和声と創意の試み|能登原由美
アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル、ラドワン・ムリジガ/ローザス、アトラファイブ『和声と創意の試み』
Anne Teresa De Keersmaeker, Radouan Mriziga / Rosas, A7LA5 Il Cimento dell’Armonia e dell’Inventione
2026年6月28日 ロームシアター京都 サウスホール
28 June, 2026 South Hall, ROHM Theatre Kyoto
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
写真提供:ロームシアター京都/Photos by 大洞博靖(1)
振付:アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル、ラドワン・ムリジガ
共同創作・出演:ボシュチャン・アントニッチ、ナシーム・バダグ、ラヴ・クルンチェヴィッチ、ホセ・パウロ・ドス・サントス
音楽:アントニオ・ヴィヴァルディ《四季》
録音:アマンディーヌ・ベイエ、リ・インコーニティ Alpha Classics/Outhere Music (2015)
音楽分析:アマンディーヌ・ベイエ
詩:アスマー・ジャマ「We, the salvage」、アントニオ・ヴィヴァルディ「Le quattro stagioni」
舞台美術・照明デザイン:アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル、ラドワン・ムリジガ
衣裳デザイン:アオウアティフ・ブライシュ
リハーサル・ディレクター:エレニ・エラダ・ダミアヌ
アシスタント・アーティスティック・ディレクター:マルティーヌ・ランジュ
アーティスティック・ディレクション&プランニング:アン・ヴァン・アースコット
ツアーマネージャー:エマ・エルマンス
テクニカル・ディレクター:トーマス・ヴェラハテルト
技術スタッフ:ヤン=シモン・デ・リレ、トム・トゥニス
衣裳:エルス・ファン・ビュッヘンハウト
マネージング・ディレクター:リース・マルテンス
ディストリビューション:フランス・ブロード・プロダクションズ
製作:ローザス
共同製作:ベルリン芸術祭、シャルルロワ・ダンス/ワロン・ブリュッセル振付センター、コンセルトヘボウ・ブルッヘ(ブルージュ)、ド・ミュント/ラ・モネ(ブリュッセル)、パリ・フェスティバル・ドートンヌ、フェスティバル・マルセイユ、インパルスタンツ(ウィーン)、サドラーズ・ウェルズ(ロンドン)、パリ市立劇場
世界初演:2024年5月11日ローザス・パフォーマンス・スペース(ブリュッセル)
共同初演:ド・ミュント/ラ・モネ、カーイテアター、クンステンフェスティバル
《和声と創意の試み Il Cimento dell’Armonia e dell’Inventione》。アントニオ・ヴィヴァルディが1725年に出版したヴァイオリン協奏曲集のタイトルだ。その1〜4番に相当するのが、今やこの作曲家の代名詞的作品ともなった「四季」。それぞれ、〈春〉、〈夏〉、〈秋〉、〈冬〉のタイトルとともに各シーズンの営みを描いたソネットが冒頭に付されている。鳥や犬の鳴き声、虫の羽音を模すなど、情景が音によって描写されていることでも知られる。
この音楽に触発されて生まれたダンス、その名も《和声と創意の試み》が京都で上演された。昨年、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した世界的振付家アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルと、モロッコ生まれの気鋭、ラドワン・ムリジガの二人の振付師に、彼らがそれぞれ設立したローザス、アトラファイブによる共同制作。さらに、フランスのヴァイオリニストで、古楽アンサンブルのリ・インコーニティを率いるアマンディーヌ・ベイエが音楽分析と演奏録音で参加する。世界初演は2024年、ブリュッセルにて。
暗闇のなか、舞台後部と両脇一面に設置された蛍光灯が点滅する。高架下、あるいはビルの谷間にある路地裏の壊れかけたライトのようだ。人工物に囲まれた現代社会を象徴するのかもしれない。わずかな光を残して消えると、一人の男(ボシュチャン・アントニッチ)が現れた。舞台を縦横に回りながら体を大きくくねらせ、時には顔を震わせブルブルと音を立てている。壁際でその様子を見守っていたダンサー(ナシーム・バダグ、ラヴ・クルンチェヴィッチ、ホセ・パウロ・ドス・サントス)がその動きに加わっていく。そこに規則性はなく、曲線的なフォルムに支配される肢体は、背後の明かりの直線的、規則的な形状とは対照的だ。これから流れてくる音楽の、そこに描写された自然界の物象を表現しているのかもしれない。
とはいえ、その肝心の音がいつまで経っても聞こえてこない。かの有名な楽曲とともに踊るはずなのだが…。誰もがその始まりを期待していただろう。が、延々と続く静寂の中での舞に、観客の中には隣の人とヒソヒソ話を始める人、あるいは頭を垂れ始める人もいた。
どのくらい経っただろうか。スピーカーから突如弦の響きが鳴り渡った。それはあの曲集の冒頭を飾る〈春〉ではなく〈秋〉、しかもその緩徐楽章。なるほど。必ずしも春夏秋冬に並んだ曲順に沿って進むわけではないようだ。しかも、次にその第3楽章が来るわけでもなく、再び沈黙の闇に落とされる。つまり、全体の構成は原曲を離れ、まさに「創意」に満ちたものとなっていた。
振付も、音楽の形に沿った部分とそうでない部分があった。もちろん、曲の音画的要素はダンサーの仕草や写実的な所作(これは能の「型」を想像させた)の中に読み取れたが、抽象的な動作も多分に含まれる上、タップダンスやブレイクダンスなどの素材が入るなどモダンで異種混淆的であった。
むしろ、その動きは特定のダンス・スタイルのもとに展開されるというより、鳴り響く音の形状をなぞるようであった。上下行や旋回といった旋律線に合わせた足の運びや律動に合わせたステップ、ホモフォニックな進行においては踊り手の動きもユニゾンとなるなど、音楽の様々な要素が4人の身体によって表されていく。それだけではない。楽譜上には描かれない特質、すなわちバロック音楽特有のアゴーギク(テンポの揺れや音の伸縮)やデュナーミク(強弱の変化)を効かせた「演奏」に、多分にシンクロしているように見えた。
ここで、ケースマイケルがベイエの録音をもとに創作したことが思い出される。というのも、古楽界の新たな旗手とも言われる彼女の演奏は、強弱やテンポ、音の長さなどを大きく多様に変化させていく。もちろん、勝手気ままに行なっているわけではなく、作品が生まれた当時の楽器や慣習を踏まえた演奏法、すなわち、日本でもすっかり用語として定着してきたHIP(Historical Informed Performanceの略)という近年の潮流を代表するものだ。17〜18世紀の音楽の場合、実際の奏法については譜面には表されない暗黙の了解事項が多く、それらをいかに音としてリアライズするのかについては、奏者の知識と技量に委ねられる部分が大きい。このヴィヴァルディの「四季」のレコーディングがいまだに絶えないのも、そればかりか、以前にも増して解釈の幅が広がり多様な演奏が生み出されているのも、こうしたムーヴメントの結果であろう。
だからこそ、単に楽曲からインスピレーションを受けたという以上に、ベイエの「演奏」が、この一連の踊りを引き出したといっても良い。例えば、〈冬〉の冒頭楽章。音の立ち上がりと拍節感を強調した濁音混じりの合奏部と、その上を突風のごとく吹き抜けるベイエの独奏は、暗く凍てつく寒空の下に生きる人々の様子を喚起させるが、肩をすぼめぎこちない姿で進んでいく4人の動きは、頭上に鳴り渡る音の歪な形や響きによく調和していた。均質的な弦合奏による華麗さ、音色の美しさを重視した一昔前のパフォーマンスであったなら、このような動きは生まれなかったに違いない。
であれば、ここで本作の源泉となった「音楽作品」として挙げるべきは、ヴィヴァルディの「楽曲」よりもベイエによるその「演奏」であろう。日本では鑑賞教材にもなっているほどよく知られた曲への創作と聞いて、何をいまさらと感じなくもなかったが、実際に土台となっていたのは決して3世紀前の「古典」ではなく、つい10年ほど前に生み出されたばかりの「新作」(使用された演奏は2015年に録音されたもの)だったのである。極めて現代的な創意に満ちた舞台であった。
それにしても、ここに描かれる四季の風物は、文字通り過去のものになったかのような感がある。日本では、この6月は雨が多く気温もそれほど上がらない「梅雨らしい」気候を体感したが、公演が行なわれたまさにその時、ヨーロッパでは殺人的な熱波が多くの被害をもたらしていた。しかもそれは例外的というわけではなく、一昔前まであった4つのシーズンの移ろいがもはや感じられなくなってきたとの声が聞こえてくる。いや、この日本でも、かつてのような季節の変化はすでに失われ、夏と冬の2つだけになったかのごとく気候が変化してきている。ケースマイケルへのインタビュー記事によれば(2)、本作の背景には気候変動や自然破壊への危惧があったというが、背後に並んだ人工的な光に対しコントラストを描くように展開された生物の営みは、力強く見える一方で儚くもあった。今は最後の抵抗の時ということであろうか。作曲家が「四季」を音に描いてから300年。そのイメージを共有できる空間、時間はもはやほとんど残されていないのかもしれない。舞台からは祈るような思いも強く伝わってきた。
(2026/7/15)
(1)彩の国さいたま芸術劇場にて撮影
(2)公演プログラム所収の「アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル インタビュー」(聞き手=唐津絵里[愛知県芸術劇場芸術監督])より






