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三つ目の日記(2025年7月)|言水ヘリオ

三つ目の日記(2025年7月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio):Guest

 

2025年7月1日(火)
早朝から薬の溶けた水を2リットル飲んで胃腸のなかを空っぽにする。12時半に医院へ。すぐに検査が始まる。横になって、注射を打たれる。意識がもうろうとして、その後の検査の記憶がない。終わったようである。「ガスが出るからトイレに行きましょう」と言われたことは覚えているのだが、トイレにいたことを覚えていない。30分か1時間くらいベッドに横になりその後診察を受け、医院から出る。もう食事していいと言われたので牛丼を食べて皮膚科の医院で塗り薬をもらって買い物して帰宅。

 

7月3日(木)
用事を済ませて地下鉄に乗り菊川へ。「絵やことば +++ cure meditationとしての」という展示を見る。会場はクラフトビールが飲めるバー&本屋。パイナップルジュースを飲んでひと休みする。作品は激しく主張するわけでも、声を潜めて縮こまっているわけでもないように感じる。言いたいことがあればふりしぼってそれを投げかけ、見てほしいものがあれば置いておく。レジ前に『ケアと編集』(白石正明著、岩波新書)という本が積まれていて、「なぜ「弱さ」という傾きをさらに傾かせるのか?」と記されている帯文に惹かれて購入する。

 

7月4日(金)
銀座、京橋で展示を見る。途中でとても嫌なことがあり気持ちがくさくさする。おしっこをする。
「樺山カナヤ真理展」の会場に入る。突然、かすみがかかった視野に、絵のある野が開ける。絵は風景のようでもあり、ある場所、あるときの気配を感じさせるなにかのようでもあり。動的なものごとをそのままに絵にしたように感じる。意識して絵を描くという行為。意識の外で、絵が絵になってゆくこと。そのせめぎあいから、作品は生じる。そのような意味のことを作者から聞く。話を聞きながら、横へたなびくように流れる絵の具から、溶けて滴り落ちるように跡を残す絵の具の画面の、右辺から下辺へとほぼ直角に曲がる太い線の走っている絵を見ている。絵を見ているこの体験に、作者の話が溶解してゆく。

 

7月11日(金)
昼、呼び鈴で起こされ、それから身支度をして麹町へ。光藤雄介の展示を見る。4点並んでいる壁の作品を右から見てゆく。ピンクと濃いブルー。太い色と細い色。それらが交互に並んでいる。線だろうか。それとも、極細の面だろうか。絵画制作のための画材ではなく、筆記具かなにかで描かれているように見える。線はきわめて入念に引かれているが、わずかにずれているところもある。
左へと一歩ずつ進み、しばらく見ていて、最初の作品に戻る。画面の縁のところと線の端のところがなにかを明示している。線が引かれるとき、画面と描く先端が触れて移動して離れる。始まりから終わりの方へ向かうということ。そのことが、線に記されている。向きの揃えられた一組、逆向きに揃えられた一組。それらが互い違いに交差して格子を成す。離れてその壁の4点を眺める。音符であり星座である。
その向かい側には、2点の作品。左側は、電気系統の機器かなにかが収められていると思われる大きな蓋の前面にある大きな正方形の作品。壁面からは距離があり、木材による脚が作品の背面に付けられていて床を支点に自立している。作品の背面は、見せるようにはしていないかもしれないが、見えるようにはなっている。そして、なぜかその下の床に、わずかにでっぱりのある枠状の囲みがあり、作品を立たせている脚がそのなかに収まっている。水平(床)と垂直(壁)が入れ替わって、上部側面が正面になっているような感覚。右側の壁面には矩形の作品。その左下の床に、数センチの高さのある直方体のでっぱりが右上の作品と引き合うようにある。その出っ張りから壁面下部のコンセントを経て螺旋状に作品が立ち上がっている。これらのでっぱりを契機に、作品を別の視点から見ることとなる。
ギャラリー内のガラスケースの上に、作者の作品がジャケットになっているレコードと並んで、作品が一点展示されていた。他とは異なり、薄いブルーとオレンジ色の線が引かれている。わたしは、その作品ではなく、隣のレコードジャケットばかり眺めていたことに、しばらくしてから気づいた。

 

7月25日(金)
銀座一丁目駅から京橋へ歩き、目当てのそば屋へ行くと臨時休業。その店のまわりにほかの店があったが、食事をしないで展覧会をめぐることにする。濱田富貴の銅版画、および墨による作品。植物に宇宙を見る。空を見て地表でのことを知る。これらの作品も時間と空間の生成にほかならない。隣の部屋では桑原理早の展示。ひとりの人の重なり移動する身体。モデルと作者がコミュニケーションを取り数多くのクロッキーが描かれ、そこから生じる作品と聞く。
その後7つの展示を見て、空腹に耐えられずコーヒーのチェーン店でサンドウィッチを食べる。今日は暑いのかどうかよくわからない。冷房を涼しいと感じるので屋外は暑いのかもしれない。
店を出て、飯島暉子の展示。インドネシアのスーパーでは、石鹸が白い紙に包まれていて、買って包みを解いてはじめて何色の石鹸かがわかる。石鹸を手で包むと体温でやわらかくなってくる。かたちづくろうとしているのではない。というような作者の話。むきだしの作品のほかに、透明のアクリル板に収められている紙の作品が壁にあり、そこに周囲が映り込んでいる。
もうひとつ展示を見て今日は終わり。天丼のチェーン店で食事する。

 

7月31日(木)
神保町で用事を済ませて初台へ。
中尾微々写真展。光の粒が散らばっている。部分的に規則的に並んでいることから、蜘蛛の巣についた露が光っているのではと想像する。
20歳になると国籍を選ぶことができる。外国籍から日本籍を選ぶ際の書類に、氏名が書かれている。そのほかは空欄。一行、自主的に自らが選んだのだと念を押すような建前の命令めいた文が印字されている。
家屋と川と、線路を支えるコンクリートの壁。川に沿った道を人が歩いている。
蔦に覆われ屋根に草の生えた無人と思われる家。
カメラのレンズを、あるいは見るものの目を凝視している人。目をそらしているひとりの人。
スペースに併設されている本棚から『インプロヴィゼーション』(デレク・ベイリー著、竹田賢一・木幡和枝・斉藤栄一訳、工作舎)を購入し、『偶然性と運命』(木田元著、岩波新書)という本を教えてもらう。
帰宅してネット古書店で『偶然性と運命』を買う。その後ひどい頭痛。首をマッサージする。

 

〈写真掲載の展示〉
◆樺山カナヤ真理展 ─在るものと成るもの─ 会場:ギャラリー檜C 会期:2025年6月30日〜7月5日
「檻の外」Out of the Cage 光藤雄介 会場:Flat River Gallery 会期:2025年7月5日〜7月19日

(2025/8/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、2024年にウェブサイトとして再開した『etc.』を展開中。https://tenrankai-etc.com/