新国立劇場《ボリス・ゴドゥノフ》|大河内文恵
2022年11月20, 23日 新国立劇場 オペラパレス
2022/11/20, 23 New National Theater Tokyo
Reviewed by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種 (Kiyotane Hayashi)
<出演> →foreign language
ボリス・ゴドゥノフ:ギド・イェンティンス
フョードル:小泉詠子
クセニア:九嶋香奈枝
乳母:金子美香
ヴァシリー・シュイスキー公:アーノルド・ベズイエン
アンドレイ・シチェルカーロフ:秋谷直之
ピーメン:ゴデルジ・ジャネリーゼ
グリゴリー・オトレピエフ(偽ドミトリー):工藤和真
ヴァルラーム:河野鉄平
ミサイール:青地英幸
女主人:清水香澄
聖愚者の声:清水徹太郎
ミキーティチ/役人:駒田敏章
ミチューハ:大塚博章
侍従:濱松孝行
フョードル・聖愚者(黙役):ユスティナ・ヴァシレフスカ
新国立劇場合唱団
TOKYO FM 少年合唱団
東京都交響楽団
指揮:大野和士
演出:マリウシュ・トレリンスキ
同じ舞台を見ても、同じ音楽を聴いても、観衆1人1人の受け取りかたは異なる。こんな当たり前のことを心の底から実感した舞台だった。今回筆者は20日には4階席、23日には1階席にいたのだが、正反対の感想を抱いた。
トレリンスキ演出のこのプロダクションは舞台後方および左右の上の方にスクリーンが設置され、そこに随時映像が投影されているのだが、4階席からだとスクリーンの上半分がまったく見えないため、そこに何が映っているのかよくわからない。このオペラ自体がそもそも「場面毎の関連性が薄く、複雑な史実に大胆な省略が施されている」(公演パンフレット掲載の一柳富美子氏による「作品ノート」より)ため、ストーリーを追うのが難しく、頭の中が疑問符だらけになって集中できない。
さらに今回はフョードルを黙役が演じており、歌唱箇所は演技をしている俳優とは別の歌手が歌っている上に、フョードルが聖愚者を兼ねているために、フョードルの時にはメゾソプラノが歌っているが聖愚者の時にはテノールが歌っているというように、声が違うために混乱した(というよりも、そういう仕組みになっていることに、1回目には気づけないままだった)。
音楽が美しくオーケストラの演奏も歌手の歌も素晴らしいのだが、フョードル役の身体障碍の表現が直接的過ぎるように感じてしまい、ずっと後味の悪い飴を舐め続けているような落ち着かない感覚がぬぐえない。正直にいうと、これをもう一度見るのは厳しいなと思った。
3日後、1階席に座ると、スクリーンがすべて見える。あぁ、こういうことだったのかと演出の意図がよくわかってすっきりした。2度目なのでストーリーを必死で追いかける必要がなく、また先の展開や登場人物がわかっているために、もっと後で歌う場面が出てくるがそれより前から舞台上に出ている人が見つけられたり、子どもたちの場面がこう繋がってくるのかと理解でき、複雑なパズルがするすると解けていくよう。重層的に組み立てられたストーリーの構造がきっちり見えると、場面毎の関連性の薄さが気にならなくなり、逆に自分のなかでストーリーが繋がってくることが高揚感をもたらす。
繋がってくるのはストーリーだけでない。この作品ではライト・モチーフが使われ、同じ旋律が何度も出てきたり、同じ歌が別の文脈で歌われたりするのだが、その効果も実感できる。席が違うので単純比較はできないが、おそらく歌手の出来も23日のほうが良かったように思う。これならもう1回みたい(実際には26日は行けないのだが)と思うくらい2回目は堪能した。フョードル役の表現も2回目は気にならなかった。
舞台はなまものとよく言われる。ミュージカルや宝塚歌劇団、歌舞伎のファンは同じ演目を何度も見るという。それはファン心理として何度も見たい、1回1回少しずつ違うからそれを見届けたいというだけでなく、見る回数によって受け取り手もバージョンアップするため、前の時には気づかなかったことに気づくことができ、さらに違った感情を受け取ることができるからなのかと思い至った。複雑なものを単純化するのではなく、複雑なものを複雑なまま受け取るには、受け取る側に技量や度量、時には努力が必要となる。それらを不要と切り捨ててしまうことで、失われるものはなにか。
オペラは上演回数もミュージカルなどほど多くはない(それでもこのボリス・ゴドゥノフは5回公演だったので日本のオペラ公演としては多い方)し、チケット代も高価なので、何度も通うことへのハードルは高い。演劇の場合のようなリピーター割引制度などができたら、そのハードルも少しは下がるのではないかと思う。
人ひとりの想像力には限りがある。オペラに限らず、演劇やその他の上演芸術、映画やドラマなどの映像作品も含めて、それらはぎゅっと凝縮されているにしても、誰かの人生をともに生きることのできる時間である。その時間を一緒に泣いたり笑ったりすることによって得られるものは、1人1人の乏しい想像力を補ってくれるものであり、それぞれの人生を豊かにするものでもある。多様性が尊重され、時代が急速に進んで世代間の溝が深まるばかりの昨今、こうしたものの役割はこれまで以上に大きくなっているのかもしれない。
関連評:新国立劇場『ボリス・ゴドゥノフ』全4幕(本公演のための場面構成による)|柿木伸之
(2022/12/15)
Boris Godunov: Guido JENTJENS
Fyodor: KOIZUMI Eiko
Kseniya: KUSHIMA Kanae
Kseniya’s nurse KANEKO Mika
Prince Vasiliy Shuysky: Arnold BEZUYEN
Andrey Shchelkalov: AKITANI Naoyuki
Pimen: Goderdzi JANELIDXE
The Pretender under the name Grigory: KUDO Kazuma
Varlaam: KONO Teppei
Misail: AOCHI Hideyuki
The Innkeeper: SHIMIZU Kasumi
The Yuródivïy(voice): SHIMIZU Tetsutaro
Nikitich, a police officer(Hauptmann): KOMADA Toshiaki
Mitykha: OTSUKA Hiroaki
The Boyar in attendance(Leibbojar): HAMAMATSU Takayuki
Fyodor – The Yuródivïy(silent role): Jusatyna WASILEWSKA
Conductor: ONO Kazushi
New National Theater Chorus
TOKYO FM Boys Choir
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra
Production: Mariusz TRELIŃSKI