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フランクフルト歌劇場《ルル》|柿木伸之

©Barbara Aumüller

フランクフルト歌劇場におけるアルバン・ベルク《ルル》新演出初演
〈フリードリヒ・ツェルハ補筆完成版による全三幕での上演/ドイツ語と英語の字幕付き〉
Alban Berg: Lulu in three acts completed version by Friedrich Cerha with German and English surtitles

2024年11月3日/フランクフルト歌劇場
November 3, 2024/Oper Frankfurt
Reviewed by 柿木伸之(Nobuyuki Kakigi)
写真提供:フランクフルト歌劇場(Photos by Oper Frankfurt)

©Barbara Aumüller

〈スタッフ〉        →foreign language
指揮:トーマス・グガイス
演出:ナージャ・ロシュキー
舞台美術:カタリーナ・シュリプフ
衣裳:イリーナ・シュプレッケルマイアー
照明:ヤン・ハルトマン
構想アドヴァイザー:イヴォンヌ・ゲバウアー
ドラマトゥルク:マライケ・ヴィンク
〈キャスト〉
ルル:ブレンダ・ラエ
シェーン博士/切り裂きジャック:サイモン・ニール
アルヴァ:AJ・グリュッケルト
ゲシュヴィッツ伯爵令嬢:クラウディア・マーンケ
画家/売春客:テオ・レボウ
猛獣使い/力業師:シム・キワン
シゴルヒ:アルフレート・ライター
劇場衣裳係/ギムナジウムの生徒/グルーム:ビアンカ・アンドリュー
公爵/従僕/侯爵:マイケル・ポーター
劇場支配人/召使い:ボジダール・スミリジャニッチ
医事顧問官/銀行家/教授:エリック・ファン・ヘイニンゲン
十五歳の少女:アンナ・ネクハーメス
その母:カテリーナ・マギーラ
工芸家:セシリア・ホール
新聞記者/道化師:レオン・チャカコフ
アニマ:エヴィー・ポアロス
管弦楽:フランクフルト歌劇場及び博物館管弦楽団

©Barbara Aumüller

時計が秒を刻む音が劇場全体に響き始めると、すでに幕が開いた舞台の前方に、白を基調とした色の衣装を着けた人が、一人また一人と姿を現わす。これから《ルル》のドラマに登場する、社会のさまざまな階層に生きる人々である。その一部で小競り合いなどが始まるなか、人々が背にしていた曲面の壁が回り、その裏手が開かれ、その中央に穿たれた竪穴に一人の男が手を差し入れる。彼が何かを摑んでぐいと持ち上げると、ヘドロにまみれた一人の女性が現われた。ルルである。この瞬間にベルクの音楽が燦然と鳴り始めた。
このような登場が象徴するように、フランクフルト歌劇場における《ルル》の新演出初演においてその主人公は、一方では社会の汚辱を一身に背負った女性として描かれる。そのような彼女が、下水道から引き上げられ、洗浄されるとは、そのままシゴルヒやシェーン博士のような男が思うような女に作り変えられることを意味する。しかし、こうして男性が支配的な社会に馴致させられていくなかでルルは、自分に、また自分に潜在する欲望に目覚めていく。そのようなルルは、社会のなかで「人間」であることをも越えてしまう。
一時ルルの夫になる画家らが言うとおり、彼女はその点で「未開人」であり、また冒頭で猛獣使いによって紹介されるように、獣の一種ですらある。実際、第1幕第3場の劇場の楽屋の場面におけるルルの衣装は、尻尾を付けた動物のそれである。今回の上演で彼女の役を歌ったブレンダ・ラエの声は、当初硬い感触だったが、この場面へ来て艶を帯び、力強さを増してきた。そのような声でルルは、この場面の最後でシェーン博士に婚約解消を申し出る手紙を書かせる。その際、この役を演じたサイモン・ニールの恐慌も真に迫っていた。

©Barbara Aumüller

ベルクのオペラ全体では、ルルが自身を語る場面は少ない。彼女の過去に関しては、それを握ってきた育て親のシゴルヒとシェーン博士が語っている。そして、彼らや画家などとの遣り取りからルルの心情を推し量ることも、必ずしも容易ではない。そこで今回の上演のナージャ・ロシュキーによる演出は、ルルの分身ないし「アニマ(魂)」であるダンサーを使っていた。最初に竪穴から引き出されたのも、この「アニマ」である。ルルの心の動きを増幅して表わすその踊りは、第1幕の終わりで壁に泥で「SCHÖN」の文字を書いていた。
ルルは、シェーン博士に執着している。彼と結婚してこそ「美しく schön」生きられると信じる彼女の恋慕には、ベルクの前作《ヴォツェック》におけるマリーの鼓手長への恋に通じるものがあるのかもしれない。しかしルルは、嫉妬に駆られたシェーン博士に自殺を迫られた際に彼を殺してしまう。その直前にルルが歌う「歌(リート)」は、今回の上演でもクライマックスの一つをなしていた。この歌において、赤い衣装を着けたブレンダ・ラエの声は、何者もルル自身を奪うことができないことを輝かしい声で歌っていた。
彼女が舞台から退くとルルの「アニマ」が現われ、横たわったシェーン博士の傍らに立つ。そして激しくのたうって遺体に水を打ちかける。その姿には、彼を含めて自分を使ってきた男たちに対する復讐心、シェーンを殺したことに対する悔悟、さらには彼に対する消えることのない愛などが重ねられていたように思われた。その情景が象徴するように、ロシュキーの演出による今回の上演は、社会の暗部にあるものを背負いながら、肉体的な欲望の次元を含めた自由を求め続けたルルの内面に光を当てようとする試みだったと考えられる。

©Barbara Aumüller

ルルの感情の変化は、ヴェーデキントの二篇の戯曲を基にしたオペラにおける人間関係が複雑なだけに、ともすれば埋もれてしまいかねない。ダンサーをルルの魂として登場させたのは、これをすくい取ろうとする工夫と言えるだろう。それはルルという焦点を観客に示し、彼女について考えさせる点で効果的だっただけでなく、音楽が鳴っている部分と台詞だけの部分の移行が単調になるのを防ぐ意味合いもあったように思われる。今回の舞台では、情景の端々に登場する人物の身ぶりが洗練された舞踊性を示していたのも印象的だった。
フランクフルト歌劇場の音楽総監督を務めるトーマス・グガイスが指揮するオーケストラの振幅に富んだ表現も感銘深い。グガイスは演出に呼応するかのように、要所ごとにルルを象徴する音列を抒情的に浮かび上がらせていた。《ルル》というオペラの多彩な人物と結びついていく音楽が、このルルの音列──ないし旋律──から導き出されていることを暗示するうえでも、このことは効果的だったのではないか。さらに、それによってオペラ全体を貫く音楽の流れが生まれていた。その流れは上演を重ねるごとに力強くなっていくだろう。
今回のツェルハ補筆完成版による上演では、第2幕第1場の後に休憩が入った。そこまでをルルの社会の底辺からの上昇の物語として捉え、シェーンの殺害とルルの逮捕という断絶を挟んで、その後を彼女の没落の物語として描こうとしていることが、後半の舞台の全体的に暗い色調からもうかがえる。とくに第3幕第2場の舞台には、ルルがロンドンの街娼に成り果てるまでに捨てたものを暗示するかのように、テーブルや椅子など、廃品となった調度品が山と積み上げられていた。そこに彼女が破滅させた男が、売春客と化して回帰する。

©Barbara Aumüller

幕切れ近くのシェーン博士の切り裂きジャックとしての登場には、音楽的にも、またドラマの展開のうえでも前半と後半が対称的に捉えられた今回の《ルル》の上演のもう一つの頂点があったと思われる。この場面を含め、ニールの歌唱と演技には鬼気迫るような迫力があったが、それは今回の上演の構成にとって重要な意味を持っていたのではないだろうか。もう一つ忘れがたいのが、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢の役を演じたクラウディア・マーンケの切々とした歌唱である。彼女の深い声も、舞台で独特の存在感を示していた。
今回のロシュキーによる演出では、ルルはシェーンの亡霊とも言うべきジャックによって刺殺されるが、ゲシュヴィッツ嬢は刺されない。ルルの脱獄のために身を捧げ、彼女にもう一つの愛の姿を伝えたこの人物は、息絶えたルルへ向けて立ったまま歌う。「私はあなたのそばにいる! そばに居続ける! 永遠に!」と。それに続く沈欝な三つの和音によってオペラが閉じられる。本来の筋を変えたこの結末は、むろん議論を呼ぶだろうが、ルルのそばにいるとはどういうことかという問いを観客に投げかけているように思えて印象深かった。
この先ゲシュヴィッツ嬢には多難な帰途が待ち受けているだろう。ルルのはかない命の刻(とき)が絶えた後、彼女とともにルルのそばに、また無数のルルたちのそばに立ち続けるとはどういうことだろうか。シェーンやシゴルヒらの亡霊が回帰し続けている社会のなかで。この問いを抱くとは、性の非対称的な関係にもとづく暴力が未だ蔓延し、多様な性を生きることに困難がまとわりつくことを止めていない今を、そこに生きる自分自身を情動の源から見つめ直すことにほかならない。その契機になりうる新しい《ルル》が、ツェルハ補筆による三幕版のドイツ初演(1979年10月14日)が行なわれたフランクフルトの地に生まれたことは喜ばしい。

(2024/12/15)

©Barbara Aumüller

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[STAFF]
Conductor: Tomas Guggeis
Director: Nadja Loschky
Set Designer: Katharina Schlipf
Costume Designer: Irina Spreckelmeyer
Lighting Designer: Jan Hartmann
Concept Adviser: Yvonne Gebauer
Dramaturge: Mareike Wink
[CAST]
Lulu: Brenda Rae
Dr. Schön/Jack the Ripper: Simon Neal
Alwa: AJ Glueckert
Gräfin Geschwitz: Claudia Mahnke
Artist/Punter: Theo Lebow
Animal Tamer/Athlete: Kihwan Sim
Schigolch: Alfred Reiter
Dresser/Schoolboy/Groom: Bianca Andrew
Prince/Valet/Marquis: Michael Porter
Theatre Director/Servant: Božidar Smiljanić
Dottore/Banker/Professor: Erik van Heyningen
15 year old Girl: Anna Nekhames
Her Mother: Katharina Magiera
Artisan: Cecelia Hall
Journalist/Clown: Leon Tchakachow
Anima: Evie Poaros
Frankfurt Opern & Museumsorchester