ゾウをのみこんだウワバミの絵 – 想像力を巡る冒険|チコーニャ・クリスチアン
いいむろなおきマイムカンパニーによる
世界の名作『星の王子さま』をモチーフにした黙劇
2025年11月15日 兵庫県立芸術文化センター 中ホール
2025/11/15 Hyogo Performing Arts Center
Text by Cristian Cicogna
Photos by 堀川高志 (kutowans studio)
作・演出・振付: いいむろなおき
出演:
いいむろ なおき
田中 啓介
三浦 求
谷 啓吾
羽田 兎桃
川島 由衣
さゆ~る
舞台監督: 北村 侑也
音響: 河合 宣彦(株式会社 Road-K)
照明: 追上 真弓(株式会社カラメリ)
衣裳: アートディレクション / 田中 秀彦
言葉というのは、なにかと誤解を招くもとだからね。
『星の王子さま』(平凡社)より
物語は小型飛行機のプロペラから始まった。
プロペラが、ぶつぶつ言いながら回転し出した。両側のエンジンが猛獣のように咆哮(ほうこう)し、機体が前進する。コックピットがガタガタ震えている。
だが、滑走路の先にある雑木林がどんどん近づいてきているのに、どうして飛行機はまだ車のように走っているんだい?
僕は操縦桿を力一杯胸の方へ引っ張り、目をつむった。飛行機がようやく離陸し、機首を青空に突っ込み、車輪が木々の梢に擦(こす)った。ひやっとしたなあ。
それにしても上空から眺める地表は本当に美しい。海が見え、山が見え、町が見える。雲も綺麗だ。面白い形をしている。ひょっとしたら、僕は人間より雲とうまく友達になれるのかもしれない。
太陽は眩しく、空は光彩陸離たる草原のようで、このままいつまでも飛べたらいいのにな。と思いきや、エンジンが猛烈に咳(せき)込み、プロペラが回転数を落とし始めた。これはまずい。不時着だ。怖い、怖い!(声を出さず表情のみ)
強い風が吹く砂の海。操縦席から跳び降りた飛行士は、バラバラになってしまった機体に目をやり、(無声の)悲鳴をあげる。散らばった部品を拾い、元の位置に戻し、プロペラを回す。駄目だ。部品があくびをしながら脚を曲げ、砂の波間に倒れてしまう。
そう、実は、飛行機は六人の人間で出来ている。つまり、出演者六人が上手い具合に合わせた身体を飛行機に見立てているのだ。飛行士を演じるいいむろなおきが何度も彼らを起こし、再び飛行機の形を取らせようとするが、無駄だ。彼らはすぐに深い眠りに落ちてしまう。
飛行士は肩をすぼめ、砂嵐の中をあてもなく歩き出す。突然、飛んできた一枚の白い紙を掴み、即座に絵を描き始める。
実を言うと、小型飛行機のプロペラから物語が始まったという冒頭の文章は正確ではない。この物語はある絵から始まったのだ。ペン先が不揃いの丘陵を二つ描き、左に尻尾のように突出した線と、右に首の長い亀の頭のような線を描いた。最後に、その頭に丸い点を足した。点は動物の目に見えなくもない。
子供のような気持ちになった飛行士は、その絵を大人たちに見せた。何に見えるでしょう? 何を聞くんだい? それは帽子だろう。逆様にしたら、パンツにも見えるけど。想像力の乏しい人に笑われたり、慌ただしく働いている人に怒られたり、追いやられたりするばかりだ。
しかし、飛行士が一生懸命に描いていたのは、帽子でも、パンツでもなく、ゾウをのみこんだウワバミの絵だった。
彼は大人たちの反応にがっかりし、その絵を折って、紙飛行機を作る。そして、一陣の風が紙飛行機を彼の手から奪い、遠くへ飛ばしてしまう。
舞台には、様々な小道具と出演者七人の身体以外、何もない。舞台装置や舞台美術といったものは一切ない。砂粒一つないし、言うまでもなく、象だって。
だが、帽子だと言われた絵はちゃんと再現される。柔らかくゆらゆらする白いシーツを被(かぶ)った出演者たちが舞台を駆け回って飛行士を追いかけ、脅かしている。彼はそれが象を丸呑みした危険な大蛇(だいじゃ)であることをちゃんと分かっているから逃げるのだ。
ところで、子供たちは恐れるものを絵にすることが多い。ウクライナやシリア、パレスチナの子供たちは何を描くと思う? 空から襲って来るロケット弾やドローン、武装した兵士、壊された家の瓦礫、血まみれの死体などを描くのだ。
チラシの宣言どおり、星の王子さまは登場しない。彼はとっくに自分の故郷、小惑星B612に戻っている。そこから、望遠鏡を地球に向け、私たちを覗いているに違いない。
私がいいむろなおきの黙劇を鑑賞したのはこれで五回目だ。
最初に観た『butterfly effect』は、幻想的で詩情に溢れる場面が多く、感激した。
そして、『doubt』、『オリンピアの夢』、『心象スケッチ~宮沢賢治の世界~』を観たが、いいむろなおきの姿を見る度に心が和む。
今回も、水色の靴にオーバーオール、デニムのジャケットにゴーグル付きヘルメットという格好で現れた彼を見た瞬間、ある種の親しみさえ覚えた。
彼は大抵穏やかで純粋な心を持つ人物を演じるが、運が悪いのか、よくトラブルに巻き込まれる。ほのぼのとした雰囲気に包まれ、困った様子が可愛らしく、観客に同情を抱かせる。チャップリンやスーパーマリオやフォロンの不思議な男を連想させることが多い。最終的に必ず困難を免れるので、見る側もほっとする。
しかし、『ゾウをのみこんだウワバミの絵』はアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの名作 Le Petit Prince を黙劇にしたものではない。いいむろなおきの企みはもっと大きなものだった。『星の王子さま』の話を私たちが生きる日常に置き換えたのだ。
砂漠での不時着は想像力を巡る冒険で、現代社会への旅のきっかけである。
出演者全員が使える武器は豊かな表情と優れた技法のマイムだけだ。そして、パフォーマンス中に発するオリジナルの言語が秘密兵器としてある。見る者には意味を成さないが、ジェスチャーと小道具に加え、場面を理解するのに大きなヒントを与えてくれる。
いいむろなおきマイムカンパニーのもう一つの特徴は、同じパターンが繰り返される幾何学的な振付だ。ノリのいい音楽に合わせて、異なる速度で何度か踊るダンスはいいむろなおき演じる主人公の夢想や恐怖を表しているのだろう。
ジャングルに迷い込んだ飛行士は様々な人物に出くわす。象狩りをする滑稽な二人、手紙よりも手品を届ける郵便屋。自惚れ屋、王様、酔っぱらい、点灯夫、地理学者、キツネに至っては、小説の王子さまが訪れた惑星で出会う人物たちのほとんどだが。
しかし、現代社会もジャングルだ。テレビの前でポップコーンを食べながら、スポーツであろうが縄張り争いや殺し合いであろうが同じように楽しむ男。悪夢のようにしつこく現れるストーカー。そういう人は私たちの周りに必ずいる。
黙劇だからこそ、「大人たちって変だな」と独り言ちる王子さまの声が聞こえたような気がした。
無情で想像力を欠いた怠惰な心を持つ人間が大半を占める今日の社会は最大の危機に直面していると、いいむろなおきは訴えているのではないか。
救いはあるだろうか。人間は子供に戻れないが、子供の心を忘れずに生きていくなら、まだ希望があるのかもしれない。舞台では、全員がかくれんぼやドッチボールなどで遊ぶ場面がしばらく続く。
終盤で、郵便屋は便りをきちんと届ける。飛行士がその手紙を読んでいる間に、空から一輪の花が降って来た。王子さまが大切に育てた唯一無二の花だろうか。
飛行士はまた紙飛行機を作る。紙一枚さえあれば、紙飛行機を折れる。そして、その紙飛行機に乗って、王子さまの惑星まで飛べるぞ。
出発の時間がやって来た。出演者たちは身体を組み立てて飛行機の形を取る。プロペラが勢いよく回っている。
舞台が一瞬真っ暗になったのち、満天の星がきらきらと輝きだした。出演者たちが夜空を見上げる。歌っている夜空を。「五億個の鈴が鳴っているようでありまして」とサン=テグジュペリが書いたように。
「心で見なければ、よく見えてこない。大切なものは目には見えないんだ」。
(2025/12/15)