私の10年|ビューティフル・ドリーマー|齋藤俊夫
Text by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
「友引高校という名の竜宮城でドタバタあけくれて月日がたつのも夢のうち。おぬし、亀でも助けたか」
「昨日も一昨日も、いやそれ以前からずーっとずーっと以前から、気の遠くなるぐらい前から、私等、学園祭前日という同じ一日の同じドタバタを繰り返しているんじゃなかろうかと。そして明日も」
アニメ(*)映画監督の鬼才・押井守がその名を世に轟かしめた永遠の傑作として「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」という作品がある。主人公(諸星あたる)やヒロイン(ラム)達がドタバタドタバタと学園祭前日を満喫しているのだが、その学園祭当日がいつまでたっても来ず、彼等は学園祭前日を延々と繰り返し続け、ある時点からメインキャラクター以外の人間が全て消え、学園と街も崩壊し……という粗筋の映画である。
タイトルから察せられる通り、メインキャラクター達は繰り返される学園祭前日と崩壊した街という形の誰かの「美しい夢」に閉じ込められたのであり、その誰かとは誰なのか、その夢からどうやって脱出するのか、が物語のキモとなる。
延々とここメルキュール・デザールで執筆を続けること「だけ」で、執筆活動以外何もしてこなかった自分の10年間はまさに「ビューティフル・ドリーマー」の終わらない学園祭前日であった。繰り返すが、ホンットーにこの10年間メルキュールでの執筆活動以外なにもしていない。自分の生活にあるのは演奏会の予定と締め切り日だけであった。高校のオーケストラ部、大学のSF研究会でも学業という本分があっただけマシ(?)である。音楽について熱く語り合い、綴り合ったものを毎月毎月刊行し続ける――ワイワイガヤガヤとした学園祭前日の夢のような時間を延々と繰り返して過ごす「ビューティフル・ドリーマー」とはまさに私に他ならなかった。
「蝶になった男が目を覚まして、果たしてどっちの自分がホンマやろう。もしかして、ホンマの自分は蝶が見てる夢の中にあるんちゃうやろか」
私にもわからない。本当の自分とはどこにいるのか。こうして原稿を執筆している自分こそが本当の「私」であり、そうでないことにかまけている自分は自分ではないのではないか、と。
だが、「ビューティフル・ドリーマー」では日本アニメ史上に残る最も残酷な一言が発せられる。
「責任とってね」
この10年間の「責任」を取るために、今、私は足掻いている。
だが、メルキュールで生まれたもう一つの夢、伊福部昭評伝もまた責任をとるべく足掻いている。私の騒がしくも美しい「夢」はまだ終わっていないようだ。
(*)押井守は実写映画も手掛けているが、筆者にとってはあくまで「アニメ映画監督」なのでこう書かせていただく。
(2025/10/15)

