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私の10年|「天職」を再発見?|松浦茂長

私の10年 「天職」を再発見?

Text by松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

この壊れた世界に、若者たちはどう立ち向かってくれるだろうか。(ブルゴーニュにあるテゼー共同体には、毎夏数万人の若者が全欧から集まって来る)

10年前、「好きなテーマで毎月エッセイを書いて」と声をかけられたときは、「若いときの願いがかなうぞ」とほくそ笑む気持ちだった。サラリーマン生活から解放されてちょうど10年。毎年半分はパリで暮らしたおかげで、ブルゴーニュからオランダまで、いろんな街を見たし、フランス人の暮らしにも親しんだ。一癖ある展覧会やオペラもたくさん観た。学生時代は、映画監督になりたいとか、批評家になりたいとか、空想したのだし、ちょっぴり批評家のまねごともできるかもしれない。ご隠居さんの道楽暮らしも良いけれど、幾分うしろめたい気持ちもつのってきた。何か書いて発表することで、「世のため人のため、何かやってるぞ」と、自分自身に言いわけするためにも、書きましょう……。

軽い気持ちで引き受けた『パリ・東京雑感』。ところが途中からちっとも「軽く」なくなってしまった。ロシアがウクライナに攻め込んだのである。あんまり馬鹿げた戦争なので、プーチンの頭脳が異常をきたしたのではと疑ったものだ。この戦争を契機に、弱い国はいつ強い国に侵略されるか分からない、悪しき昔に戻ってしまった。とはいえ、ことの重大さのために「軽い気持ち」が吹っ飛んだわけではない。心の深層に隠れていた仕事のストレス、恐怖がよみがえったのだろう。ぼくは6年間モスクワ特派員をやっていた。だからロシアについて書くとなると、たちまち記者時代の重しがのしかかってきたのである。
だいたいテレビ記者というのは因果な商売だ。早朝電話が鳴って、「ベルリンの壁が崩れました。モスクワのリアクションを30分以内に送ってください」と言う。「そんなことはゴルバチョフにインタビューしなければ、わかりやしない。」とぼやきながら、手当たり次第に電話してでっち上げたり、ゴルバチョフについてパリに行ったときなど、衛星中継の時間が来ても記者会見が終わらないので、空想たくましくレポートしなければならなかったり、ひやひやもの。そもそもソ連が終わった日とか、冷戦終結の宣言とか、歴史の区切り目になるような出来事に出会っても、その場その瞬間には、その凄さが見えてこない。暗闇を手探りで進むようなものだ。でも誤報すれば、わんさと会社に電話が来る。

ウクライナ戦争は、ぼくの中に現役時代の重圧をよみがえらせたらしい。「軽く」「楽しみながら」書くことができなくなってしまった。締め切りに追われるわけでもないのに、なぜかフウフウ言いながら書いている。世界があんまり滅茶苦茶になったせいだろうか?荒れすさんだ地球のありさまを言いあらわす正しい言葉が見つからない。自分はウソを書いているのかもしれない……。

でも意外な発見をした。ジャーナリスト稼業をしているあいだじゅう、「こんなヤクザな仕事は向いていない。学者になればよかった」とつぶやいていたのだが、なにものかに押しつぶされかけ、もがきながら書く今日このごろ、「ジャーナリストを選んで良かった」と、ようやく自分の人生に納得するようになったのだ。

(2025/10/15)