Menu

Pick Up|齋藤秀雄メモリアル基金賞第24回贈賞式|丘山万里子

齋藤秀雄メモリアル基金賞第24回贈賞式
2026年2月13日 アルカディア市ヶ谷

Text by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by 長澤直子(Naoko Nagasawa)

チェリストであり指揮者だった齋藤秀雄にちなみ設立された「齋藤秀雄メモリアル基金賞」第24回(公益財団法人ソニー音楽財団)の受賞者は⼭澤慧(チェロ部門)と熊倉優(指揮部門)の二人。選考には齋藤の弟子、小澤征爾(永世名誉顧問)、堤剛(永久選考委員)が名を連ね、音楽界に貢献、活躍が期待される若手に贈られる賞である。賞というのは大方が有名国際コンクール上位3位くらいの音楽家が対象とされ、まずはコンクール歴が問われる、と私は思っている。本賞にしても、受賞者リストを見ればその種のコンクールの名が背後に浮かんでくるのだが、今回は、違う。
だから注目した。

山澤は国内コンクール受賞歴は多々あるが、海外国際賞歴を追わず、独自の道をここまで歩んできた。文化庁海外研修員としてフランクフルトの「アンサンブルモデルン」で1年学ぶが、それを特別な経験でなく「地続き」のもの、と語っている(プレスリリースより)。とりわけ20世紀以降の無伴奏作品、邦人作曲家作品の演奏のほか、作品委嘱や公募で新作を募り初演するなど、時代もジャンルも問わない自在な飛翔ぶりと企画力には目覚ましいものがあった。100年後のレパートリーを「今、創出し、次へ繋ぐ」という卓見と技量は、だが、知る人ぞ知る、的なものであったように思う。
贈賞式で彼が「栄えある」と言うのを聞き、ようやく今、海外賞歴とは別の評価軸がここに示された、と私は感慨深かった。リサイタルでの地道で果敢な挑戦、アンサンブルからオーケストラまで多様な場での自己鍛錬の年月。若手というより、もはや中堅実力派と言うべき彼が得た、「栄えある」。
贈呈に立った堤が、現代に特化することなく、バッハから現代まで、幅広いレパートリーで常に新しいものへ眼をむけ切り開いてゆく山澤の姿勢を称揚、それこそが本当の私たちの音楽の豊かさにつながる、と述べていたが、まさにそのこと。
ちなみに山澤は桐朋の「子供のための音楽教室」(齋藤創設)で音楽の基礎を学び、東京藝高藝大へ進むが、齋藤門下の山﨑伸子にも師事とのことで、齋藤系列と言えよう。

熊倉はといえば、こちらは未完の大器への期待賞でもあろうか。賞歴は第18回東京国際コンクール第3位のみ(リリースによれば)。この時の優勝者は沖澤のどか(ブザンソン優勝後の2022年本賞受賞)。その後N響のアシスタントを務め、2021年に渡独、ケント・ナガノのアシスタントののち、2023年ハノーファー州立歌劇場第2カペルマイスターに就任という文字通りの若手。小澤にしろ、大野和士にしろヨーロッパの歌劇場でそれなりの地位を得るのは容易なことではなかった。トスカニーニ国際コンクール優勝後、戦禍のザグレブでスタートを切った大野の時代に比べれば、もはや扉は誰もに開かれているように見える。
が、贈呈者の高関健が述べたように、ドイツ社会の中で音楽と人と共に生きてゆくのは生やさしいものではない。昨今の山田和樹の活躍を見るにつけ、語学力以上に、集団支配・管理とは異なるコミュニケーション能力、人間力が求められる時代と思う。笑顔を絶やさない熊倉のオープンマインド(たぶん)は、その意味でも新たな時代の到来を物語る。この秋冬にはフィリップ・グラス《サティアグラハ》、レオンカヴァッロ《道化師》を振るとのこと。活躍を見守りたい。
桐朋で学んだ彼は齋藤の『指揮法教程』が最初の一歩だったそうで、技術の言語化の見事さを語ったが、なるほど音楽ほど言語化不可能な現象はない。それをあえて分析、言葉にし、『教程』として齋藤は残した。戦後音楽教育の基盤を築くに必須の役目を齋藤は果たしたのだとやはり思う。

山澤は挨拶で、齋藤逝去の年、広島の講義での言葉「人間は意志をもって、自分の特徴を活かすことを考えねばならない」を引いた。先人ロストロポーヴィチや堤の背を追い、自分もその歴史につながる演奏家に、との言に、改めて今日の若い世代の自覚的選択を頼もしく思った。
私は大学から桐朋、さらに音楽学ゆえ「齋藤秀雄」がなんたるかを知らず、たった1回、オーケストラ演習だったかの講義(最晩年)に出ただけだが、教室を埋めた桐朋オケメンバーの異様に張り詰めた空気に驚いた。息を殺し、みたいな感じで、これで音楽ができるのか、と思った。が、スコア分析の合理性と、それを音に反映させてゆく指示の的確に驚嘆したのを覚えている。そのピリピリした反応に、学生オケとはそういうものなのかとも思ったが。
その後、齋藤とほぼ真逆のチェリスト青木十良に、音楽の内実への道を教えられ、はじめて自発の喜びと楽しさを知った。青木門下のチェリストの弟子たちが、今、それこそ名だたるコンクールで名を馳せているのを思うと、対照的とも見える音楽への行程・教程であっても、とどのつまりはそこから「何を自分のものとするか」なのだ、と思う。
青木は齋藤の威光にあって恬淡孤高を守ったが、タイプの異なるこの二人の教育者が居てこそ、今日の豊穣がある。
何を継ぎ、何をもって自分を生かし、次へ繋げるか。
それに尽きよう。
戦後の早期音楽教育の成果はすでに小澤、堤世代で達成された。
山澤のようなチェリストの、地に足のついた活動、楽器の可能性を限りなく拓いてゆく革新性、その意欲と努力への評価。
熊倉のように彼の地で地道にキャリアを積み、その学びが私たちに還元されてゆくであろう将来への期待。
彼らの今後が間違いなく、次の「豊かさ」の土壌となる。
そうやって人は先人の想いを継ぎ、その背に、在り方に自分の道を見出し、その道の多様さが、土を耕し、歴史を編んでゆくのだろう。

受賞演奏:⼭澤慧
D.ガブリエリ:無伴奏チェロのためのリチェルカーレ第1番ト短調、第5番ハ長調

                                 (2026/3/15)