私の 10年|道、果てなく|丘山万里子
道、果てなく
Text by 丘山万里子(Mariko Okayama)
2015年、本誌創刊。11年間執筆したウェブ誌『JAZZTOKYO』を辞めて3ヶ月後。サイト作成を依頼した若手IT企業家に「何を売るんですか」と聞かれ呆気に取られた。
全て対価なしの誌面ゆえ3年ほどして、わずかでも収入を得る方策を、と彼にオンライン・レクチャーを頼む。が、メンバー全員「不要」の結論、彼を唖然とさせ、同時に理解と尊敬を勝ち取り、今だ良心価格で面倒を見てもらっている。私はみんなの心意気に、素晴らしい仲間に恵まれたと、ひたすら感謝であった。
同じ頃、若手執筆者求む、と大学院生など引っ張ってみたものの定着しなかった。無報酬以上に、私の頑迷な批評意識かつ熱血添削(これ、レポート。批評じゃないでしょ的パワハラ発言を含む)が理由と思う。結局自分の批評型に嵌めようとしていた、と猛省だ。
2020年、作曲家『西村朗考・覚書』の連載開始。オペラ『紫苑物語』観劇、なるほどこれはエンタメ系グランド・オペラ、お経だのケチャだの入れこんでの西村集大成。相変わらずアジア民俗芸能・信仰(宗教)延長線上のビュッフェ美味しいとこどりみたいだが、でもそれだけではないかも。新作『12奏者と弦楽のための“ヴィカラーラ”』(2020)見聞に大阪へゆき、鴫野の実家(すでに無い)あたりをうろつき、書くぞ、と決めた。
回を重ねるにつれお互いに、これは自分を見つける旅だと気づく。この旅が『紫苑物語』の先を見通す「しるべ」になるだろう。次作オペラをそれぞれに思い描き始めた矢先。
一周忌に出来上がった分厚い拙著『西村朗 しるべせよ』。これをバンと踏みつけて、新作に跳んで欲しかった。

2025年、三善晃論『三善晃の声を聴く』連載に着手。第一評論集『鬩ぎ合うもの超えゆくもの』(1990)の後書きに、これは「作家の魂への恋文」と書いたが、今の私はそれを「相聞歌」と言いたい。同時代、同じ空気を吸った作曲家、三善晃も八村義夫も松村禎三もみな作品という形で返歌を私に下さった。連載での同時進行は西村さんが初めてだったが、毎回メールでの感想が届いた、あれも返歌。
「相聞」とは、互いの想いを伝え合うこと。人と人との間・関わりにある究極の形。新たに聴こえる三善の声にただ耳を傾ける…。
『鬩ぎ合うもの〜〜』には『遠山一行小論』も含まれていた。
2014年逝去以来の宿題で(2010年に書きはじめ挫折、中途原稿を病床で読んだ恩師、苦労してるね、と笑われた)、改めて小林秀雄・吉田秀和 vs 河上徹太郎・遠山一行で書くつもりだったが、もう時間がない。
今年中に三善を仕上げ、何とか。なんて、あと2ヶ月しか。
どこまで歩けるかしらん。
最後に。
誰もが、書きたいことを書きたいように書き続けられる、自分の歩調で歩き続けられる場であることを願っている。
(2025/10/15)
