サントリーホールサマーフェスティバル2022 8/22~26|齋藤俊夫
サントリーホールサマーフェスティバル2022 8/22~26
Suntory Hall Summer Festival 2022 8/22~26
2022年8月22~26日 サントリーホール大ホール/ブルーローズ
2022/8/22~26 Suntory Hall Main Hall/Blue Rose
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 池上直哉(8/22,24,25,26)、飯田耕治(8/23)/写真提供:サントリーホール
ザ・プロデューサー・シリーズ クラングフォルム・ウィーンがひらく
♩8/22 大アンサンブル・プログラム―時代の開拓者たち―
♩8/23 室内楽プログラム「ウィーンの現代音楽逍遥」(第1夜)―クラングフォルムのFamily Tree―
♩8/25 室内楽プログラム「ウィーンの現代音楽逍遥」(第2夜)―ウィーンは常動する―
♩8/26 クセナキス100%(クセナキス生誕100周年プログラム)
テーマ作曲家 イザベル・ムンドリー
♩8/24 室内楽ポートレート(室内楽作品集)
♩8/22 大ホール
ザ・プロデューサー・シリーズ クラングフォルム・ウィーンがひらく
大アンサンブル・プログラム―時代の開拓者たち―
<演奏> →foreign language
指揮:エミリオ・ポマリコ
クラングフォルム・ウィーン
打楽器:ルーカス・シスケ(*)
スペシャル・サポートメンバー
クラリネット:東紗衣、サクソフォーン:大石将紀、ホルン:豊田万紀
トランペット:奥田敏雄/金子美保、トロンボーン:村田厚生、テューバ:坂本光太
打楽器:大家一将/高瀬真吾、ハープ:篠﨑和子、チェレスタ:深見まどか
ヴァイオリン:城戸かれん、ヴィオラ:須田祥子、チェロ:上村文乃
コントラバス:佐藤洋嗣
<曲目>
ヨハネス・マリア・シュタウト:『革命よ、聴くんだ(ほら、仲間だろ)』アンサンブルのための(2021)(日本初演)
ミレラ・イヴィチェヴィチ:『サブソニカリー・ユアーズ』アンサンブルのための(2021)(日本初演)
塚本瑛子『輪策赤紅、車輪(ラートラートロートレッド、レーダー)』大アンサンブルのための(2017)(日本初演)
武満徹『トゥリー・ライン』室内オーケストラのための(1988)
ゲオルク・フリードリヒ・ハース:『ああ、たとえ私が叫ぼうとも、誰が聞いてくれよう…』打楽器とアンサンブルのための(1999)(日本初演)(*)
フィンガーシンバル、弦を押えてのピアノ、弦楽のハーモニクスなどでの息苦しく始まったシュタウト『革命よ、聴くんだ(ほら、仲間だろ)』、しかしそこから紡ぎ出されていく音楽は存外に〈普通の現代音楽〉である。その後、手を変え品を変えとばかりに楽想が変化し続けるのだが、それらのベクトルが一致せず、何を聴いたらいいのかわからない。作曲者としてはそのように永続的に起き続ける変化こそが革命なのかもしれないが、筆者はそのような革命像にも、その音楽にも首肯することはできなかった。
イヴィチェヴィチ『サブソニカリー・ユアーズ』ラッヘンマンばりのかすれた噪音によるアンサンブルに、アコーディオンがドローンのように鳴り続けている。そこにバスフルートとクラリネットが悠揚迫らぬ響きを広げる。全員で噪音ではなく楽音でロングトーン、安らぐ。そこに細かな断片が挟み込まれるのも、聴くことを強制されなくてもこちらから聴こうとしてしまう求心力に満ちた音楽。古典的和声なども使われていたようだが、最後に薄明の中に消えゆくまでじっと聴き込んだ。
塚本瑛子『輪策赤紅、車輪(ラートラートロートレッド、レーダー)』、急速に混乱したような合奏→ゲネラルパウゼ→また急速な混乱→ゲネラルパウゼというパターンを繰り返すが、毎回そのアンサンブルの中身が異なっている。従って落ち着こうとしても落ち着けない。ある種暴力的とも言える、耳を逆なでするようなアンサンブルが延々と最後まで続く。怖かった。この怖さは確かに個性の現れであろう。
武満後期の『トゥリー・ライン』は実に甘い! そしてアンサンブルの音に色彩を感じる!色彩というよりこれは色気のような……。オーボエが一旦舞台袖に引っ込んでそこから音を送るという場面展開も筆者は知らなかったが、実に面白い。楽器の音が生来持つ味、色(気)を極限にまで引き出す武満とクラングフォルム・ウィーンの術策に完璧にはめられた。
ハース『ああ、たとえ私が叫ぼうとも、誰が聞いてくれよう…』音が作り出す灰色の靄が実に息苦しく、耳と鼻になにかが入ってきているよう。その靄の中で鋭く光る金属打楽器が痛い。何かに怒り抗うかのような音楽。微分音的に蠢き呻き、破壊的なトゥッティの後、ディミヌエンドしつつ音が断片化していき、ハラハラと四散して終曲を迎える。ポリティカルでポレミカルな、挑む音楽だと聴いた。
♩8/23 ブルーローズ →foreign language
ザ・プロデューサー・シリーズ クラングフォルム・ウィーンがひらく
室内楽プログラム「ウィーンの現代音楽逍遥」(第1夜)―クラングフォルムのFamily Tree―
<曲目・演奏>
ゲオルク・フリードリヒ・ハース:『光のなかへ』ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための(2007)
ヴァイオリン:ソフィー・シャフライトナー、チェロ:ベネディクト・ライトナー、ピアノ:フローリアン・ミュラー
サルヴァトーレ・シャリーノ:『夜の果て』ソロ・チェロのための(1979)
チェロ:ベネディクト・ライトナー
レベッカ・サンダース:『行きつ戻りつ』ヴァイオリンとオーボエのための(2010)
ヴァイオリン:グンデ・イェッヘ=ミッコ、オーボエ:マルクス・ドイター
オルガ・ノイヴィルト:『夜と氷のなかで』ファゴットとアコーディオンのための(2006/07)
ファゴット:ローレライ・ダウリング、アコーディオン:クラシミール・ステーレフ
エンノ・ポッペ:『汗』ソロ・チェロ、バス・フルート、バス・クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラのための(2010)
チェロ:ベネディクト・ライトナー、バス・フルート:齋藤志野、バス・クラリネット:ベルンハルト・ツァッハフーバー
ヴァイオリン:グンデ・イェッヘ=ミッコ、ヴィオラ:ポール・ベケット
フリードリヒ・チェルハ:『4つのパラフレーズ』オーボエ、チェロ、ピアノのための(2011)
オーボエ:マルクス・ドイター、チェロ:ベネディクト・ライトナー、ピアノ:フローリアン・ミュラー
ジョルジュ・アペルギス:『夜のない日』ソロ・コントラフォルテのための(2020)(演奏世界初演)
コントラフォルテ:ローレライ・ダウリング
ベルンハルト・ラング:『シュリフト3』ソロ・アコーディオンのための(1997)(日本初演)
アコーディオン:クラシミール・ステーレフ
ベアート・フラー:『ピアノ四重奏曲』(2020)(日本初演)
ヴァイオリン:ソフィー・シャフライトナー、ヴィオラ:ポール・ベケット
チェロ:ベネディクト・ライトナー、ピアノ:フローリアン・ミュラー
ハース『光のなかへ』ごく短い作品。力強いチェロとピアノの初弾が延びるところにヴァイオリンがメロディを絡ませる。3人でうねうねと苦しそうに絡まり合うその雰囲気はベルク的と言えるかもしれない。ピアノがクレシェンドしながらの上行でかき消え、チェロを轟々と奏でた後、チェロのハーモニクスで終曲。
シャリーノ『夜の果て』、いつものシャリーノらしく微細な音の変化を超弱音で聴かせる。しみじみと音(楽)の美しさを味わう……このかすれた音は朧月夜のようだ……。チェロの音が儚く消えゆくまで味わい尽くした。
サンダース『行きつ戻りつ』、明確なメロディはなく、グリサンドさせたロングトーンとトリルを多用し、ヴァイオリンとオーボエがお互いに探り合って音を出しているかのよう。原因不明の絶妙な豊かさと緊張感に、協和・不協和ではなく、お互いの音の〈距離〉がこの音楽を作っていると聴いた。
ファゴットとアコーディオンという珍しい編成のノイヴィルト『夜と氷のなかで』、同音連奏やトリルによる激しい動きがポップかつ毒を持っている。心がざわつく。このポップさと毒は日本の山根明季子に通じるものがあるかもしれない。跳ね回ったり、粘ついたりしても、やはりポップで毒。最後のトリルは強迫的に。
ポッペ『汗』、タイトルが含意するところがよくわからない。チェロが追分節のような上下行あるフリーリズムを奏でる。バス・クラリネットとバス・フルートも加わってもやはり追分節のよう。追分節のようにしみじみするのではなく、禅問答をふっかけられているかのような答えの見えない合奏が展開する。どこにも着地しない。終曲部はヴァイオリンとヴィオラが2回ロングトーンを奏でて(この2人はここでしか登場しない)、チェロが「何故?何故?何故?」と日本語で尋ねているようなフレーズを繰り返して了。謎過ぎる。
チェルハ『4つのパラフレーズ』はショパン、ヴェルディ、ドヴォルジャーク、ヨハン・シュトラウスなどからの引用を用いた4曲からなる作品。表現主義的な第1曲、こじゃれた雰囲気の第2曲、ユーモレスクがえらく不気味に響く第3曲、不吉な陽気さの第4曲と、バラエティに富んだ音楽に作曲者の非凡な感性がうかがえた。
アペルギス『夜のない日』、コントラフォルテなるコントラファゴットの改良型楽器の独奏曲である。軽快なのか鈍重なのかわからず、快速とも千鳥足ともとれる音楽にこちらの頭が混乱してくる。楽器の音色、音符の数、音楽の運動、特殊奏法の効果、etc.なにもかもが過剰な作品であった。
ラング『シュリフト3』、アコーディオンの音色と素早い動きがゲーム音楽のようなポップさを帯びているが、素早いを通り越して痙攣的になり、病的になる、または狂気を帯びてくる。経時的構造があるのかないのか判明しないが、少なくとも筆者には構造が見つからず、聴いていて迷子になってしまったところで突然に終わる。
フラー『ピアノ四重奏曲』は「コッ」「シャアッ」「ピーッ」「キッ」「ヒゥ」「ケーッ」といった感じの特殊奏法雨あられで始まる。通常奏法で音が密になる所と、特殊奏法で音が疎になる所がモザイク状に組み合わされている。ヒステリックに弦楽が弦を擦りまくったりピアノがトリルを狂ったように奏でる所など、耳を聾する箇所もある。最後は弔鐘を鳴らすようにピアノが弾かれて終わる。なんというか、色々と盛りだくさんの音楽であった。
♩8/24 ブルーローズ →foreign language
テーマ作曲家 イザベル・ムンドリー 室内楽ポートレート
<曲目・演奏>
(全てイザベル・ムンドリー作品)
『時の名残り』クラリネット、アコーディオン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための(2000)
クラリネット:上田希、アコーディオン:大田智美、ヴァイオリン:成田達輝
ヴィオラ:安達真理、チェロ:山澤慧
『誰?』フランツ・カフカ断章 ソプラノとピアノのための(2004)
ソプラノ:太田真紀、ピアノ:大宅さおり
『リエゾン』クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための(2007~09)
クラリネット:上田希、ヴァイオリン:成田達輝、チェロ:山澤慧、ピアノ:大宅さおり
『バランス』ソロ・ヴァイオリンのための(2006)
ヴァイオリン:成田達輝
『いくつもの音響、いくつもの考古学』バセット・ホルン、チェロ、ピアノのための(2017/18)
バセット・ホルン:上田希、チェロ:山澤慧、ピアノ:大宅さおり
『時の名残り』、音の扱いが禁欲的なのに激しく響くという逆説的音楽。アコーディオンの和音が土台となってその上で各楽器が険しい音楽を奏でる。1音たりとも動かせない峻厳たる音楽は、答えのない問いを追求して禅僧が壁に向かって座禅をし続けるかのよう。アコーディオンのディミヌエンドからタップ音まで消え行き、終曲。
『誰?』この作品は怖かった。母音なしで子音を延ばす、歌うのではなく歌詞を読む、とてつもなく長い発声、途切れ途切れに歌詞を歌う、口を覆って歌う、などの技法によって表出された音楽世界が恐ろしいことこの上ない。カフカのテクストの残酷な不条理にふさわしい音楽は残酷で不条理にならざるを得ないわけで、そこは正攻法と言えるのだが……しかし怖い!
『リエゾン』タイトルの”Liaison”は「(恋愛)関係」あるいは「情事」を意味するドイツ語。ベルクのように情念的に乱れる、ようで、その情念を飾り立てる色気のようなものは皆無。激情的だが、1つ1つの音に冗句などの無駄が全くなく完璧に配されている。奏でられるべき音だけが奏でられる、そこに音楽の倫理とでも言うべきものを感じた。
『バランス』重音のハーモニクスに始まってヴァイオリンが縦横に運動するのが、禁欲的な豊穣とでも言うべき逆説的音楽。この作品でも音楽の倫理、あるいは宗教的な当為の感覚について考えさせられた。音楽が音楽以外の何かになろうとするのをかたくなに拒む、その音楽的態度に倫理や宗教の意識が喚起される。
『いくつもの音響(サウンズ)、いくつもの考古学(アルケオロジーズ)』この作品もプログラムノートの冗舌さとは反対な禁欲的音楽。ムンドリーのこの徹底して音楽を音楽以外の何かになるのを禁ずる姿勢は、音楽を厳粛で完成されたものとするのと表裏一体的に、音楽を自閉的な営みとしてしまうきらいもあると感じた。音楽は音楽でしかない、その自同律から生み出されるものは外部を消し去ってしまう。
22日から24日までのこれら3公演に満足しつつも感じた違和感というか、寂しさのような感覚は上記のムンドリーの徹底した禁欲主義への疑問にまとめられるだろう。音楽とは音楽でしかない、ので良いのだろうか? 音楽とはもっと猥雑で、色んなものを含んだものだったのではないだろうか?
この問いかけに答えてくれたのは25日の公演であった。
♩8/25 ブルーローズ →foreign language
ザ・プロデューサー・シリーズ クラングフォルム・ウィーンがひらく
室内楽プログラム「ウィーンの現代音楽逍遥」(第2夜)―ウィーンは常動する―
<演奏>
指揮:エミリオ・ポマリコ
ソプラノ:カロリーネ・メルツァー(*)
クラングフォルム・ウィーン
<曲目>
ヨハン・シュトラウスII世(シェーンベルク編曲):『皇帝円舞曲』作品437(1888/1925)
アントン・ヴェーベルン:室内オーケストラのための6つの小品 作品6(1909/20)
アルバン・ベルク(ワーヘナール編曲):『アルテンベルク歌曲集』作品4(室内アンサンブル用編曲)(1912/85)(*)
アルノルト・シェーンベルク(グライスレ編曲):5つの管弦楽曲 作品16(室内オーケストラ用編曲)(1909/25)
グスタフ・マーラー(グラール編曲):『子供の不思議な角笛』より「番兵の夜の歌」(室内アンサンブル用編曲)(1892/2021)(日本初演)(*)
グスタフ・マーラー(ティドロー編曲):『子供の不思議な角笛』より「この世の生活」「塔の中の囚人の歌」(1892~93/2021)(1898/2021)(日本初演)(*)
最初の『皇帝円舞曲』を聴いて、「これですよ、これ」と筆者は思い切り喜んでしまった。ユーモアだかアイロニーだかわからないが、心を正負両方向に沸かせる音楽。見事な管弦楽法が「美」「快」ではないどこかを向いているのに刺激的で叙情的で官能的で……とにかく連日サントリーホールにおもむいて筆者がこれまで得られなかったものがここにあった。
となると次のヴェーベルン『室内オーケストラのための6つの小品』も気になるが……ヴェーベルンがこんなに感情的な音楽を書くとは……! 録音媒体で聴いたことはあるはずだが、今回改めて驚かされた。
第1曲に溢れる詩情。第2曲の厳しい遊び心、とでも言うべき快と戒のせめぎ合い、そこから激情へとなだれこむ。ヴァイオリンとハルモニウムとフルートとクラリネットと弦楽と……とにかく音の受け渡しが完璧な第3曲。打楽器の轟音が作曲者の母の葬儀の悲しみを直截的に表現する第4曲。そこから墓参りの寂しさを湛えた第5曲。第6曲では悲しみとともにやり場のない怒りが表出され、孤独に満ちた終結を迎える。
ヴェーベルンに負けじとベルクの『アルテンベルク歌曲集』である。ソプラノのカロリーネ・メルツァーの歌唱力とクラングフォルム・ウィーンの技術精度が高すぎる。第1曲の序奏の時点で凄いが、第2曲では貫禄の歌唱に圧倒され、第3曲では表出力の強さと音の情報量の多さで気が遠くなりそうに、第4曲はひたすら恐怖、”Hier ist Friede!”(ここに安らぎがある!)という歌詞の第5曲のどこに安らぎがあったというのか? 実に異次元の体験をした。
新ウィーン楽派3巨匠、最後に親玉格のシェーンベルク『5つの管弦楽曲』である。第1曲、ケッタイ過ぎる。なにもかもが狂っている。それも計算し尽くした狂気。安キャバレーで盛り上がるような陽気さがタマラン。第2曲で安らいで……いいのか? これは安らげる音楽なのか? 安らいでいたら突然後ろから刺されるとか嫌な展開が待っていないか? 第3曲、冒頭の和音からして不穏だ。もやに包まれて苦しくなる、その前に気が遠くなるような……。第4曲は激情的なイントロから、破壊的なのに秩序立っており、そして獰猛な音楽が展開。さらに第5曲は遊び心に満ちた対位法的音楽のように見せかけて、音楽に取り憑かれて狂った者による遊び。聴くだに危険。
新ウィーン楽派の源流として取り上げられた(のであろう)マーラー『子供の不思議な角笛』。蛙や鳥の鳴き声を模した音に包まれての第1曲は確かにえらく表現主義的。マーラーの危険な側面を思う存分炙り出してくれる。第2曲は不幸な歌詞に対してアンサンブルがやけに派手。音がトニックへとたどり着く度に寿命が縮む気がする。第3曲、囚人なのに貫禄たっぷり、乙女なのに妙に歪んだ歌唱。なにより堂々たる終結を迎えるのが不条理だ。
今回のサマフェスの前半で出会った作品群に足りなかったのは人間という感情的存在が孕まざるを得ない〈濁り〉ではなかっただろうか。25日の新ウィーン楽派とマーラーの表現主義作品で表出された感情に含まれる人間的な〈濁り〉、それは人間という存在にとって計算不能な過剰部分であり、平衡を乱す力である。今回筆者が感じたのは、洋の東西を問わず、現代音楽から、もしかすると世界からこの〈濁り〉が失われている、そういうことなのかもしれない。
♩8/26 大ホール →foreign language
ザ・プロデューサー・シリーズ クラングフォルム・ウィーンがひらく
クセナキス100%(クセナキス生誕100周年プログラム)
<曲目・演奏>
(全てヤニス・クセナキス作曲)
『ペルセファッサ』6人の打楽器奏者のための(1969)
打楽器:イサオ・ナカムラ、ルーカス・シスケ、ビョルン・ヴィルカー、神田佳子、前川典子、畑中明香
バレエ音楽『クラーネルグ』オーケストラとテープのための(1968~69)
指揮:エミリオ・ポマリコ
クラングフォルム・ウィーン
音響デザイン:ペーター・ベーム
スペシャル・サポートメンバー:打楽器:高瀬真吾
筆者が今年のサマフェスで行くことができた最後の日である26日の『クセナキス100%』はなんたる贅沢な演奏会であったことか。
会場に矢倉を組んで6グループがグルっと配置された『ペルセファッサ』、冒頭はトムトムなどの膜鳴打楽器が会話するように「ポンポンポン……」「トントントン……」と鳴り続ける。ある種牧歌的な音響空間に安心していたら、次第に音が密になっていって大変なことに。星雲から恒星が生まれるようだ。テンポが遅くなって、大型の膜鳴打楽器がドカン!ドカン!ドカン!のユニゾンをがなり立てる。次第にユニゾンからズレていき、テンポも早くなっていく。いくつものゲネラルパウゼによって分断された連打とその残響によって空間にフワフワと打楽器の音が揺らめく。良けれ良けれ、などと思っていたらいつの間にか金属打楽器、膜鳴打楽器、木鳴打楽器が6方からこれでもかこれでもかと音を轟かせて大変なことに。皆でホイッスルを吹いてその場を切り抜け、ホイッスルで奏者が呼応して即興的な場面に入る。さらに打楽器の音は止まず、奏者6人のずば抜けた技量により、膜鳴打楽器、金属打楽器、木鳴打楽器が何重もの層がある渦を作ってグルグルと高速回転をする! 渦の速度が限界に達したところでホイッスルとウインドマシーンが鳴り、最後の大乱打で終曲。
圧倒的であった。特に最後の6人打楽器高速回転はクセナキスにしか書けず、またこれが可能な打楽器奏者を集め、これが可能なホールで演奏するよう手配するのは至難の業であろう。実に贅沢で得難い体験をした。
オーケストラとテープのためのバレエ音楽『クラーネルグ』、これはまた人智を超えた世界が現実世界と接触するのに立ち会うような体験であった。生演奏とテープが交互に現れる序盤から、儀式めいたおどろおどろしい雰囲気に包まれている。どこかに生贄がいるのではないかと思わずあたりを見回すほどに。生演奏が現実界、テープ音楽が異界、と思っていたが、よく聴くと生演奏もテープ音楽と等しく不条理的、あるいは超現実主義的、それとも人間以上の何モノかの論理で動いているよう。いつの間にかその不条理・超現実・何モノかの論理にのっとった音の中に情緒を見出している自分に気づく。生演奏の管楽器が割れ鐘のように不協和音を吹き鳴らし、弦楽器が異常に歪んだグリサンドを奏するのもまた心地良くなってくる。さらにはクセナキス以外ではあり得ない、どうやって作るのか音色の段階で謎過ぎるテープ音楽に安らぎを見出す。もはや自分は人間をやめているのか? 少なくとも演奏会が始まる前とは色々な感覚が異質なものに変貌している。そんなクセナキス・サウンドにどっぷり75分間浸かりきるという贅沢極まりない体験を堪能しつくした。
筆者にとっては一種特別な作曲家であるクセナキスの真髄を蕩尽するこの『クセナキス100%』、どこを取っても感嘆と賛嘆しか浮かばない極上の企画であった。
(2022/9/15)
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♩8/22 Main Hall
The Producer Series KLANGFORUM WIEN Large Ensemble Program – Pioneers toward the Future –
<players>
Conductor: Emilio Pomàrico
Klangforum Wien
Percussion: Lukas Schiske(*)
Special Support Members
Cl:Sae Higashi, Sax:Masanori Oishi, Hr:Maki Toyoda, Tp:Toshio Okuda/Miho Kaneko, Tb:Kousei Murata, Tuba:Kota Sakamoto, Perc: Kaumasa Ohya/Shingo Takase, Hp:Kazuko Shinozaki, Celesta:Madoka Fukami, Vn:Karen Kido, Vla:Sachiko Suda, Vc:Ayano Kamimura, Cb:Yoji Sato
<pieces>
Johannes Maria Staud: Listen, Revolution (We’re buddies, see -) for Ensemble
Mirela Ivičević: Subsonically Yours for Ensemble
Eiko Tsukamoto: rad rat rot red, räder for Large Ensemble
Toru Takemitsu: Tree Line for chamber Orchestra
Georg Friedrich Haas: Wer, wenn ich schriee, hörte mich… for Percussion and Ensemble(*)
♩8/23 Blue Rose
The Producer Series KLANGFORUM WIEN Chamber Music I -Family Tree of Klangforum-
<pieces & players>
Georg Friedrich Haas: ins Licht for Violin, Cello and Piano
Vn: Sophie Schafleitner, Vc: Benedikt Leitner, Pf: Florian Müller
Salvatore Sciarrino: Ai limiti della notte for Cello Solo
Vc: Benedikt Leitner
Rebecca Saunders: To and Fro for Violin and Oboe
Vn:Gunde Jäch-Micko, Ob:Markus Deuter
Olga Neuwirth: In Nacht und Eis for Bassoon and Accordion
Bassoon: Lorelei Dowling, Acc: Krassimir Sterev
Enno Poppe:Schweiss for Cello Solo, Bass Flute, Bass Clarinet, Violin and Viola
Vc: Benedikt Leitner, Bass Fl: Shino Saito, Bass Cl: Bernhard Zachhuber, Vn:Gunde Jäch-Micko, Va:Paul Beckett
Friedrich Cerha: 4 Paraphrasen for Oboe, Cello and Piano
Ob: Markus Deuter, Vc:Benedikt Leitner, Pf: Florian Müller
Georges Aperghis: Tag ohne Nacht for Contraforte Solo
Contraforte: Lorelei Dowling
Bernhard Lang: Shrift 3 for Accordion Solo
Acc: Krassimir Sterev
Beat Furrer: Piano Quartet
Vn: Sophie Schafleitner, Va:Paul Beckett, Vc: Benedikt Leitner, Pf: Florian Müller
♩8/24 Blue Rose
Theme Composer ISABEL MUNDRY Chamber Music Portrait
<Pieces & Players>
(All pieces are composed by Isabel Mundry)
Traces des moments for Clarinet, Accordion, Violin, Viola and Cello
Cl: Nozomi Ueda, Acc: Tomomi Ota, Vn: Tatsuki Narita, Va:Mari Adachi, Vc: Kei Yamazawa
“Wer?” nach Fragmenten von Franz Kafka for Soprano and Piano
Sp:Maki Ota, Pf:Saori Oya
Liaison for Clarinet, Violin, Cello and Piano
Cl: Nozomi Ueda, Vn: Tatsuki Narita, Vc: Kei Yamazawa, Pf: Saori Oya
Balancen for Violin Solo
Vn: Tatsuki Narita
Sounds, Archeologies for Basset-Horn, Cello and Piano
Basset-Horn: Nozomi Ueda, Vc: Kei Yamazawa, Pf: Saori Oya
♩8/25 Blue Rose
The Producer Series KLANGFORUM WIEN Chamber Music II -Das Neue Wien-
<players>
Conductor: Emilio Pomàrico
Soprano: Caroline Melzer(*)
Klangforum Wien
Special Support Members
Perc:Shingo Takase, Sawako Yasue
<pieces>
Johann Strauss Jr (arr. Arnold Schoenberg): Kaiser – Walzer, Op.437 (arr. for Chamber Ensemble)
Anton Webern: Six Pieces for Chamber Orchestra, Op.6
Alban Berg (arr. Diderik Wagenaar): Altenberg Lieder, Op.4(*)
Arnold Schoenberg (arr. Felix Greissle): Five Pieces for Orchestra, Op.16 (arr. for Chamber Orchestra)
Gustav Mahler (arr. Trevor Grahl) :”Der Schildwache Nachtlied” from Des Knaben Wunderhorn (arr. for Chamber Ensemble)(*)
Gustav Mahler (arr. Thierry Tidrow) :”Das irdische Leben”, “Lied des Verfolgen im Turm” from Des Knaben Wunderhorn (arr. for Chamber Ensemble)(*)
♩8/26 Main Hall
The Producer Series KLANGFORUM WIEN Program for Xenakis 100th Anniversary
<Pieces & Players>
(All pieces are Composed by Iannis Xenakis)
Persephassa for Six Percussionists
Perc:Isao Nakamura, Lukas Shiske, Björn Wilker, Yoshiko Kanda, Noriko Maekawa, Asuka Hatanaka
Kraanerg Ballet Music for Orchestra and Tape
Conductor: Emilio Pomàrico
Klangforum Wien
Sound Direction:Peter Böhm
Special Support Member, Perc:Shingo Takase