Menu

東京芸術劇場 海外オーケストラシリーズ サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団 |藤原聡

東京芸術劇場 海外オーケストラシリーズ フィルハーモニア管弦楽団
指揮:エサ=ペッカ・サロネン(首席指揮者&アーティスティック・アドバイザー)
Esa-Pekka Salonen conducts Philharmonia Orchestra

2020年1月23,28日 東京芸術劇場 コンサートホール
2020/1/23,28 Tokyo Metropolitan Theatre
Reviewed by 藤原聡 (Satoshi Fujiwara)
Photos by Hikaru.☆/写真提供:東京芸術劇場

<演奏>        →foreign language
指揮:エサ=ペッカ・サロネン
   (首席指揮者&アーティスティック・アドヴァイザー)
ヴァイオリン:庄司紗矢香
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団

<曲目>
♪ 2020年1月23日
ラヴェル:組曲『クープランの墓』
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op.47(ヴァイオリン:庄司紗矢香)
(ソリストのアンコール)パガニーニ:『うつろな心』による序奏と変奏曲~主題
ストラヴィンスキー:バレエ音楽『春の祭典』 

♪ 2020年1月28日
シベリウス:交響詩『大洋の女神』 op.73
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 op.77(ヴァイオリン:庄司紗矢香)
(ソリストのアンコール)シベリウス:水滴
ストラヴィンスキー:バレエ音楽『火の鳥』全曲(1910年原典版)
(オーケストラのアンコール)ラヴェル:バレエ音楽『マ・メール・ロワ』~妖精の園

 

東京芸術劇場(芸劇)とフィルハーモニア管弦楽団の縁は深い。1990年の10月に開館した同施設だが、そのコンサートホールの杮落としとして11月に今は亡きシノーポリが同オケを率いて来日、たったの2週間でマーラーの交響曲全曲(『大地の歌』も含む)と『嘆きの歌』、そして『子供の不思議な角笛』、『リュッケルトによる5つの詩』、『亡き子をしのぶ歌』、『さすらう若人の歌』を演奏するという途轍もないプロジェクトが敢行されたのだった。まさにバブル真っ只中という時期だからこその企画というべきだが(なお、これと全く同時期の1990年~1991年にかけてベルティーニとケルン放送響がやはりマーラーの交響曲全曲を3回の連続来日で演奏している。何と言う時代…)、この際に高校生になりたての筆者は交響曲第9番を聴くことが出来た。いかんせん拙い耳だったであろうし30年も前のことだから細部は覚えていない。しかし、強烈な印象として今だに耳朶にこびりついているのは、ホールの鳴りっぷりと荒々しいまでのオケの咆哮(特にティンパニの激烈さ)である。以来、「芸劇=マーラー=フィルハーモニア管」との三位一体的連想はしばらくの間筆者の脳裏から消えることはなかった。以上、前置き。

あれから30年、今年もフィルハーモニア管はやって来た。1990年以前にもサントリーホールでやはりシノーポリの指揮によりその演奏に接しているし、1990年以降ではインバル(2007年、まさにここ芸劇でのマーラー:交響曲の選集による複数回のコンサート)、そしてサロネン。この指揮者では2013年にはやはり芸劇で『春の祭典』他、2015年にはサントリーホールで『火の鳥』他(今回も同じ曲目でないか!)、2017年には東京オペラシティでマーラーの『悲劇的』を聴いている。敢えて言い切ってしまうなら、フィルハーモニア管の実演ではサロネンとのものが群を抜いて素晴らしい。過去の演奏について言及し始めると際限なく本稿が伸びるので止めておくけれど、そのサロネンが2008年より首席指揮者兼アーティスティック・アドバイザーを務めるこのオケと今回最後の(?)来日を果たした。思えば若干25歳のサロネンが指揮者としてのキャリアを大きく広げるきっかけとなったのがフィルハーモニア管への急な代役登壇でのマーラー:交響曲第3番であり、そして先述したように芸劇の「始まり」もフィルハーモニア管のマーラー。さらには今回ツアーでの最終公演(29日)がマーラー(交響曲第9番)。フィルハーモニア管から離れれば、東京芸術劇場前の西口広場が見違えるようなリニューアルを施されて「池袋西口公園野外劇場」としてお目見えしたのがつい先日の2019年11月16日。いろいろな「初め」と「終わり」への想いが交錯する2020年1月の「池袋ウエストゲートパーク」(と言ってももはや知らない人も多いのだろうか)。以上、前置きその②。

いい加減に演奏そのものに移ろう。23日は『クープランの墓』で幕を開けたが、これが何ともサロネンらしいシャープな輪郭を伴った快演である。音色はオケの持ち味もあって極めてクールで冴え冴えとしており、そこにはふくよかさや暖かみというものはあまり感じられなかったにせよ、ラヴェルの精緻なオーケストレーションを聴き手に否応なく感知させるような演奏だったと言える。各声部の緻密な磨き上げと独立性はこの指揮者の独壇場。2曲目は当初トゥルルス・モルクが出演してサロネンのチェロ協奏曲を演奏する予定となっていたのだが病気によって出演キャンセルとなり、代わって28日にも出演する庄司紗矢香がシベリウスを弾いた。庄司にとってこの曲は繰り返し演奏して来た十八番であり(2004年のコリン・デイヴィス&ロンドン響来日公演における同曲の峻烈な演奏は忘れ難い)、今回の演奏もまた見事なものだった。但し、どういう訳か強奏において若干の音色の「荒れ」と言うかいささか緻密さを欠いた響きが散見されたのが気がかりではある。彼女自身による技術的により完璧な過去のシベリウスの演奏を知った耳にはほんの少し物足りない。とは言え庄司特有の張り詰めた緊張感の持続は健在である。しかし、アンコールのパガニーニでの超絶技巧の冴えにより多くの魅力を見出せた気はする。休憩後には『春の祭典』。2013年に同じ芸劇でサロネン&フィルハーモニア管の『ハルサイ』を聴いているのだが、基本的なテンポ設定はさほど変わっていないものの、演奏の印象は大きく異なる。一言で言えば響きがより豊麗になり、切迫した表情には明確にエモーショナルなものが加わっている。芝居かかったリテヌート、極端に遅いテンポによる巨大な表現とすばしっこい変わり身による超快速な表現への驚くべき転換、全てのパートが完璧に鳴り切った圧倒的な音響的充足感(特にホルンとティンパニの卓越)、トゥッティのみならず弱音部の表現の強度(第2部『序奏』でのトランペット2本による音が全く痩せずに表現性を保ったままのの超・弱音の凄さ)、オケの響きの「表面張力」は限界にまで達しており、どうやったらここまで壮麗かつ力まないでかような音響が出来するのか不思議としか言いようがない。今まで聴いたことのないような音がオケから放出されている。打ちのめされるとはこういう実演体験のことを指すのだろう。唖然。

次いで28日。シベリウスの『大洋の女神』は一聴掴みどころのない曲であるが、サロネンは寄せては返すような、しかしあからさまな楽曲区分を感じさせないシベリウス特有の構成感を的確に表現する。それはテンポへの配慮と泡立つような表情の変化によるものだろう。下手な演奏だと全体が漠然として形がまるで分からなくなるこの曲を見通しよく演奏するサロネン、さすがである。ここには作曲家としての透徹したスコアの読みが大きくものを言っているのだろう。続いてのショスタコーヴィチ。陰鬱さのまるでない透き通った響きによるサロネンのサポートをバックにした庄司のソロは23日のシベリウスより明らかに優れている。特に終楽章につながる長大なカデンツァの迫真性はほとんど鬼気迫るものがあったと言えるほど。オケとソロ共々非常にすっきりとして暗さのないショスタコーヴィチであるが、軽いであるとか物足りないなどという思いは皆無。庄司のアンコールはギターのように小脇に抱えたヴァイオリンをピチカートのみで演奏する愛らしい小品、シベリウスの『水滴』。後半の『火の鳥』は動きが少なくてともすると退屈になりがちな前半からして細部へ耳が吸い寄せられる。パート内でのディヴィジやら同一音塊に聴こえる旋律内でちょっとヴィオラの弱奏が寄り添って来たり、あるいは3番フルートが目立たない音型を細心の注意で以って吹いたり、と凡庸な演奏では聴き流してしまいそうな箇所がいちいちくっきりと演奏されて耳に運ばれてくるので退屈どころの話ではなく、それどころかストラヴィンスキーの天才的なオーケストレーションがその都度腑に落ちる。となれば後半の高揚がどれだけのものかは言うまでもなく、有名な『カスチェイの凶暴な踊り』におけるカミソリのようなリズムの切れ味、『終曲』の終結における漸強弱と猛烈なクレッシェンド&溜めには血管破裂寸前。サロネン特有の精緻さと思い切った大見得は、先の『春の祭典』とこの『火の鳥』において他の指揮者からは得られぬ唯一無二の音楽的感興を聴き手にもたらす。終演後の客席の湧き方も大変なものだったが、ここでサロネン得意の定番アンコールである『マ・メール・ロワ』から「妖精の園」。ファンタジックな曲想だがはっきりと音を鳴らしてことさらメルヘンチックな様相をもたらさない辺りが23日の『クープランの墓』に通じるサロネンのラヴェル美学か。23日とこの28日の演奏に接し、サロネンとフィルハーモニア管は現代最強の指揮者&オケコンビと再認識。全く振らなくなる訳ではないにせよ、この指揮者がフィルハーモニア管から離れるのは残念至極。とは言え2021年のシーズンからサンフランシスコ響の首席指揮者に就任が決定しているサロネン、恐らくこのオケとの相性も良いことだろう。別の楽しみは増える。

さて、コンサートの他にも東京芸術劇場はサロネンとフィルハーモニア管をさらに多角的に楽しんでもらうべく注目される試みを行なった。1つはフィルハーモニア管が先進的に取り組むデジタル・プログラムであるVR(ヴァーチャル・リアリティ)によるマーラーの交響曲第3番の視聴体験。芸劇地下1階にあるアトリエウエストに設けられたVR体験用のブース。参加希望者は予約(無料)の上定時に入場、VRヘッドセットとヘッドフォンを装着して「マラ3」終楽章の終結部約5分間を、まるでサロネンの指揮台に対面する形で目前に置かれた椅子に座っているかのようなポジションから堪能できる。実際に体験者が座る椅子は360度の回転が可能なものであり、VRシステムを装着したまま回ると視界も同様に回転、例えば左を向けばそこにはチェロがおり、同様に右を向けば第1ヴァイオリン群が、そして真後ろを向くと手前側にはヴィオラ及び第2ヴァイオリンの前方プルトが、後方には木管、金管、最後尾にはティンパニがいるさまをまるで自分がそこにいるようにして体験できるのだ。筆者は最初サロネンばかりを見ていたが、そのうちあちこちに目まぐるしく視界が目移りし、コーダ直前からは名高い例のトランペットとトロンボーンの合奏部、コーダでは2台のティンパニを注視していた。当然見ようと思えばどこでも見れる訳であるから、ある1点を注視するということは他の全てのアングルが不可視になるということであり、このVRは何度か体験してその都度違った方向を見て楽しみたいと思ったのであった。今後も同様の試みを行なって頂けると大変に嬉しいのだがいかがであろうか。

試みの2点目、先述した池袋西口公園野外劇場のステージ上方に設置された大型モニター(GLOBAL RING THEATRE)で19時と20時半の1日2回上映されるマーラーの交響曲第3番の終楽章全曲。音響はグローバルリング(広場上方に設置されたランドマーク)の全方位にしつらえられたサラウンドスピーカーによって流され、音質は相当な高水準である。筆者が参加したのは――と言ってもただ広場に赴いて立ったまま眺めていただけだが――月曜日の19時の上映回だったが、これを目的にして注視していると思しき人はそれほどおらず、そのまま通り過ぎる人、広場中心部に設置されたデジタル制御の噴水(恐らく決まった時間毎に作動するのだろうが、これが見ていて実に楽しい)を前にしてはしゃぐ子供、椅子に腰掛けてコーヒーを飲む人、誰かと待ち合わせをしていてなかなか来ないのか、どことなくそわそわしている人など、いろいろな情景が視界を横切る。まあ、このようなものだろう。今後も定期的に活用されるであろうこのモニターと音響システムによる芸劇その他のコンテンツ紹介を見た人が、それに何らかの興味を示して普段は足早に通り過ぎるだけであるかも知れない東京芸術劇場に足を踏み入れたりしたならばそれは大変に素敵なことだ。これがその人にとって決定的なアートへの邂逅となるかも知れぬ。池袋(豊島区)のアートに対する本気の姿勢――国際アート・カルチャー都市実現戦略というものを策定している――が象徴されているこの場所、是非訪れてみてはいかがだろうか。それまでの西口広場を知っている人ほどびっくりするかも知れないが、それはそれとして池袋に無縁だった方にももちろん行って頂ければ、と思う。
(Photos by 藤原聡)

関連評:エサ=ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団|藤堂清

(2020/2/15)

—————————————
<Performer>
Conductor:Esa-Pekka Salonen, Principal Conductor & Artistic Advisor
Violin:Sayaka Shoji
Orchestra:Philharmonia Orchestra

<Program>
―2020/1/23
Ravel : Le tombeau de Couperin
Sibelius : Violin Concerto in d-Minor, op.47
————–(Encore by the soloist)—————-
Paganini : Introduction and Variations on ‘Nel cor piu non mi sento’ – Theme
——————(Intermission)———————
Stravinsky : The Rite of Spring

―2020/1/28
Sibelius : The Oceanides, op.73
Shostakovich : Violin Concerto No.1 in a minor, op.77
————–(Encore by the soloist)—————
Sibelius : Water Droplets, JS 216
——————(Intermission)———————–
Stravinsky : The Firebird (1910)
—————–—–(Encore )———————–—
Ravel : Le jardin féerique (Ma Mère l’Oye Tableau 6)