ルネサンスと鳩時計——東京人から見たスイス |ルツェルン湖のハインツ・ホリガー(2) |秋元陽平
ルネサンスと鳩時計——東京人から見たスイス
Renaissance And Cuckoo-Clock —— Notes on Helvetia by a Tokyoite
ルツェルン湖のハインツ・ホリガー(2)
Heinz Holliger at the Lucern Lakeside (2)
Text & Photos by 秋元陽平(Yohei Akimoto)
(承前)
「特殊奏法」と一般に呼び習わされているものを、たとえばヘルムート・ラッヘンマン——ホリガーと概ね同世代といってもよいだろう——がある種の作品の中で用いるとき、そこには西洋音楽の「正典」に対する弁証法的な否定の厳しさをもって、過去のさまざまな文化的相関項を聴く者の記憶から呼び覚まし、それが驚きと緊張を生み出すということは、多くの聴き手に共有されていることではないかと思う。
ところがホリガーの場合、かそけさ、沈黙、抵抗を音楽に取り入れるために時に「特殊」奏法にも訴えるとは言っても、それは歴史意識に基づく否定性が持つ意図的な貧しさを、必ずしも含意しないのである。くすんだ音程のピアノ、鋭い息の音、弦のはためきはむしろ、虚ろな色の豊穣さとでも言うべき、驚嘆すべきパレットの拡張として現れるのだ。
東京の喧噪から遙か遠く隔絶したバウエン村の小教会に響くモーツァルトの残響を聴きながら、私は2015年、彼がサントリーサマーフェスティバルのために来日したときのことを思い出していた。ホリガーはこのとき、自作、弦楽とソプラノのための『インクレシャントゥム』を、歌手の病欠を補う形でオーボエで代奏した。これは前回記事の冒頭で引き合いに出したダヴォスの位置するグラウビュンデン州出身の詩人ルイーザ・ファモスがロマンシュ語(山岳地方で話されるスイスの第四の公用語。消滅の危機に瀕している)でものした詩にホリガーが音楽をつけたものである。
詩は「伝道の書」を彷彿とさせるヴァニタス(空虚)とのドラマティックな邂逅をうたったものだが、聴き紛うことはあるまい、そこには、永遠の相のもとに眺められた人間の死をめぐるじっとりとした官能が横溢している。アフタートークにて、ホリガーは戦後前衛の第一世代がヒューマニティと結びついた情感表出(彼に拠れば、その最悪の形はもちろんワグネリズムだ)からの脱却を目指していたことを指摘し、自らもその伝統に連なっていることを示唆したことは記憶に新しい。
しかしそうであったとしても、彼はしばしば、ヴァニタスを通じて「ヒューマニズムなき情感」を召喚しているとは言えないだろうか?フェスティバルでの彼の指揮による『牧神の午後』を聴いたさる邦人作曲家が——多分に賛辞を込めて——言ったように、彼はその意味で「デカダン」でもあるのだろうか?だとすれば、デカダンとはなんと創造的なことだろう!
ジーゲンターラー夫妻のご招待にあずかってホリガー氏と同席した晩餐会では、彼のまったく飾らない快活さ、だが同時に自らの鋭く尖った美的判断を隠しもしない人にだけ見られる快活さと、私のような非音楽家の若者を相手にざっくばらんに話に付き合ってくださる率直さに胸を打たれた。彼の母語はむろん独語だが、仏語もたいへん流暢だ。
「若い頃、ランボーの詩をいくつも訳したんだ。あのころはまだツェランの訳も出ていなかったから、出版すれば独訳としては僕のが一番最初になったかもしれない」といって笑うのだから、流暢どころの話ではない。話題は自然と文学のほうに引き寄せられる。すでに作品内で表明された愛をひとつひとつ確認するように、ネルヴァル——仏語圏の作家では彼の一番のお気に入りだ——そしてベケット、沈黙を聴くこと、俳句の実践、そして北海道に残るアイヌの人々のことばへの関心について語る彼は、同時に幾人かの作家への留保、あるいは端的な「否 Non/Nein」を表明することも忘れない。私が自身の研究上の関心を説明するために、19世紀の作家の幾人かの名前を挙げると、「あれは駄文だ!」「優雅だが、それ以上のものではない」といった短評が手際よく並ぶ。わけても私の関心を引いたのは、「マラルメは好きだけれども、白手袋(ガン・ブラン)といった感じで、ちょっと僕にとっては凝りすぎている」という言葉だった。
思えば、沈黙に惹かれる作曲家が、言葉の持つ不可能性に呪縛されたこの詩人にどのような関心を持っているのか、このときまで私はよく考えたことがなかった。ホリガーもまた編曲し指揮したドビュッシー、あるいは師の一人であるブーレーズをはじめ、近現代の音楽家にとりわけ愛されたマラルメは、それゆえにこそ新たな詩的源泉としては避けられたのかもしれない、などというのは野暮な推測であって、マラルメ体験はむしろ「白手袋」越しのコンタクトのように、ヘルダーリンほどには、「触覚」を彼にもたらさなかったのかもしれない。彼は愛を込めてネルヴァルの『廃嫡者』の出だしを暗唱しはじめ、私はその先をなんとか思い出して追いかける。
いずれにせよ、20世紀があらゆる逆説を用いてヨーロッパ芸術の「正典(カノン)」の連なりを延命させたとしても、その堂々たる「正嫡」ホリガーは、戦後前衛の他の担い手と同様、そこにただ身を連ねることを嫌い、その継承そのものを問題とする。灰と沈黙のうちなるある種の官能への関心はそれゆえ、廃嫡者、当世流に言えば「ジョーカー」の視点からポジリッポやイタリアの海を「返せ」と主張し、失われたもの、敗残したものにアイロニカルに魅入られる反動性とは異なる、ということは強調しておかなければならない。ホリガーが拠って立つ「音楽史」と「文学史」は、音と言葉の、きわめて具体的、個人的、触覚的な再吟味の上に作り出されたものであるからだ。彼のアレグロな美的判断の持つ確信の強さと率直さは、自らが触り、抵抗をうけとめる形で「古典」——リストであれ、ドビュッシーであれ——と対話を行っていることと切り離せないだろう。
会話中、ホリガーは意外な文脈でネルヴァルの名にもう一度触れた。それはフランクフルトのブックフェアで行われた仏国大統領マクロンの演説である。この伝統ある独語圏のイヴェントに「フランコフォニー」を代表して招待されたマクロンは、ネルヴァルをゲーテの翻訳者、すなわちドイツ文学のフランスにおける最初の理解者の一人として名指した。ホリガーにおいても、ネルヴァルの名は「廃嫡者の系譜」というよりは、不可能なもの、夢、そして言語的越境のうちに創造を見いだし、狭い共同体意識の外側に芸術の可能性を見いだした人物の名であるのだった。
それにしても、この年のヨーロッパの夏はひときわの酷暑だった。このままアレッチ氷河の溶解が進んでしまうと人々は心配する。それでも山々に囲繞されたルツェルン湖は他所と比べてもひときわ水温が低く、炎天下であってもすっと泳ぎ出すには勇気が要る。その冷たさを伝える深い紺碧色が渺々と眼前に広がるテラスで、ビールを飲みながら歓談する欧州各国の演奏家たちの歓談に加わっていると、非日常性のあまり、スイスの特殊性というクリシェが再び頭を擡げてきた。
こんにち、フランス文学やドイツ音楽といった国名を伴う文化的伝統の名はあらゆる場所で失効しつつあると同時に再強化されているが、それらはスイスの中ではそもそも所与のものとして響かない。かつてさるスイス人教授が、スイスの大学の仏文科は、フランスにおけるように、自国文化の広報としての役割を担わされてはいない、ということを肯定的なニュアンスで私に語ったことも忘れがたい。
しかし、伝統の拒否からも排外主義からも距離を置き、域外から欧州各国文化の自由検討が行われる場所、といってしまえば、それはそれでユートピア願望が過ぎるというものだろう。西洋音楽史が知と技術の両面において経験したディシプリンの洗練を21世紀において体現するホリガーという人物の闊達なエスプリに圧倒された私は、「台風の目」であるスイスで、欧州連合の理想が岐路に立たされているそのときに、19世紀仏語「圏」文化という領域を研究対象とし、その玉石の中を彷徨することの奇妙さを改めて思った。
触覚的なものを持たない訪問者にとっては、『魔の山』におけるベルクホーフのような危険な真空地帯ともなり得るのだ、特にカストルプのように、ある種の狡猾な若さをもって、対立する諸価値を「試験採用 placet experiri」する者にとっては……。
(2020/3/15)
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秋元陽平(Yohei Akimoto)
東京大学仏文科卒、同大学院修士課程修了。在学中に東大総長賞(学業)、柴田南雄音楽評論本賞などを受賞。研究対象は19世紀初頭のフランス語圏における文学・哲学・医学。現在ジュネーヴ大学博士課程在学中。