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三つ目の日記(2025年6月)|言水ヘリオ

三つ目の日記(2025年6月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio):Guest

2025年6月4日(水)
近所の医院で採血。このあいだの病院の方とは違って、慣れていない様子。なんどもなんども血管に沿って腕を撫でている。案の定というか、針は血管から外れたようで、反対の腕も差し出すことになる。痛い。飴玉ひとつくらいはもらいたい気持ち。

 

6月6日(金)
福田尚代の展示を見る。かつてはライブハウスだったという場所。1階は照明をつけていない。はるか上方、天井近くの小さな窓からの外光が広い空間に漏れている。16時ころ。まだ日没には時間があるがすこし薄暗い。空気が充満し漂っている。初めて見るごく短い色鉛筆の作品。文庫本を包んでいたグラシン紙の作品の前では息を止めた。2階へ。急な階段を高いところまで登る。とてもちいさな文字でつづられた矩形の作品は、作者自身への問いかけや独白のようであった。これまで保管され初めて展示されたと聞く。その作品の各所に、保管された年月を感じさせる痕跡がある。振り返って、高いところから1階を見下ろして足がすくむ。床のひび割れが目に入る。点在する作品とそれを結んでゆく人たち。余白に残された跡があるとしたらこのようではないだろうか。1階に戻り、空間を横切り、また横切る。たたずむ。ふと、離れたところにある、壁に設置された作品が薄暗がりのなかで淡い光を帯びているのが目に入る。その場所に作品が置かれたことでまたとない世界が現れ繰り広げられている。晴れ。曇り。雨。日中。夕方。それらの条件で空間は様変わりしてきたのかもしれない。今日は曇りの日。
空間の閉じる時間が来た。この場所を後にする。
2021年3月23日の日記)(2024年6月22日の日記)

 

6月10日(火)
大きな医療施設で肺のCT検査。あっという間に終わり、施設内の自販機で缶コーヒーを買って一息つく。雨が降っている。裏道の細い緑道を駅まで歩く。牛丼を食べて帰宅。

 

6月11日(水)
近所の医院で胃の内視鏡検査。終わってからベッドで1時間くらい休む。外に出ると小雨が降っている。帰宅途中、コンビニエンスストアでヨーグルトドリンクを買う。

 

6月18日(水)
15時過ぎ。外に出ると熱気が肌を刺す。近所の医院へCTと内視鏡の結果を聞きに行く。帰宅途中、コンビニエンスストアでヨーグルトドリンクとアイスを買う。

 

6月20日(金)
ずっと気掛かりで気重であったことを、必要に駆られて実行する。あまりにも簡単にことが済む。牛めしを食う。電車で代田橋へ移動。いつも目印にしていたおもちゃ屋が解体され更地になっていた。休憩場所にと決めていた喫茶店の手前に入ったことのないもうひとつの喫茶店を見つけ、試しに入る。チーズケーキとコーヒー。1時間ほど読書する。軽い口調で身辺のことを独自の視点で切り込むエッセイ。だが著者は、自分のものの見方にがんじがらめになっているのでは……。16時が近くなり店を出る。
1階の立ち飲み屋はまだ開店しておらず、その営業に先立って開いたばかりの2階のギャラリースペースへ急な階段を上がる。店の人に促されて、展示されている、キャンプなどで使われるようなアウトドアチェアに腰を下ろしてもたれかかり、足置き台にふくらはぎのあたりを載せる。アウトドアチェアと足置き台は2組設置されていて、自分はその片側にいる。その状態で、何枚にもわたり記された展示作品ひとつひとつの説明を読む。作品の説明には、それがなんであるかということや、作者にとってそれがなんであるかということなどが記されていたように思う。展示されているものの来歴などを知る。読んでいる途中で作者が会場に。そして、持参したノートパソコンで文字入力をしている様子。自分は作品の説明を読み終え、しばらくそのままでいる。リラックスした状態。のちにこの体勢は、シンデレラが靴を当てられている体勢であり、足ツボマッサージを受けている体勢でもあると知ることになる。
サンダルが置かれている。片方は台湾の、もう片方は沖縄のもの。作者がたびたび訪れ、東京以外の拠点としている場所。そこでは誰かと酒を飲んで二日酔いになるのだという。そういうときに交わされたなんでもない会話のなかにも、漏れ出し見え隠れする歴史の痕があったりするのだろうか。
音楽が流れている。台湾の曲。歌詞は政治を批判する内容であるが、恋愛ソングのうわべもとっている。わたしには歌詞の意味はわからず、ただ歌謡曲のように聞こえている。いつのまにか立ち上がってひとつひとつの作品を見ている。脚立が置かれ、そこに本が展示されている。沖縄や台湾やシンデレラにまつわる本。手にとってぱらぱらとめくる。付箋の立っているところをいくつか読む。黒いキャリーケースが隅に置かれている。展示してあるものは、これで運ばれてきた。終わればまたここに収めて持ち帰られる。そういう話とそのほかの話を聞く。
この展示はどのようなものであるかということを記した文章が展示のなかに掲示されている。「コンビニでプリントしてきます」という声が聞こえる。パソコンでの文字入力は、掲示の文章を書き直していたのだ。しばらくして戻ってきた作者は、先に掲示されていた文章の紙を外さずに、その紙があったことはわかるようにすこしずらして、上からプリントしたての書き直した文章の紙をピンで留めた。紙の下部には今日の日付と「展示ステートメントver.2」の文字があった。
展示を見に来ているのだが、友達の部屋を訪れているような感じがする。以下は作者である川島剛のInstagramの投稿から許可を取って転載。
「本展示は、「凡庸でありながら同時に特徴的でもあること」をテーマに、制度に適応しながらも逸脱する日々の身振りに着目します。台湾の藍白拖と沖縄の島草履という左右非対称のサンダルを中心に、語学ノートや行動記録、写真などを展示。それらは、私たちが社会の中で無意識に繰り返す調整やズレ、やり直しの痕跡です。異なる文化や制度を生きる「二足のわらじ」の感覚を通じて、ひとつの規範に還元されない複数性と、その中に生まれるささやかな実践を探ります。」

 

6月23日(月)
深夜、賞味期限を3日過ぎているふたつのたまごを茹でる。スマホのタイマーを7分30秒にセットする。タイマーを止めてからゆっくりしていたら茹ですぎてしまった。
学生時代の先輩のSNS投稿を見る。大動脈の手術をしたらしい。コメントを残すと、もう朝も近いのにすぐに返事がかえってきた。

 

6月26日(木)
聖蹟桜ヶ丘。駅から直結している、百貨店、スーパーマーケット、その他店舗の入っているショッピングセンターで関口国雄の展示を見る。5階のA館とB館を繫ぐ通路が展示スペースになっている。展示場所となる壁面はかなりの長さがあり、絵が数え切れないくらい展示されている。
見ていると、通行する人から「こわい」という声が複数聞こえてくる。台の上に置かれている資料を丹念に読んでいる人がいる。ときどき立ち止まりながら通り過ぎてゆく人がいる。店舗から大音量の音楽が聞こえてくるが、この場所ではそのことに違和感がない。
展示のための壁は、鉄でできているのだろうか、円形の磁石で留められている絵がある。その他多くは粘着性のもので留められていると思われる。絵は紙や板に描かれている。ひとまわりし終える。一点一点の絵が走馬灯や高速スライドのように過ぎ去ってゆく。しばしば絵に見つけることのできる「やり直し」という文字が目に残る。その文字は書かれたものなのか、それとも描画されたものなのか。
写真を撮る。これまで作品とのあいだに生じていたやりとりがいったん途絶える。ほかにも写真を撮っている人がいる。
台の上にこの展示の案内チラシとサインペンと無地の紙の束が置かれていたので、名を記す。感想などを書く人もいるだろう。見上げると、空調の脇の絵がそっくりかえって風にびろびろと震えている。
最初にいた通路入口に戻る。もう一度展示を見る。A館からB館、B館からA館への通行のためのこの場所に留まり行き来している。壁面の大半を絵で覆われた通路。洞窟や管のなかにいる。作品が目となりかつて映った光景を表出している。

 

6月30日(月)
明日の大腸内視鏡検査に備えて検査食を摂取。

 

〈写真掲載の展示〉
◆福田尚代 日な曇り 会場:YOKOTA|TOKYO 会期:2025年5月19日〜6月13日
◆川島剛展 シンデレラと二足のわらじ Stinky Sandals for Cinderellas 会場:gallery DEN5 会期:2025年6月15日〜6月22日
◆挿話の習作 Study for an episode 関口国雄 会場:京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンター A・B館5F連絡ブリッジギャラリー 会期:2025年6月26日〜7月1日

(2025/7/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、2024年にウェブサイトとして再開した『etc.』を展開中。https://tenrankai-etc.com/