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私の10年|藤堂清

私の10年

Text by 藤堂清 (Kiyoshi Tohdoh)

Mercure des Artsが創刊10年を迎える。
私の10年も、かなりの部分それとともにあったと言ってよい。
当初5名で始めたこのサイト、自分たちで記事をアップロードすることや、編集することができるように、プロの方に整備していただいた。私はWeb担当という役割で、サイトに記事をアップする作業を担当することになった。基本的なところはできる、とは言うものの、始めてみればいろいろなことが試行錯誤の連続。記事の掲載順序をどうやったら考えたとおりにすることができるかとか、原稿通りの行間にならないのはどうしてか、といったことに対応するための細かな作業手順を決定する必要があった。
編集長の丘山万里子さんが記事の校正を行い、ていねいに整えてサイトにアップできるようにして私に渡してくれた。
メンバーの中に林喜代種さんがいたのは幸運なことであった。彼のページ『撮っておきの音楽家たち』には毎月のように投稿。さらに他のメンバーが書くレビュー対象のコンサートにも足を運び、多くの写真を提供いただいた。
他のメンバーもこの新しいサイトを盛り上げるべく、多くのレビューを書いていた。
外部の方に書いていただく『Back Stage』『五線紙のパンセ』といったページも当初からスタートしていた。
ゲスト寄稿で書いていただく方など加えるうちに、その中からメンバーになる人もでてきた。そういった流れを作ったのは丘山編集長の人脈であり、手腕であったと言えるだろう。次第にグループを拡大していった。
大きな転機となったのは2020年のコロナ禍。コンサートが中止となり、レビュー記事が書けなくなった。この状況にクラシック音楽界がどのように対応していたかを日々記録し、それを半月ごとに記事としてアップしていった。この『クラシック音楽界の新型コロナウィルス対応記録』は、先が見通せない時期にどのように活動していたかを語る貴重な情報になっていると考えている。
コロナ禍が落ち着きを見せたころから、丘山編集長が体調を崩すことが増えた。今後の継続を考えると、一人で編集の作業を担うのではなく、複数が対応できるようにしていくことが必須になってきた。2024年6月をもって丘山さんは編集長を退任、みんなが順番に編集作業を担当するような体制に移行している。
同じことはWeb担当の細かい作業を担ってきた私の作業も、他の人ができるようにすることが必要と考えられた。今年になるまではそんなに差し迫っているとは考えていなかったのだが、間質性肺炎と診断され、急遽入院することになり、実作業に携わることが困難になってしまった。幸い齋藤さんがWeb担当の作業を理解し、引き継いでいただいた。私にとっての10年、なんとか無事に終わりを迎えたと考えている。

(2025/10/15)