はなく、5人が「タイム・ブラケット」(時間の括弧)と呼ばれるスコア断片(始まりと終わりの時間が書かれている)に沿って奏してゆく仕掛け。闇に浮かぶ5名が粛々とステージを移動しつつ吹奏するさまは美しく、しじまに響く尺八の音(ね)の卒然かつ閑やかな相貌に魅了される。私にとってのケージは音の思想家にすぎないが、最晩年はこうであったのか、と何がし感じるものがあったのはやはり尺八の特性のなせる技だろう。
ある意味、金田作品との相違を際立たせる並びであった。
そうして締めに本曲をおく絶妙。客席五手に散っての五重奏版『鹿の遠音』は圧巻。
本曲が宿す深山幽谷、深奥幽玄。しかもそれが五方からひたひたと寄せてくるのだ。中国由来の山水画を思えば良く、その墨絵世界は道元禅師語録『谿声山色』(けいせいさんしき) で示される世界、つまり谷川の声、山の声、あらゆる声に真実が宿り響く、そのまま(仏教では仏声を聞き悟りに至る、なのだが私は仏教学者でも信者でもないので、こう解釈)。かつての現代音楽での禅思想ブームは逆輸入に近いが、江戸虚無僧から伝わる本曲世界を身(音)をもって知る彼らだからこそ、新たなものに命を吹きこむことが出来るのだと思う。伝統と革新など言うは易いが、第2回公演MCでの「私は古典の中で生きているのですが」の言葉を改めて噛み締めたのであった。
さて、いよいよの《浮世絵プロジェクト》。
NY組は、ビエラワの初期俳句『Invitation(いざない)』の音楽的瞑想で、背後にブロウの映像。「At a loss for words (言葉にならなくて)」と「Dawn(夜明け)」の2楽章を一続きに「時を超えた自然」と「恋するものの自己意識」の緊張を描く(自作解説)。平安の女性歌人に惹かれるというビエラワの瞑想に、ブロウは闇にぼんやり浮かぶ月影のような円光から、浮世絵にある尺八、風景画(東海道五十三次的)などさまざまな絵柄のズームやカットを継ぎ、そこに情念的色彩の溶解を流し仕込む手法。音楽と映像はほぼ同期しつつ赤、黒、青といった色の変幻に包まれる。
つい視覚に意識がゆき、そこに「恋するものの自己意識」を感じ取るのは私には難しく、映像に流れる音楽としか観取できなかったが、楽しく新鮮な体験であった。
プラハ組の『Berorin Ai』はプラハ美術館収蔵『団扇絵/歌川国貞』に描かれた尺八にスルンカがインスピレーションを得たとか。背後の海と水面の段階的描写に、尺八とオルガン(波の力を利用して奏でるクロアチア海岸の『The Sea Organ』)の音響を重ね、尺八〜浮世絵〜海〜青の連鎖の表出にあたり「AI」との対話的創作を試みた、とのこと。タイトルは浮世絵で使われる「プルシアン・ブルー」が「ベロリン藍」と呼ばれることからで、藍とAIをかけるなどなかなか凝った作り。
自身も尺八奏者であるマトヴィヤの映像は、波打ち際、海、波、水面など「藍」に染まっての揺動、毛筆文字がゆらめき、女の手や貌が浮き沈む耽美世界。スルンカ言うところの「音楽における新しい、より流動的・有機的・人類学的な構造主義」(自作解説)への可能性より、こちらもただただ一篇の幻想映像音楽作品として楽しんだ。水中、妙になまめかしい女の仕草表情に、太宰治の身投げ心中を想起したことも付け加えておこう。
トリの東京組『変風⁺』や、いかに。指揮の原田が現れるとその存在感(人のリアルな動作・意志)で見え方がガラリと変わった。流れる画面をひたすら追い、映像サウンド版のようであった前2作に比べ(私には)、演奏に意識が向いたのである。
原田によれば、現物の浮世絵に「江戸の粋」、かつ背景に「水」(3作共通項だ)を感じ、「水、竹、風…」と連想を膨らませ、正統派でない「変風」を意図。絵の仕上げ工程の彫師刷師の職人芸にある「感覚と身体的エネルギーによる多彩な音に注耳」(自作解説)したとのこと。
闇にまず、尺八の短く鋭い吹き込み。やがて光粒子がキラキラ立ち昇り、流れ、ざわめく。星の河みたい。次いで現れた5色円輪(5輪ではない)にすぐと私は宇宙構成要素を5つとする仏教五大(地・水・火・風・空)を思った。全体の色合いもこの5要素からなり、抽象的なモザイク模様の変容で、やたらに流れない。音楽も間合いを置く短い楽章の連なりで時空間設計が明確、尺八の持ち味(風・息)、特殊奏法を含むさまざまな手法をそれぞれのシーンで生かす変幻自在、かつ綿密な書法。最後に満月の如き白円がゆっくりと闇空をよぎり、ふるふる尺八の音とともに溶暗。緊張に満ちた、静謐堅牢な作品世界であった。
原田の研ぎ澄まされた「知」と、大田の抑制の効いた「知」のまさに不即不離が、自立した音楽と映像のコラボレーションとなって現前したと思える。
* * *
映像と音楽のコラボは、大劇場から小ギャラリー、ライブハウスまで花盛り。国際的コラボもオペラなどで散見されるが、互いの文化・世界観との遭遇が新たな創造を生むに至らない場合が多い。
《浮世絵プロジェクト》のコラボ3作は、全員が互いに真摯に向き合っていたと思う。 NYもプラハも東京も。海外2作を映像音楽と言ったが、日本文化へのリスペクトがちゃんと感じられ、それぞれの受け止めと理解がこちらに届いてきた。ふーん、浮世絵ってこんなふうに見える、思えるんだ。同時に、日本の私たちはどう?と振り返る。折しも蔦屋重三郎を描く大河ドラマが話題になり、興味を持った人たちもいたろうし。
「浮世絵」を手掛かりとするアイデアの秀逸、さらに奏者の名人芸と相まって、肩肘張らない遊び心の行き交いをこちらも大いに楽しめた。
「試み」はそのように「遭遇」をそれぞれが全力で生かし合ってこそ果実(聴衆も含め)となるのではないか。
前半後半、伝統と革新へ耳を拓くよく練れた公演で、ほぼ満員、若い聴衆が賑やかに弾ける。豊洲という人口埋立地の夜景が似合う一夜であった。
尺八五人男のこれからが、ますます気になる。
(2026/4/15)
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The Shakuhachi 5〈The 5th Concert〉
Ukiyo-e Project
Connecting 3 Cities New York, Prague, and Tokyo through the shakuhachi
March 3, 2026 @Toyosu Civic Center Hall
<Musician>
The Shakuhachi 5:
Akihito Obama
Kizan Kawamura
Reison Kuroda
Akihisa Kominato
Ken-ichi Tajima
Conductor: Keiko Harada〈Henpū⁺〉
<Program>
Misato Mochizuki〈Kannon Anatomy〉* 2023
Nozomu Kaneda〈Choreography〉** 2022
John Cage 〈Five〉 1988
Traditional〈Shika no Tōne / Quintet Version〉 Arranged by The Shakuhachi 5, 2025
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Lisa Bielawa〈Invitation 2.0〉*** 2025
Movie: Tei Blow
Miroslav Srnka〈Berorin Ai〉* 2025
Movie: Marek Kimei Mativjia
Keiko Harada〈Henpū⁺〉* 2024-26
Movie: Akio Ota










