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新国立劇場『ボリス・ゴドゥノフ』全4幕(本公演のための場面構成による)|柿木伸之

新国立劇場『ボリス・ゴドゥノフ』全4幕(本公演のための場面構成による)
〈モデスト・ムソルグスキー作曲/ロシア語上演/日本語及び英語字幕付き〉
New National Theatre, Boris Godunov

2022年11月23日 新国立劇場オペラパレス
2022/11/23 New National Theatre, Tokyo, Opera Palace
Reviewed by 柿木伸之(Nobuyuki Kakigi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

〈スタッフ〉
【指揮】大野和士
【演出】マリウシュ・トレリンスキ
【美術】ボリス・クドルチカ
【衣裳】ヴォイチェフ・ジエジッツ
【照明】マルク・ハインツ
【映像】バルテック・マシス
【ドラマトゥルク】マルチン・チェコ
【振付】マチコ・プルサク
【ヘアメイクデザイン】ヴァルデマル・ポクロムスキ
【舞台監督】髙橋尚史
〈キャスト〉
【ボリス・ゴドゥノフ】ギド・イェンティンス
【フョードル】小泉詠子
【クセニア】九嶋香奈枝
【乳母】金子美香
【ヴァシリー・シュイスキー公】アーノルド・ベズイエン
【アンドレイ・シチェルカーロフ】秋谷直之
【ピーメン】ゴデルジ・ジャネリーゼ
【グリゴリー・オトレピエフ(偽ドミトリー)】工藤和真
【ヴァルラーム】河野鉄平
【ミサイール】青地英幸
【女主人】清水華澄
【聖愚者の声】清水徹太郎
【ニキーティチ/役人】駒田敏章
【ミチューハ】大塚博章
【侍従】濱松孝行
【合唱指揮】冨平恭平
【合唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】TOKYO FM少年合唱団
【管弦楽】東京都交響楽団

 

「おお残酷な良心よ、何と恐ろしい罰を与えるのか」。第二幕の終わりで語られるこのボリスの独白に、新国立劇場でのムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』の上演の焦点があったのかもしれない。今回演出を担当したマリウシュ・トレリンスキは、一方で主人公の良心の呵責を突き詰める。それは、帝位継承者と目されていた幼少のドミトリー皇子を死に至らしめるのに極まるかたちで、政敵を力で葬り去ってきたことから来ている。ボリス・ゴドゥノフはみずからの暴虐によって、心に癒やしがたい傷を負ってしまった。

その後も人として生きようとするなら、オペラのプロローグで帝位に就いたボリスの場合、「国父」であるような君主であり、かつ自身の幼い後継者フョードルの父親にふさわしい人物であろうとするなら、心を傷つけた記憶が否応なく甦ってくるのにさらされ続けなければならない。トレリンスキの演出は、映像を駆使し、死んだ皇子の幻影などとして現われるボリス・ゴドゥノフのトラウマの回帰を仮借なく描く。このとき、大野和士が指揮する東京都交響楽団の響きも、嵐のような激しさを示していた。

それでもなお良心を手放さないなら、その呵責によって破滅せざるをえない。罪の意識に苛まれながら猜疑心を募らせた果てにボリスは横死する。その過程をドラマの焦点にするために、演出家は人物の設定を大きく変えた。聖愚者とフョードルを一つにし、障碍を背負う息子として登場させたのだ。彼は父親のトラウマを負って生まれた聖愚者である。それゆえつねに介護を必要としながら、トラウマの真実を知っている。そのような立場を懸命に生きる彼は、今回の上演の第三幕の終わりでその真実、すなわち父親の罪を突きつけるのだ。

こうして断罪されるさまは、フランツ・カフカの「判決」の逆転した姿のようでもあるが、今回の舞台におけるボリスは、カフカの小説の主人公のように死を選ぶことはない。あるいは本来の台本にあるように、消耗の末に死ぬこともない。ドミトリー皇子を僭称するようになった修道僧グリゴリーに率いられた反乱軍が迫るなか、フョードルを殺害し、最後には偽皇子に煽動された人々によって虐殺される。そのことが象徴するかたちでグリゴリーが実際に権力を握る点も、今回の上演における筋の大きな変更を示すものである。

そこへドラマを展開させるために演出家は、舞台を華やかに彩るポロネーズを含んだポーランドの場面をすべて削除した。今回の上演に、グリゴリーと結婚するマリーナ・ムニーシェクは登場しない。辺境の居酒屋で捜索の手を逃れたグリゴリーは、不満を抱く人々を巻き込みながらまっすぐにモスクワへ向かう。そして、困窮した民衆によって歓迎された彼は、煽られた民衆が暴徒と化し、ボリスと彼を支えてきた貴族を虐殺するさまを悠々と眺めるのである。その姿は、血に染まった舞台以上に戦慄を催すものだった。

ここにもう一つの焦点として浮かび上がるのは、現代の混乱のなかで権力を握る者の正体である。偽ドミトリーのいかにも人工的な威光は、権勢なるものが今日、ディジタルな情報によって作られていることを感じさせずにはおかない。その操作によって、人々は容易に束ねられ、一線を越えて途方もない暴力を振るうに至る。今回のトレリンスキの演出は、このことの現実性を生々しく描き出すものでもあった。それは、オペラの最終場面において偽ドミトリーに歓呼の声を上げる民衆の行動の可能な解釈を示すものと思われる。

この解釈は、オペラの背景にあるロシア史上の「大動乱(スムータ)」を、徹底的に現代の動乱として捉え返すものと言える。ボリスは、空々しさを覚える戴冠式に、戦時の──どこか一時代前の感じを与える──権力者として姿を現わし、修道僧たちも現代の「宗教」の信者のように務めを果たす。貴族が資本主義社会の「ビジネス」で一定の地位を得た者であるのは言うまでもない。こうした人々とその不安につけ込む煽動者に振り回される民衆の姿を、間近にありうるものとして描ききった点で、今回の舞台は重く心に残る。

それは、『ボリス・ゴドゥノフ』というオペラにいくつもの異稿があり、上演のたびに場面構成が変えられてきたことを最大限に活用するものだったとも言えよう。こうしてかなり踏み込んで筋を読み替え、人物の設定も大きく変更してもなお、今回の上演がオペラとしての求心力を保てたのは、時に爆発的なまでの力を顕わし、時に一つの深淵であるような陰翳を湛えた哀歌を響かせるムソルグスキーの音楽の力が、大野の指揮によって引き出されていたからだろう。重要な役どころを歌った歌手たちの歌唱も説得的に響いた。

なかでも、密かに年代記を綴る修道僧ピーメンの役を歌ったゴテルジ・ジャネリーゼの声の力強さは印象的だった。ピーメンは、ボリスを帝位から追い落とそうという野望を抱く人物であるが、彼はそれを裏づけるものも握っている。そのような力を感じさせる歌唱だった。今回の舞台でピーメンは、グリゴリーの手先によって惨殺されるが、この出来事は、現代の煽動が歴史の殺害を含んでいるのを暗示するようにも見えて衝撃的だった。他方でボリス役のギド・イェンティンスの歌唱も、トレリンスキの演出にふさわしいものだった。

イェンティンスの声が充分に力強い一方で、繊細な影を含んでいて、トラウマに苛まれ、反乱が迫り来るのに怯える弱さを伝えている点も心に残る。合唱も見事なアンサンブルで集団の力を響かせていた。その一方で、ムソルグスキーの音楽の源にある民衆の嘆きを、声として聴きたかったという思いも拭えない。たしかに舞台の陰から響いた聖愚者の嘆きの歌は、民衆の声を象徴するものと言えよう。だが、民衆の絶望的な叫びの倍音としても響くべきその嘆きが、集団の暴力が跋扈するなかに埋もれた感も否めない。

もちろん、そのありさまを突きつけることによって、上演の方向性は貫かれたと言える。今回の演出は、現代のオペラとしての『ボリス・ゴドゥノフ』の凝縮された姿を示すことに成功していた。映像と光の囲いを巧みに用いたボリス・クドルチカの美術は、洗練された作品像を浮かび上がらせるものだった。ポーランド国立歌劇場との共同制作による今回のプロダクションは、作品の上演史に刻まれるにちがいない。このような説得力を示す一方で、オペラの基底にある歌をどのように響かせるかという問いを残した上演と思われる。

関連評:新国立劇場《ボリス・ゴドゥノフ》|大河内文恵

(2022/12/15)


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柿木伸之(Nobuyuki Kakigi)
二十世紀のドイツ語圏を中心に哲学と美学を研究する傍ら芸術批評を手がける。著書に『燃エガラからの思考──記憶の交差路としての広島へ』(インパクト出版会、2022年)、『断絶からの歴史──ベンヤミンの歴史哲学』(月曜社、2021年)、『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』(岩波新書、2019年)などがある。訳書に『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(アルテスパブリッシング、2016年)などがある。現在、西南学院大学国際文化学部教授。ウェブサイト:https://nobuyukikakigi.wordpress.com

[CREATIVE TEAM]
Conductor: Kazushi ONO
Production: Mariuz TRELIŃSKI
Set Design: Boris KUDLIČKA
Costume Design: Wojciech DZIEDZIC
Lighting Design: Marc HEINZ
Video Design: Bartck MACIAS
Dramaturg: Marcin CECKO
Choreographer: Maćko PRUSAK
Hair & Make-up Design: Waldemar POKROMSKI
Stage Master: Naohito TAKAHASHI

[CAST]
Boris Godunov: Guido JENTJENS
Fyodor: Eiko KOIZUMI
Kseniya: Kanae KUSHIMA
Ksenya’s Nurse: Mika KANEKO
Prince Vasily Shuysky: Arnold BEZUYEN
Andrey Shchelkalov: Naoyuki AKITANI
Pimen: Goderdzi JANELIDZE
The Pretender under the Name of Grigory: Kazuma KUDO
Varlaam: Teppei KONO
Misail: Hideyuki AOCHI
The Innkeeper: Kasumi SHIMIZU
The Yuródivíy (Voice): Tetsutaro SHIMIZU
Nikitich, a Police Officer: Toshiaki KOMADA
Mityukha: Hiroaki OTSUKA
The Boyar in Attendance (Leibbojar): Takayuki HAMAMATSU
Fyodor – The Yuródivíy (Silent Role): Justya WASILEWSKA
Chorus Master: Kyohei TOMIHIRA
Chorus: New National Theatre Chorus
Children Chorus: TOKYO FM Boys Choir
Orchestra: Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra