注目の1枚|ノルディック・ヴィジョンズ――フィンランドのピアノ音楽/高橋絵里子|齋藤俊夫
ノルディック・ヴィジョンズ――フィンランドのピアノ音楽/高橋絵里子
Nordic Visions/ Finnish Piano Music/ Eriko Takahashi
ALM RECORDS/有限会社コジマ録音
ALM-145
3月7日発売
Text by 齋藤俊夫 (Toshio Saito)
<演奏者>
ピアノ:高橋絵里子
<曲目>
ヨーナス・コッコネン:『ピエラヴェシ組曲』(1939)
レーヴィ・マデトヤ:『死の庭園』(1919)
カイ・ニエミネン:『華やかな翼の微笑み』(2016)
アリ・ロンパネン:『エラキス』(2016-2017)
セリム・パルムグレン:『3つの情景による夜想曲』(1921)
アリ・ロンパネン:『アルマクの砂場』(2019-2020)
CDをかけてまず聴こえてきたコッコネン『ピエラヴェシ組曲』より第1曲「前奏曲」の冒頭、高橋絵里子のピアノの音に驚愕した。こんなピアノの音を出せるピアニストがまだ世界にいたのか?いや、古今東西を見てもこのピアノの音は類を見ないものではないか?と。キラキラと光るアルペジオと柔らかなメロディーで眼前に広がるのは空気の澄み切った世界。これがフィンランド、北国の情景か?
組曲第2曲「夜想曲」のゆったりした楽想と可愛らしくおどけるパッセージの対比もユーモラスかつユートピア幻想を掻き立てる。
第3曲「雨」はラヴェルのピアノ協奏曲に近い。ただし北国の香りがする。
第4曲「夕暮れの雲」は憂いを帯びた透明な感情が宿る。
第5曲はドビュッシー的だが、コロコロと転がる楽想はやはり北国的な冷たい触感がする。
フィンランド、北国、澄んだ空気と豊かな自然、という連想は多分に先入観なのだとはわかっている。だが、筆者はどうしても北国というもの、言葉を詩的に受け止めてしまうのだ。敬愛する作家井上靖の詩集も『北国』というタイトルであった。南国的愛嬌よりは北国的寂寞に美を感じてしまう。そもそも、この南国と北国という対比自体に後天的な本質主義が入っていよう。そうわかっていても、筆者は北国に北国的美を求める。
マデトヤ『死の庭園』 第1曲、涙雨が静かにしとしとと降り続けているよう。
第2曲、涙をこぼしながらの三拍子の輪舞。
第3曲、悲しいお伽噺の世界に入ったように、泣いているのか、笑っているのかわからない。ただただ、美しい。
ニエミネン『華やかな翼の微笑み』第1曲、重い低音域の不協和音と、とぼけた中音域の和音の上で、最高音域で最速のアルペジオが軽やかに踊る。現し世の住人ではない妖精めいた何かの音楽のよう。日本の吉松隆(彼が私淑しているのはフィンランドのシベリウスだったではないか)にも通じる。
第2曲、沈鬱な、一打一打がとても重い黄昏時の音楽。吉松にはこの重さはない。
高橋のピアノにより世界初録音となったロンパネン『エラキス』はこれまでの作品からグッと「ゲンダイオンガク」的に、シュトックハウゼンのピアノ曲のように複雑で超絶技巧を要するものになる。いや、この表現主義的感覚はむしろベルクか? この曲では高橋のピアノは結晶的な鋭い音を響かせる。そしてよく聴くと複雑な対位法の中にある無数のメロディーに気付かされる。最後は荒々しく叩きつけるように。
パルムグレン『3つの情景による夜想曲』第1曲「星は瞬く」はタイトルの通り、左手の中音域が大地の安らぎを、右手の高音域が星々の瞬きの情景(ヴィジョン)を映し出す。
第2曲「夜の歌」、深く暗く重いが饒舌な歌によって雄大なパノラマが広がる。自然界には真の闇などない、とでも言うように。
第3曲「曙」陽光の温かさとその喜びがおおらかに奏でられる。
最後を飾るロンパネン『アルマクの砂場』 、これまたシュトックハウゼンの複雑さ、客観性とベルクの表現主義的主観性が一体となったパラドキシカルな音楽。その中から確かに聴こえる数々の冷たいメロディーの閃きに身を委ねたとき、言いようもない音楽的愉悦に浸ることができる。
筆者も北欧の音楽家を追おうと色々と録音など集めており1)、コッコネン、パルムグレンあたりは聴いたことがあるが、他の作曲家たちの作品はおそらく初めて聴いた。だが高橋絵里子という北国のうたを唄う傑出したピアニストをこのCDで知ることができたのがなにより嬉しい。これからの活躍を大いに期待したい。
1)例えばこんな記事も昔に書いたことがある。「北欧新調性主義」名曲・名盤紹介―宗教声楽作品を中心に
(2025/4/15)
<Player>
Piano: Eriko Takahashi
<Pieces>
Joonas Kokkonen: Pielavesi Suite (1939)
Leevi Madetoja: The Garden of Death (1919)
Kai Nieminen: The Smile of the Flamboyant Wings (2016)
Ari Romppanen: Erakis (2016-2017)
Selim Palmgren: Nocturne in Three Scenes (1921)
Ari Romppanen: Sandbox of Almach (2019-2020)
