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アンサンブル室町による「日々是好日」|丘山万里子

アンサンブル室町による「日々是好日」
Carpe Diem ~Every Day a Good Day~ J’aime l’Ensemble Muromachi

2026年3月13日 日本福音ルーテル東京教会
2026/3/13 Japan Evangelical Lutheran Church Tokyo
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by bozzo/写真提供:一般社団法人アンサンブル室町

<出演>アンサンブル室町
指揮:鷹羽弘晃
ソプラノ:溝淵加奈枝
カウンターテナー:久保法之
バロック・ヴァイオリン:須賀麻里江、高岸卓人
ヴィオラ・ダ・ガンバ:武澤秀平
バロック・チェロ:山田慧
三味線:守啓伊子
箏:日原暢子、平田紀子、長谷由香
尺八:黒田鈴尊
琵琶:久保田晶子
横笛:あかる潤
フラウト・トラヴェルソ:菊池奏絵
リコーダー:菅沼起一
リュート:山田岳
打楽器:篠田浩美
チェンバロ:流尾真衣
オルガン:大平健介
ナレーション:湯川ひな
コンテンポラリー・ダンス:島地保武
芸術監督:大平健介

<曲目>
5.7.を除く全曲:夏田昌和作曲
【第一部】
朗読:湯川ひな(谷川俊太郎4作、長田弘2作)
1. 物想いの午後(2023)/チェンバロ
2. 水無月の夕(2023)/尺八
3. 秋の木漏れ陽(2025/委嘱新作・初演)/ギター、リコーダー、篠笛、琵琶
4. 二重にされた昔の歌(2008/2025アンサンブル室町版・改訂初演)/尺八、フラウト・トラヴェルソ、2バロック・ヴァイオリン、バロック・ヴィオラ、バロック・チェロ、チェンバロ
【第二部】
コンテンポラリー・ダンス:島地保武
5. 京鹿子娘道成寺(抜粋・初世杵屋弥三郎作)
6. トリスタンとイゾルデの愛の二重唱 (2026/委嘱新作・初演)/ソプラノ、カウンターテナー、邦楽器と古楽器の大アンサンブル
7. 吾妻鏡より「しづやしづ」(久保田晶子作・新作初演)
8. オルフェオの嘆きのアリア(2014/2025)/ ソプラノ、カウンターテナー、邦楽器と古楽器の大アンサンブル

 

本誌で何度も取り上げられ、行きたいと思っていたアンサンブル室町。やっとチャンス到来。感じ、考えること多く、自由に書かせていただく。

それは、大久保駅からの道にはじまった。
日本福音ルーテル東京教会は初めて。いつも中央線を使う私はこの駅でたくさんの外国人が乗降するのに、漠然と想像していた街並みではあった。いや昔々、新大久保近くに磯崎新設計の斬新な東京グローブ座(1988)というのができ、何回か何かを見にゆき、帰りは新大久保から大久保へ歩いたから、残像はあった(逆コースだが)。ものの、狭い歩道を肩をぶつけんばかりにすれ違うさまざまな国の人々と、立ち並ぶ雑多な食堂、食材、コスメ店などの看板やぎらぎらライト、いろんなもんが混じり合った街それ自体の体臭(マスク装着なのだが)にドギマギ大汗で新大久保のガードをくぐり、どこまでも続くごった煮に、いったいこんなで教会があるのか、不安のあまり誰かに道を聞きたいのに、みんな旅人ばかり。どうする、とキョロキョロ細い路地まで覗き込んでいたら、あ、少しく引っこんだ暗がり空間があるではないか。その時の安堵と言ったら。

30分前にも関わらず、入場に行列。
教会は大抵、木の硬いベンチだがここはふんわり柔らかく、なんだか優しい。眼前のステンドグラスに、コルビュジエ『ラ・トゥーレット修道院』を思いだす。建築家石山修武がそのスロープと窓割りに刻まれたクセナキスの痕跡を「カチャ、カチャー、カチャリーン」と表現、その音楽的リズムは「あみだくじみたいだが数理的なルールがある」と言っていた。
そしたら頭に、カチャカチャーカチャリーンの澄んだ響きが鳴り出してしまったのである。
光とステンドグラスの絵柄が触れ合う透明な音。真ん中の十字架とゴールドの組み合わせがこれまたスタイリッシュで、あみだくじテイストにピッタリ。
ここまでが私の前奏。

照明が落ち、谷川俊太郎詩の朗読が始まる。
朗読は苦手だ。声、音高、語り口、詩自体への好みがある。場の雰囲気も。脳内カチャリーンの今の私に、声と言葉は鬱陶しい。何かを聴き取ろうとしてしまうから。
やがて響くチェンバロに、ほっとする。乾いた、鈴が鳴るような響き。ジグザグ進行と半音下降に和声、左右合わせると常に12音高完成かつ「ああでもない、こうでもない…と思い悩みがちな、気怠い午後の心象風景」(自作解説)とかに、ラ・トゥーレットのスロープに落ちる光と影の窓割リズムと音を感じてしまう私。まさにああでも、こうでも、あみだくじ。
と、また朗読が入り、尺八ソロへ。ここでもペンタトニックジグザグ下降音形(日没と夜の帳のイメージとか)が闇の中、変容しつつ浮遊。実は1週間前に「The Shakuhachi 5 [浮世絵プロジェクト]」で黒田の演奏に触れたばかりだが、現代作品と言っても色々だ。気負いなく自然な旋律線の描く弧。あるいは震える情念。気怠い午後は夕闇へと落ちてゆく。
ここらで、私の耳は朗読をスルー(聴き取ろうとしない)、舞台転換のつなぎとし、古楽器と邦楽器の綾なす木漏れ日へと穏やかにいざなわれる。最初はそれぞれの楽器の異なり(様々な意味で)へと意識がいったが、そのうちどうでも良くなった。リコーダーと篠笛の空間対置そのほか、音の相違の認識に何の意味があろうか。こちらもジグザグ進行で、立ち昇り行き交い響き合う多様な音の流れ、時折鳥の囀りなんかが聴こえたりし、その頭上に、十字(架)を囲む柔らかなゴールドの灯りが点っているのを感じる。いい…。

次いで、古楽四重奏を加えての尺八ソロ、フルートソロなど、懐かしき昔の歌、つまりわかりやすい節(ふし)、和音、カノンのアンサンブルが空間を浸す。四重奏団の鄙びた音色が邦楽器にすんなり馴染むのに、ほほうと顎を撫でていると、禅語「日々是好日」(にちにちこれこうにち)の極意が垂れてきた。いや、ここに至って私には、ジグザク音形下降音が全作ずうっと一続き、川端の柳枝のように揺れ続けている、と思えたのだ。「日々是好日」とは「毎日がめでたい」の意。ざっくり言うと雲門禅師が弟子に月日の流れ(暦の前後)を問い、自答した句で、これに「エビは升を跳ね出せない。誰もに名月と清風はあるものだ。海神は珊瑚の貴重を知るが、その真価は知らない」*)が続く。日々がめでたい、をどう受け取るかはそれぞれと私は思うが、その川端柳の揺曳に突如、亀裂が入った気がしたのは、谷川の詩『今という時』の言葉でなく、背後の十字架が一瞬せり出したせい。爆撃にさらされる今のイランの人々に、そんなこと、言えるか、と。
が、それも休憩、和やかな聴衆のさざめきに、すぐと消えた。

後半はダンサーに目がゆく。三味線と歌の『娘道成寺』であれば、手足長き髭面ダンサーの人形浄瑠璃風振り付けが私にはどうにも異様、なのは伝統芸能のそれをいくらか見知っているからで、若い人には違和ないのかも。一つ飛んでの演目、能『二人静』で知られる『しづやしづ』(静御前が謡い舞ったとされる『吾妻鏡』中の二首)を琵琶歌とした久保田の新作の方は、目が慣れたこともあり能もどき、とさして気にならず。西欧劇(ドラマ)に挟まって、謡と楽器本来の持つ情趣・エトスはそう簡単には抜けないな、と改めて思う。
一方、ワーグナーのケルト伝説『トリスタンとイゾルデ』とグルックのギリシア神話『オルフェオとエウリディーチェ』は、カウンターテナーとソプラノの声がやはり西欧劇そのもの。ダンスもいかにもコンテンポラリーだが、ステージ中央、ほとんど音の化身と見える鷹羽の指揮の身体運動美に見惚れ、私には目の隅をかすめる程度。が、両サイドの客はダンサーを追って斜座りするからちゃんと全体像の一部となっているのだと思う。

この2作は西洋の下絵(楽器を含む)に邦楽を重ね刷り、その変移の中に人間にとって普遍的課題たる「愛と死」を描出するもの。合間に日本伝統芸能が入ることで、和洋のドラマトゥルギー、様式の相違と同時に、両者混淆による渾然も体感され、私には非常に刺激的であった。双方楽器にある自然の手触り、風合いがつなぐ不可思議音響、既視と未見が瞬き、書法に「現代音楽」の押し付けがましさがない。ここでも下降音形が「嘆き・ため息」を表象、全体を染める。
亡き妻を追い冥界へ赴く古代ギリシア神話「オルフェウス」は、『古事記』『日本書紀』の黄泉の国の話(イザナギが妻イザナミを追い黄泉の国を訪ねる)と重なる。愛の二重唱は「永遠」を歌い、妻への愛慕は我が身の「死」を願う。いつの世も人の「愛と死」は表裏で、「永遠」は果てなき焦がれとして今なお私たちの眼前にある。
教会という場でのこの光景、そして古と今を結ぶ音景に、人間と音楽の変わらぬ営為と姿が浮かび上がってくるようだった。

終演後、ベンチにぎゅう詰め、溢れんばかりの聴衆の喝采(若者がたくさん)、奏者共々の祝祭感は半端なく、ステージと地繋がりの高揚感が満ちる。
朗読は、ダンスは、など呟いた私だが、終演時にはそんなもの吹っ飛んだ。雑多なものそれぞれの点滅と流動が生み出す「全体」は、私にはヒヨドリの「龍の渡り」のように思えた。聴衆は思い思いに、聴きたい音、見たい景色を楽しめばいい。そんな開けた在り方。
公演を取り仕切った芸術監督・オルガニスト大平健介の手腕に今後も期待したい。

帰路はとっとと早かった。
飲食店の猥雑はさらに増していたが、歩道に飛び交う各国語の声声は、その夜の後奏にふさわしく。たぶん誰もが不条理な現実にどこか繋がれてはいるのだけど、肩触れる狭い路地から、人も音楽も決して消えることはないだろう。

*)現代語訳『碧巌録 上』第六則 [ 雲門の「毎日が吉日」] 末木文美士編 岩波書店 2001 p.114

(2026/4/15)

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Carpe Diem ~Every Day a Good Day~ J’aime l’Ensemble Muromachi
<Program>
1. Après-midi pensive (2023)
2. Soir de juin (2023)
3. Sunlight filtering through trees in Autmun(2025)
4. Layered Song from Long Ago (2008/2025)
5. Kyōganoko Musume Dōjōji
6. Das Liebesduett von Tristan und Isolde(2026)
7. « Shizuya Shizu » d’Azuma Kagami (d’Akiko Kubota, Création)
8. Air de la complainte d’Orphée (2014/2015)

<Artists, staff>
Artistic Director: Kensuke Ohira
Composer: Masakazu Natsuda (commissioned work, world premiere)
Monologue: Hina Yukawa
Contemporary dance:Yasutake Shimaji
Conductor: Hiroaki Takaha
Soprano: Kanae Mizobuchi
Countertenor: Noriyuki Kubo

Ensemble Muromachi
[Japanese traditional instruments]
Shakuhachi: Reison Kuroda
Koto: Yoko Hihara, Noriko Hirata, Yuka Hase
Yokobue : Jun Akaru
Biwa: Akiko Kubota
Shamisen: Keiiko Mori
[Period instruments]
Baroque violin: Marie Suga, Takuto Takagishi
Cembalo:Mai Nagareo
Viola da Gamba: Shuhei Takezawa
Baroque cello: Megumu Yamada
Flauto traverso: Kanae Kikuchi
Recorder: Kiichi Suganuma
Lute: Gaku Yamada
Cembalo: Mai Nagareo
Organ: Kensuke Ohira
Percussion: Hiromi Shinoda