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三つ目の日記(2025年3月)|言水ヘリオ

三つ目の日記(2025年3月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio) : Guest

2025年31日(土)
山手線の遅延などがあり、「接触と沈殿 波多野祐貴のトーク「他人を撮ること」に遅れて着く。18時半ころトークが終わり、会場に残って展示を見る。駅までの途中にあるとんかつ屋で食事。食事どきなのだろうか、店内が混みはじめる。帰りの電車で座れたので、ギャラリーで配布されていた印刷物の文章を読みながら、さっき見た展示の作品、トークで語られたことを思い出す。席の隣の人の荷物が崩れ、読んでいた印刷物に落ちてきて、紙がぐしゃっと折れる。
帰宅して、記録のために案内状を写真に撮る。最初、横書きに配置された文字が読めるようにはがきを縦長に置いて撮った。すると印刷されている2枚の写真は横位置になった。それを見て、展示の写真はすべて縦位置の写真であったことを思い出す。文字の向きはイレギュラーになるが、はがきを横長の状態に置き、印刷されている2枚の写真が縦位置になるように撮り直す。
今日はずいぶん暖かい。部屋で半袖ですごした。 

 

3月3日(月)
中根秀夫の写真集『in ten years─うつくしいくにのはなし/理想郷』を読む。2013年に初めて福島県の浜通りを通りかかった際に撮った写真と、2021年から2024年にかけて「浜通り」で撮られた写真170点。読後、中根の歩いた道のりと、目にしたであろう風景を思う。いつシャッターを切り、いつシャッターを切らなかったか。 

 

3月4日(火)
中根秀夫の手記集『in ten years/風景論のために』を読む。2023年12月、2024年4月、2024年6月の3回にわたり、常磐線の富岡駅、夜ノ森駅付近で撮影したときのことが記されている。いくつかの記述に、きのう読んだ写真集のなかにあった風景を見つける。「復興」の名のもと、消えていく風景と、あらたに現れている風景を、もういちど写真集で見ておこうと思う。早朝外に出ると道の端にうっすらと雪が残っている。 

 

3月7日(金)
なかなか起きられず、20時を過ぎてようやくふとんから出る。2回食事して深夜になる。寒さに耐えきれず暖房をつける。「つける」なのか「いれる」なのかわからなくなりネットで調べる。答えは出ない。たぶんどっちでもいい。『etc.』への掲載依頼が届いて作成したページを確認する。ホットケーキを焼く。シロップが足りなくて粗糖をかける。まだ見ていない映画のDVDがある。その上に展覧会の案内状が置いてある。 

 

3月11日(火)
道の両側にある店を眺めながら歩く。すこし雨が降っている。寒くはない。中根秀夫の展示を見る。浜通りでの写真のほか、ベランダの花の写真とデモの写真。映像の作品を2本、1時間ほど見る。来るときに歩いた道を戻る。駅に着く。帰りの電車はすいている。パンとトマトジュースを買う。帰宅してすぐ日が変わる。脳裏にちいさな光が映る。それは、遠いところで世間とは関わらずにただ光っている。動画を見る。きゅうりを食べる。
早朝、外に出ると雨はやんでいる。道は黒く濡れている。 

 

3月12日(水)
ずっと部屋にいた。雨音が聞こえていた。郵便受けを覗きに行ってすこし髪が濡れた。深夜、郵便ポストまで歩いたとき、雨はもうやんでいたが、道は黒く濡れていた。下水の臭いが立ちこめていた。 

 

3月14日(金)
半袖Tシャツの上に長袖Tシャツ、その上にコートを着て外出。病院で定期検診。採血・採尿のあと、ベンチに座って2時間くらい待つ。職員の対応にいらついて怒鳴っている人がいる。診察。前回の血液検査の結果がよくなかったので心配だったが、すこし回復したとのこと。薬を受け取り、地下鉄に乗る。途中の駅で、ぶつかったのに謝りもせず行ってしまった人のことが頭に来て怒鳴る人がいる。銀座駅で下車。同時期開催されている中根秀夫の展示を見る。写真集でも見た風景が、明瞭さを増して目の前にある。空。くもり、雨模様、快晴、夕焼け、早朝の空気。
2020年10月4日の日記)2022年4月11日同日、4月16日同日の日記)2023年11月27日の日記)

 

同じ日
高田馬場へ移動。米田有甫の展示
先が枝分かれしてY字になっている木の枝。順を追って観察してゆくと、だんだんY字の部分が長く広くなっていくような気がする。軸には細長い紙片に年月日と時間、場所、面積が記されテープで留められている。なんの面積だろうと思い浮かべて、Y字になっている枝の先端に補助線をひいてできる三角形の面積ではないかと考える。違うかもしれない。場所は枝を拾った場所。時間はそれを拾ったのが何時何分かを示しているのだろう。自宅から鹿児島県を経てまた自宅に戻るまで。その間に、米田の設定したルールに沿って拾い継がれた枝ということになる。
向かいの壁には、さかさまにした二股の長い枝を各地で屋外に設置したときの写真およびその記録が、また、左端には枝の実物が展示されている。その枝が途中で折れてしまい、何度も修理したことと、場合によっては時間をおいて同じ場所に再設置していることが、記録のなかにのこっている。枝の実物を持たせてもらった。とても弾力がある。
奥には映像の作品。ずっと風の音が聞こえていたのはここからの音だった。台の上に紙があり、「イクシナ 令和6年89月 北海道斜里郡斜里町以久科海岸」と記されている。その海岸の砂浜で、米田はあたりに落ちている海藻や漂流物などを拾い格子の交点に位置するところに整然と配置してゆく。時間をかけて並べても、風の影響などで次の日には乱れてしまっていることもある。そういう場合はその乱れを直すことから作業が始まる。何日もそれが繰り返されたのだろうか。ふと鳥の群れが降り立つ。やがてそこを去る日が来る。そのときが完成ということなのかもしれないし、完成しなかったということなのかもしれない。
ギャラリーから駅への帰り道。薄紫の花が咲いているのを写真に撮る。 

 

3月15日(土)
深夜、ヘッドホンをはずすと雨音が聞こえてくる。きのう入手した米田有甫の記録写真集『展開』を読む。さかさまにした二股の長い枝を各地で屋外に設置したときの写真が、いつどこで、ときにどういう状態で、という記録とともに掲載されている。北海道、茨城県、群馬県、長野県、山形県、青森県、千葉県、栃木県、福島県、山梨県、新潟県、東京都、神奈川県、静岡県、滋賀県、福井県、兵庫県、岡山県、広島県、山口県、大分県、熊本県、鹿児島県、愛媛県、徳島県、岐阜県、秋田県。ページを辿って撮影地を拾ってみる。北海道で頻繁に設置している。自然と人工物とが拮抗しているところに設置して撮影していることが多いような気がする。読んでいると、枝は結構な頻度で折損し、設置のための移動中に仮補修をして続けたりしているようだ。 

 

3月16日(日)
食事しても満たされないものがあり、深夜コンビニエンスストアへ。カレーライスの弁当を買う。ほかに客のいない店内。セルフレジでバーコードを読み取る。 

 

3月20日(木)
用事を済ますのに手間取り、すこし遅れて会場に着く。中根秀夫のトーク。中根が歩いた浜通りの状況を聞き、刊行した写真集のページをはじめから辿ってゆく。2020年ころまで、撮影していた写真を発表することをためらっていたという。発表に至るには、気持ちの、考えの変化が、あるいは、そうするきっかけでもあったのだろうか。未発表の、今年撮った写真何点かをモニターで見る。展示でも写真集でも何回も見てきた「理想郷」という名のゲームセンターの場所が更地になっている。「ないものを写すのは難しい」ということばを聞く。トークが終わり、会場に展示されている作品をもういちど眺める。
帰宅して、用事を済ませる際に冷蔵庫から救出した、賞味期限切れ間近の袋入りハンバーグ3つをごはんに乗せて食べる。常温で長時間持ち歩いたから今日食べねばと思った。 

 

3月22日(土)
深夜、一枚の便箋にふたたび手紙を書く。速達にして投函する。 

 

3月26日(水)
台所の布巾を漂白剤に浸ける。ホットケーキを焼く。 

 

3月30日(日)
料理するのがめんどうで、近所で牛丼をテイクアウトしようと思ったのだが、店が臨時休業していることに気づく。しかたなく米を炊く。パソコンのアプリケーションを立ち上げようとすると、これまで見たことのない画面が現れる。わけのわからないまま操作して、見慣れた画面に戻る。2か所にファクスを送る。文字の表記でわからないことがありネットで調べる。検索して出てきたのは宣伝みたいなサイトばっかりで、たしかなことが記されたページがみつからない。開催された展覧会のことを記録した20分くらいの映像を見る。朝になる。麦茶を飲みながらスマホを充電する。 

 

〈写真掲載の展示〉
◆ディマ 米田有甫 会場:Alt_Medium 会期:2025年3月14日〜3月19日 

(2025/4/15 

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、2024年に『etc.』をウェブサイトとして再開、展開中。 

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