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漢語文献学夜話|Printed Text and Bureaucracy in Song Dynasty|橋本秀美

Printed Text and Bureaucracy in Song Dynasty

Text by 橋本秀美(Hidemi Hashimoto)


日本でも紹介されていると思うが、台湾では非常に有効なコロナ対策が採られ、日常生活が大きな影響を受けずに済んでいる。とりわけ印象深いのは、厚生大臣と同時にコロナ対策センター指揮官を兼ねる陳時中が、毎日欠かさず記者会見を開き、時間無制限で質問が無くなるまで説明を続けていることだ。一年以上の実践の結果として、今や彼の誠実さを疑う台湾人は居ない。少なくともコロナ問題に関して、台湾の人々の政府への信頼感は当然非常に高い。
中国は、早くから「アンダーコントロール」宣言をし、ワクチン外交まで展開しているが、収束までにはまだ当分かかるようだ。それでも何とか全国的大流行を抑えられているのは、強制的手段を果断に駆使できるからだ。以前から世話になっている中国の或る先生は、「共産党がやろうと思って出来ないことは何も無い」と言っていた。真にその通りで、共産党内部で政策の意思統一が実現できれば、という難しい前提さえクリアできれば、大抵のことは出来てしまう。しかし、共産党の官僚体制による政策実現は、同時に多くの他の問題を引き起こす。例えば、二酸化炭素排出量規制が本気の政策として施行されると、各地の政府がなりふり構わずそれを実現させるから、ある日突然街全体が停電、というようなことも起こる。脱貧困が政策として施行された結果、山村僻地で現金収入の殆ど無い生活をしている人人が、遠く離れた都市のアパートに無理やり移住させられた、というような話も有った。コロナ対策も、各地の政府は結果を出すことに必死で、その為には手段を選ばない。
中国的官僚政治の問題は、数値目標のような具体的成果だけが問題にされ、政策本来の主旨などは全く蒸発してしまうことだ。政治には、時期によって異なる最重要課題が有り、その課題について最良の結果を挙げれば出世に繋がり、最悪の結果を出せば首が飛ぶ。だから、評価されやすい業績だけが追求され、それ以外は何でもアリ。そういう官僚体制は、もちろん今に始まったものではなく、古典文献の版本も正にそうした官僚体制を背景として成立している。


漢語古典文献の主なものは、五代から北宋にかけて木版に彫られ、印刷されるようになるが、第三回(2020年7月号)のコラムで紹介した平岡武夫の文章が言うように、それは皇帝の勅命を受けて、当時最も優秀な学者でもあるエリート官僚たちが、歴史的文化事業という自覚を持って校定したテクストを、長く後世に遺すべく木版に彫り込んだものであった。多くの場合、後世の全てのテクストは、これら北宋朝廷の版本を祖本としている。
しかし、エリート官僚たちは、互いに手柄を競い合う関係に在る。だから、テクストの校定が完成し公表されると、別の官僚が不備や誤りを指摘したりする。万人が認める最善というものは存在しないから、最終的に皇帝が代替わりして、新たに重用された官僚たちによって最終版が確定したりした。


多くの重要典籍で、現存最古の版本は南宋版だが、近代以前においては、南宋版が北宋版と誤認されていたものも多く、とにかく宋版と言えば貴重な版本として重視された。しかし、多くの宋版を比較研究できるようになって、版本と版本との間の継承関係がますます明らかとなった現在、テクストの性質もそれぞれ異なることが分かってきた。私の概括的認識は、A南宋初期の中央官版が最善、B南宋初期の地方官版がそれに次ぎ、C淳煕年間以降の地方官版は善本ながら注意が必要、D福建の坊刻(営利出版)は粗悪、というものだ。
北宋が金に滅ぼされ、朝廷が作り貯めた典籍の版木も全て失われてしまう。戦乱の中に発足した南宋は、早速古典文献の版本の再建に取り掛かる。それが、A南宋初期中央官版で、実際には多くの地方行政機関に事業を分担させているが、中央の企画として作成されている。兎に角、文化の基本となる典籍を復活させようということで、北宋版をそのまま覆刻させたものが多い。分担した官僚も丁寧に校正に勤め、そのテクストは北宋版と殆ど変わらないであろうと推測されるから、最善のテクストである。
B南宋初期の地方官版は、地方の需要を満たすために、中央官版を複製したものだから、そのテクストは中央官版と同じはずで、そうであれば同様に最善のテクストだということになる。
C淳煕年間以降、地方の官職に在る官僚が、中央官版に欠けている典籍を刊行したものが多く現れる。中央による基本典籍復興事業が一段落したと見た官僚が、個人の発案で、そこに足りないものを作っていく。それは、文化事業として有意義であると同時に、その個人の名声を上げる効果をも伴った。従って、この種の版本には、出版の経緯を説明した跋文を具えるものが多い。A類の版本には、跋文は無いのが普通だ。又、個人の事業であるだけに、この種の版本では、テクストに独自の校定が加えられている場合が多い。だから、その利用には注意が必要、ということになる。
現在の私は、歴史文献学という立場を採っているので、「正しい」テクストというものの存在は想定しない。求めるのは祖本、つまり北宋版のテクストであり、それに近ければ近いほど良いのだから、一生懸命考えて修正されたテクストは、有り難くない。
D福建の坊刻は、伝存の数が多いが、概して良いテクストではない。祖本は同じ北宋版であっても、売れるために各種参考情報をオマケとして加えていき、そのためにテクストに勝手に手を加える上、校正も杜撰なものだ。


上述ABCD四類は、跋文などの直接的証拠が無い場合、字体・サイズ・刻工を手掛かりとして判別することができる。

図一 南宋前期官版

図二 南宋前期福建版

図三 南宋中期福建版

まず、字体から、官版と福建坊刻本は容易に区別できる。官版は、時代などによる差は有るが概ね重厚で落ち着いた字体〔図一〕。福建坊刻本は、南宋前期は細い線を長く伸ばす独特の字体〔図二〕で、それが中期になると鋭い先端を具えた太い筆画の機械的な字体〔図三〕となった。 この辺りは、現在の版本学の入門的知識として広く知られている。
サイズについては、入門書などではあまり詳しい説明を見ないように思う。実際、我々が南宋刊本を見るのは影印本や写真版でしかないから、大きさの問題は知らず知らず無視しがちだった。書誌情報としては、寸法が直ぐに分かるようになっているが、メートル法で作られたはずもないから切りの良い数字ではないし、版によって大小マチマチという印象しか受けなかった。ところが、官版に限って数字を見れば、大抵21㎝×15㎝前後のものが多い。当時の一寸は、ほぼ3㎝だと言われているので、七寸×五寸を大よその目安としていたのではないか、というのが私の推測だ。それに対し、福建の坊刻本は、バラツキは有るが、明らかに一回り小さくしてある。前者は現在我々の使っているA5判、後者はB6判ぐらいが普通ということだ。 小さ目の坊刻本からは、あくまで個人的使用に供するもので、官版の権威に挑戦するようなつもりは毛頭ございません、という弁明の声が聞こえてきそうだ。
刻工は、宋版鑑定の鍵となる重要な情報だが、版本によって、有ったり無かったりマチマチだ。この点も、入門書などでは説明を見ないように思うが、これも基本的に官民の差と見ることができる。南宋官版には例外無く刻工名が有り、南宋坊刻本には刻工名が無いのが普通で、稀に例外が有る、という所。何故版本に刻工名が彫られるのかについて、以前は、刻工の賃金分配の際の根拠とするためか、という推測も提起されていたが、それでは何故坊刻本に刻工名が無いのか説明できない。私はやはり、何にでも署名や捺印を要求して、責任の所在が明らかだという形だけ整えたいという、官僚気質の現れではないかと思っている。

図四 北宋版

個人的趣味の問題と言われるかもしれないが、版本の中では、私は北宋版の字体が一番好きだ。〔図四〕といっても、北宋版は数える程しか現存しないから、現在我々が北宋版の標準字体だと思っているものが、必ずそうであったという保証は無い。しかし、レヴィストロースの『悲しき熱帯』に「人類はその始めにおいてしか、真に偉大なものを創造しなかった」という言い方を見た時、私は直ちに北宋版の字体の美しさを思った。
版本が作られ始めた頃、それは、筆で手書きされるものを印刷で末永く再現できるようにしたい、という試みだったに違いない。技術は、その目標に完全に服従していた。そこに、最も美しい楷書体が生まれた。版刻技術が成熟すると、技術は技術として独立し、技術の都合が当初の目標を微妙に変更させる結果として字体が変わってくる。それでも、南宋官版は北宋版を受け継ぎ、手書きに近い書体を維持したし、明代でも宮中で作られた立派な版は、やはり手書き楷書体だった。〔図二〕〔図三〕に見るような、明らかな字体の変化は、民間で起こった。
昨年十一月に臺灣で版本の話をした時、ある若い人から、福建の出版業者はどうして〔図二〕のような特殊な字体を使ったのか、という質問を受けた。そんなことを私に聞かれても答えようが無いと思いながらも、ふと思いついたのはサイズの問題。福建坊刻本は、言ってみれば文庫本のようなものだから、字も小さくせざるを得ない。となれば、筆画の線を細くする、というのは自然に考えられることだ。細くした分、線を長く引っ張ることで見やすさを保持する。それが前期の字体。その字体を前提として、太くできる線は太くして、鋭い先端を付ければ、より見やすくなるということで、〔図三〕のような中期の字体となっていったのかと思う。 中期の字体は、風格の多少の変化は有りながらも、福建で元・明まで使われていく。
明の嘉靖年間ごろになると、日本で所謂「明朝体」のような字体が生まれた。それは、毛筆で手書きされる字体とは全く関わりなく、彫る技術の便宜と、認識しやすさなどを勘案した所に発生した字体だ。そのような字体の本では、本の始め或いは終わりに付けれらる序文や跋文だけが、多くは行書の本人の筆跡そのままに彫られることが多い。 まるで、本文の字体の味気無さの埋め合わせをするかのように。


唐代以前の典籍を読む我々は、上述ABCDの順で佳い版本を求める。しかし、現存するものは、特に官版の場合、後印本である場合が多い。南宋初期の中央官版が、明代まで印刷に使われていたりする例が少なくない。数百年も経つ間には、当然版木が傷んでくるので、何度も補修を受けることになる。一枚まるごと彫り直されることも頻繁に起こる。補修や彫り直しは、その一枚について言えば、新たな版本が発生するのと同じことなので、テクストも当然劣化してくる。これが、南宋版を実際に利用する場合に最も大きな問題となる。A南宋初期中央官版という最良の版本であっても、それが明代に印刷されたものとなれば、テクストとしてはD南宋福建坊刻本にも劣る、ということになりかねない。
概括的に言えば、中央所管版本のテクストの劣化は、南宋中後期においては比較的程度が浅く、元明で著しく劣化する。地方官版は、南宋中後期においても劣化が激しい。従って、A南宋初期中央官版は、補修が元の始めぐらいまでに止まっていれば、文句なく優れたテクストと評価できるが、B南宋初期地方官版は、南宋前期までに印刷されたものであれば有り難いが、南宋中期以降の印刷であれば、あまり良いテクストとは思われない。
この現象は、官僚制の弱点を明らかに示すものと思われる。現在の日本でも、お役所は箱モノを作ることには熱心だが、既存の箱モノの維持管理はやりたがらない。同じ話で、C類のように、古典籍を校定して出版すれば、それは個人の業績となるが、既存の版本の保守管理など、やっても誰にも褒められない、面白くない仕事なのだ。更に、中央官版の場合、テクストを下手にいじれば、他の官僚から別の意見が出て叩かれる可能性も有る。だから、中央官版はテクスト改変に保守的となる。地方の場合、実務を任される役人にとっては、やりたく無い仕事だし、文句が出ても地方のことで、大事になる心配もないから、大胆にいい加減な改変を加えてしまうのだろう。
というわけで、宋版と言っても天と地の差が有り、できるだけ南宋初期中央刊本の南宋中期以前に刷られた本を探すことが、読書の第一歩となる。南宋初期の刊本と、淳煕以降の刊本とを弁別するマーカーとして、校定・刊行に参与した官僚の散官(階級を表す肩書)に「左」「右」がついているかどうか(「左通直郎」など)、が有効であることも分かっている。宋代以降、中国は官本位の社会だから、古典籍版本と言えども、官僚制度と切っても切れない関係に有る。私は、政治に興味が持てず、どうしても毛嫌いしてしまうのだが、場合によってはそうも言っていられないのだ。

(2021/2/15)

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橋本秀美(Hidemi Hashimoto)
1966年福島県生まれ。東京大学中国哲学専攻卒、北京大学古典文献専攻博士。東京大学東洋文化研究所助教授、北京大学歴史学系副教授、教授を経て、現在青山学院大学国際政治経済学部教授。著書は『学術史読書記』『文献学読書記』(三聯書店)、編書は『影印越刊八行本礼記正義』(北京大出版社)、訳書は『正史宋元版之研究』(中華書局)など。