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ルネサンスと鳩時計——東京人から見たスイス|オーベルマンの谷で(3)|秋元陽平

ルネサンスと鳩時計——東京人から見たスイス
Renaissance And Cuckoo-Clock —— Notes on Helvetia by a Tokyoite
オーベルマンの谷で(3)
In the valley of Obermann (3)

Text & Photos by 秋元陽平(Yohei Akimoto)

セナンクールは、「ロマンティックな表現について」と題された章で、「牛追い歌」の単調な旋律は、風景画の傑作と同じく、空間を想像させる力がある、と主張する。こうして彼は、自分の故郷ではないスイスの牧人、夏になると山の頂き近くまで牛を連れて登る牧人を、架空のノスタルジーのほとばしるにまかせて描き出してみせる。以下に一部を訳出してみよう。

「遠くのカラマツ林を風が重々しく揺すぶると、長い世紀をかけて切り出された崖に隠れた滝の波濤が聞こえはじめる。この空間にひびく孤独な物音につづいて、牛追い人たちの、鈍重だが急いたような抑揚の声が続く。これは陽気じゃない喜び、山の歓喜を、遊牧民的に表現しているんだ。歌がやむ。ひとは遠ざかる。カラマツ林に鐘の音がわたる。もはや聞こえるのは、転がる小石のたてる音と、滝が谷際へ押し流した流木が落ちていく断続的な音だけだ。風は、アルプスのたてるこうした物音を運んできたり、連れ去ってしまったりする。ひとたび音が失われてしまったときには、あらゆるものが冷たく、動かなくなって、死んだように感じられるのだ。ここは気負いをもたない人間の領域だ。牧人は、嵐に備えて重い石が載せられた低くて大きい屋根のもとから出てくる。太陽が照っているのか、風が冷たいのか、足下で雷が鳴っているのか、彼は知らない。彼は牛たちがいるはずの斜面を歩く。牛たちはそこにいる。彼が呼ぶと牛たちは集まってきて、順番に近づいてくる。そして彼は、今後も彼が知ることのないだろう平地で消費される牛乳をかついで、来たときと同じようにゆっくりと帰って行くのだ。牛たちは立ち止まり、反芻をはじめる。もはや動くものはなにも見えず、人っ子一人いない。大気は冷たく、夜の光とともに風は止む。あとには古来から降り積もる雪の放つ微かな光と滝の落ちる音しかなく、その断崖から立ち上ってくる野生のさざめきが、高峰の、氷河の、そして夜の永遠なる静けさをいや増しているようだ」

牛追い歌はそれ自体音楽だが、その音楽は面白いことにもうひとつのサウンドスケープを描き出す。「孤独な物音」とはつまり、「遠くのカラマツ」や「隠れた滝」といった、風景を想像する視点人物の視界の外側にある、ひそかな自然のざわめきの全てを、視覚的なもの、パノラマよりもずっと慎ましい仕方で暗黙裏に伝えてくれるものではないか?めまぐるしく変わる社交界の勢力図を頭にたたき込んで、ゲームの規則をかいくぐるあくせくとした楽しみに明け暮れる下界の——たとえばパリの紳士淑女たちの敏速さ、「気負い」にくらべると、山の上の生活は全てがゆっくりで、そこにあるものは当然存在し、そこにないものは存在しないし、なされることはなされなければならない、という当たり前のルーティンが遵守されればそれでよいのだ。
不動の山々の、犯しがたい静寂の風景に耳を澄ますと、しかしそこではいつも何かがうごめいている。永遠なる滝の流れ、小石のきしみ——そして「もはや動くものは何も見えない」と書くセナンクールが、同時にそこに「反芻する牛」を描いているのはどこか可笑しい。牛の口の中や胃の中のゆっくりとした見えない蠕動と、氷河のしんしんとした万年雪の奇妙な組み合わせは、スイスにいかにも相応しい気負いのなさではないか?それにしても、音の魅力を語るつもりで書かれたこのパラグラフは、なんと静かに閉じられることだろうか。

タイトルに掲げたことをうっかり失念していたが、周知の通りフランツ・リストはこの作品にインスピレーションを得て『巡礼の年』所収の「オーベルマンの谷」を作曲した。全体にわたってきわめて執拗に繰り返されるエネルギーと決意を伴うこの作品の印象的な下降音階は、陰鬱で単調だが、ときには晴れ間の光の中、ときには嵐の中で回帰する。なるほど、このしなやかさのおかげで、モノトーンな色調のなかに激烈な思索のうねりがあらわれ飽きさせないところは、『オーベルマン』の読後感と似ていなくもない。だがやはり、オーベルマンの、深遠な思索についてまわる地味な、市民的な諸々の関心に比べると、リストの音楽にはどこか天性のヒロイズムが、自己沈潜と思索のうちにも華やかさがあって、それは彼がこの「オーベルマンの谷」のために掲げたもう一つのエピグラフ、バイロン卿の『チャイルド・ハロルドの巡礼』のほうにむしろ相応しい。放蕩を尽くし、社会の栄華に飽いて旅だった傲慢な「e」付きの貴公子(チャイルド Childe)は、リストの人柄と比べるべくもないが、少なくともオーベルマンにはハロルドやリストのような輝きはないのだ。旅をつうじてむしろ自らの置かれた運命をめぐる思索に沈潜するところ、すべてを識り、すべてを感じたと確信するほどに肥大した自我のドラマが描かれるところこそ、この英仏の両作品に共通してはいるが、ハロルドが一度は世俗の栄光を味わったのに対し、オーベルマンはなにか実行に移す前からあらかじめ幻滅しているのである。たとえば小説家のジョルジュ・サンドは、ちょうどリストが「オーベルマンの谷」の初稿に着手した少し後の1840年に、再版された小説『オーベルマン』に寄稿した序文のなかで、その主人公の想像力と実行力のコントラストを「雄々しい胸とひよわな腕」と的確に評している。だがサンドがそう書くとき、それは大革命からナポレオンの到来、王政復古の激動を経て成立した七月革命下のブルジョワ社会を生きる文人、知識人の肖像そのものであることが前提されている。要するに、1804年にこれを書いたセナンクールは早すぎたのだ。ロマンティックであるということは、心の無限の振幅を描き出すばかりではなく、ときには心というものの深さにおののく卑小な自我をも照らし出す。だからセナンクール自身が「ロマンティック」のレッテル貼りを警戒し、あらゆるヒロイズムを遠ざけたことは斟酌するとしても、彼が広義の「ロマン主義」者たちに感銘を与えるのは当然のことである。それはやがて、もはや英雄を必要としない市民社会を生きるあらゆる人間にとっての関心となるのだから。

わたしも一度、現地出身のひとの案内のもと、冬のヴァレ州の峻厳な峡谷を、Bisseと呼ばれる細い水路(もちろん牛たちのためのものだ)に沿って散歩したことがある。反り返ったように積み重なる巨大な岩々の壁、凍てついた水路の割れ目が描く複雑な曲線模様、頭上の枝々を慎ましく飾る多種多様な苔類のリース。だがなにかに思いを巡らす余地はなかった。雪で足下が滑り、ひとたび滑ったら谷底に転落しかねないからだ。そう言うと同伴してくれた傘寿近い老紳士は、私たちに自分の杖を貸してくれた(「僕は慣れてるからね」)のち、こんな話をしてくれたのだった。「昔はこの水路を作るために、各家族から長男をひとり労働力として拠出しなければならなかったそうだよ。貧しかったから他に選択肢はなかった。それでずいぶんの人が転落死したんだ」——

(2020/8/15)

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秋元陽平(Yohei Akimoto)
東京大学仏文科卒、同大学院修士課程修了。在学中に東大総長賞(学業)、柴田南雄音楽評論本賞などを受賞。研究対象は19世紀初頭のフランス語圏における文学・哲学・医学。現在ジュネーヴ大学博士課程在学中。