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自選<ベスト・レビュー> &<ベスト・コラム>(2018年)

自選ベスト・レビュー       →自選<ベスト・コラム>

 本誌 2017/12/15 号〜2018/11/15 号掲載のレビューより、レギュラー執筆陣 10 名が自選 1 作を挙げたものである。  

 

大河内文恵
異才たちのピアニズム5 イノン・バルナタン 

2018
7/15 vol. 34 

演奏を聴いているうちに、常々疑問に思いながらも普段は忘れているような疑問が頭をもたげてくることがある。演奏を聴いている自分と思索を巡らす自分とのバランスに悩みつつ書いた一本だが、読み返すとその時のことがありありと蘇ってくる。
読んでくださるかたにそれが少しでも伝わっていることを願いつつ。 

 

大田美佐子
シネマティック・フルオーケストラ・コンサート「ウエスト・サイド物語」 

2018
/ 9/15 vol.36 

 通常のシネマコンサートとは一線を画す画期的な試みで、映画芸術、音楽芸術の「再生」を通した創造力の展開を感じさせた。上演料の問題はあるかもしれないが、映画音楽そのものの潜在力を世に示すためにも、今後もぜひ続けてほしい企画である。

 

丘山万里子
オペラシアターこんにゃく座「イヌの仇討 あるいは吉良の決断」おぺら小屋106  

2018/10/15
 vol.37  

 作者(原作・台本・音楽)、演者、舞台の総体がおのずから筆者の文体を生み、疾走する思念と筆の快感に身を任せた一文。本誌 Messageで「批評は呼びかけ」と言っているが、呼びかけとは問いである、と改めて認識、一字一句力みまくりだが、ピシピシ碁石を打つように気持ち良かったのである。 

 

小石かつら
アレクサンドル・タロー ピアノ・リサイタル 

2018/4/15
号 vol.31 

このコメントを書くのに、実はとても悩んでいる。自の根拠として「演奏会そのものが良かった公演ではなく、良く書けたor好きな公演を選ぶように」とのことだった。正直に書くと、思いあたる理由は無い。「あ、これがいい!」と、ほとんど反射的に選んでしまった。演奏会も良かった(!!)し、良く書けた(?!)し、好き(??)である。 

 

齋藤俊夫
特殊音楽祭2018 

2018/8/15
  vol.35

 企画の面白さは言うまでもありませんが、それを冒頭から末尾まで面白い文章で書けたという点で、一番自分で満足しているレビューです。自分の求める現代音楽シーンの面白さを広められた、というのもとても嬉しいことでした 

 

 谷口昭弘
ボンクリ・フェス2018 スペシャル・コンサート 

2018
/10/15号 vol.37  

新しい作品と出会い自分の音楽観を問い直すコンサートが刺激的で好きだ。自分自身の価値観を崩したい欲求を常に持っているからなのだろうか。価値観からの逸脱そのものを知るために出発点としての「伝統」を知ることも大切だとは思っているが…。そんな自分自身を確認するために、これを自としておく。  

 

藤堂清
ナタリー・シュトゥッツマン&オルフェオ55 

2018/06/15
  vol.33  

演奏家の表現意欲とその実現のためのたゆまない努力、その成果が強く感じられることは聴衆として大きな喜びである。ナタリー・シュトゥッツマンが、歌のみに留まらず、指揮や自らの楽団の創設などを通じ、バロック時代の歌のオリジナルな形を多くの人に伝えようとして行ったコンサート。この評では、そういった背景にふれるとともに、演奏を聴いての感動、今後の活動への期待を表現できたと考える。 

 

能登原由美
うたひかたらひ春夏秋冬 
2018/5/15
  vol.32 

音楽そのものについて読者に伝えることも重要ですが、評者自身の「聴く行為」そのものが伝えられるような文章を目指しています。そのバランスが難しくまだ理想には程遠いのですが、今年書いたものの中では一番納得のいく評となりました。 

 

平岡拓也
サントリーホール 作曲家の個展II 2018 金子仁美×斉木由美 愛の歌 

2018/12/15
 Vol.39 

今春から本誌で執筆を開始して、これまで以上に同時代音楽の公演に赴くことが増えた。自分は所謂「クラシック」音楽にどっぷりと浸かってきた人間ゆえ、同時代作品の構造や音響の精緻な描写という点では力不足なのは明白である。だが自分なりに何とかもがき、音楽の実像を捉えるべく筆を進めてきた。その「もがき」の中で、ある程度音楽のニュアンスを封じ込められたのではないか、と思えたレビューをここでは選んだ。 

 

藤原
マリア・ジョアン・ピリス ピアノ・リサイタル 

2018/5/15
 vol.32 

大した見識も持ち合わせていない筆者だが、そこを逆手に取って(?)「対象に接した自分」の感情の動きや想念を通してそのイベントアトモスフィアを読む人に追体験して頂く、という意味においてこのピリスレビュー、そんなに悪くない、と感じた。 

 

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自選<ベスト・コラム>

本誌 2017/12/15 号〜2018/11/15 号掲載のコラムより、レギュラー執筆陣 3 名が自選作を挙げたものである。 

 

丘山万里子
ユジャ・ワンて、どうよ。 

2018/5/15
号 vol.32 

ユジャ・ワンの評価は様々だ。筆者は決して「好み」ではないが、表層的に語るばかりでは何も見えてこない。一過性のファッションとして消費されるのか、それとも歳月とともに成熟、ピアニストとして新たな世界を切り拓いて行くのか。
林喜代種氏の写真展で思わず見入ったユジャ・ワンの無邪気な愛らしい笑顔とともに、多様な角度から誠実に考え続けたいテーマで、その入り口にはなったかな、と思う。 

 

林喜代種
ニコラ・アルトシュテット(指揮&チェロ奏者) 

2018/7/15
号 vol.34 

アイゼンシュタットを本拠とする「ハイドン・シンフォニー」を率いて来日、モダンデザインの衣装とともに、指揮者として、チェロ奏者としての未来形を感じさせ、耳目を奪われシャッターを切った。クラシック界の新たな風雲児として注目したい。20191月読響とのラロチェロ協奏曲』が期待される。 

 

松浦茂長
人間の顔の復活 3つの肖像画展から 

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018/11/15 vol.38 

友人の女性哲学者からこんな感想を頂いた。「人の顔でありながら、それを超えた実在がそこに顕現し、どうなのかと私に問いかけてくるその顔は、恐ろしくも親密で、私が私でいられることの根拠は、対面しているその顔あればこそなのでしょう。」人間不在の荒野のような現代芸術の世界に、他者に負い目をもつ存在として<人間>が蘇るのだろうか?