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私の10年|秋元陽平

私の10年|秋元陽平

Text and Photos by 秋元陽平(Yohei Akimoto)

わたしのここ10年を大きく半分に分けてみよう。半分は博士論文を中心にまわる研究生活であり、もう半分は二人の子どもを中心にまわる——というよりも子どもに振り回される家庭生活である。半分は修行で赴いたスイスでの5年であり、もう半分は子育てのためとどまった故郷・東京での5年である。論文は遠からず完成するが、それは何かを終わらせるのではなく、むしろわたしを近代フランスという沃野のとば口へと導いたのであって、そこにはこの先何十年かけて取り組むべき人間の謎が待っている。わたしの足もとに縋っていた子どもたちはといえば、そうこうするうちにもうわたしの手を引っ張って駆け出すようになった。やはりこれから何十年かけてわたしとは違う世界を掘り下げてゆくだろう。播種の10年?それでは自らパラノイアを育むような物言いという誹りは免れない。欲求は自分が予想しているのとは少し違う角度で意識の水面から突如射出される。気づいたときにはその角度を修正できず、なすがままにしているうちに誤差は次第に蓄積し、やがて描いていた場所とはまったく違う地点に不時着することになる。いや、まったく違う、と言うこと自体、後知恵なのだ。わたしたちは——わたしはむしろ、それが不時着であることを容易には認められない。ただ滑空のあいだじゅう、空中分解を起こした意志と欲求を結びつける後付けの理屈を探して、めまぐるしく頭を巡らせているだけなのだ。そうしてひとつの弁明、回顧、そして「わが人生」というidée fixeが生まれる。意識された生とはそういうものだ。けれどもはしゃぐ子どもに手を引かれてすすむときには、一切の弁明、自省の余地もない。控室のドアがせわしなく開け閉めされ、お仕着せの衣装で舞台に引っ張り出されたかと思うとセットはめまぐるしく回転し、何もしないうちに予定調和の拍手が沸き、それがやまぬ内にせき立てられて脇に引っ込み、あれやこれやと舞台仕事を手伝わされ、演目をほとんど見ないまま終演後にすごすごと観客席に戻ってひとり空の舞台を放心して眺めていると、妙な懐かしさにおそわれてため息をつく、そのようにして一日が終わり、それを繰り返す。たぶん次の10年は、それを分類して整理するための活動指標をさほど必要としないだろう。彼らの背くらべの跡が柱に刻まれるように、彼らの年齢が時間を小気味よく刻んでいって、支離滅裂なわたしの意志の彷徨によってぐずぐず引き伸ばされた歳月に不相応なほどみごとな章立てを与えてくれるだろうから。それならばわたしはいよいよわたし自身のみを相手に弁明へと喚問されることになる。結局のところ皆一人で死ぬのだから。

(2025/10/15)