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プロムナード|引越し狂騒曲|大河内文恵

引越し狂騒曲
maelstrom of moving

Text by 大河内文恵(Fumie Okouchi)

10数年ぶりに引越しをした。それぐらいたつとモノの増加が激しく、荷造りよりもまず断捨離が必要だった。間取りが変わるので、家具や家電の一部も処分した。粗大ごみ処理券をいったい何枚購入したことか。

この際だからと、長年使っていた食器棚を買い替えることにした。どうせならこれまでの不平不満が一気に解決するものを買おうと、インテリアの本や雑誌、そういった情報を発信しているサイトやSNSなど、ありとあらゆるところを調べる。これまで食器棚とは別にレンジ台を置いていたのだが、それをやめて腰の高さに家電を並べること、キッチンの床や他の場所に点在していたゴミ箱を食器棚に組み込むことを条件に、ネットや実店舗やらあれこれ探して、ぴったりのものを購入することができた。

が、その食器棚には、これまで持っていた食器や調理道具をすべて収納することはできない。ここで断捨離である。いらないものと言っても、そんなものはそれほどない。そこで、ミニマリストと称する方々の意見をこれまた片っ端から読み、食器も調理道具もかなり処分した。(ら、引越してから必要になって買い直したものが若干ある。)

収納検定〇級とかミニマリストとかを標榜している人々のサイトを何か月も眺めていたら、自分の中である変化が起きた。それは、モノのない状態に目が慣れるにしたがって、それまで普通だと思っていた部屋を見て「モノが多過ぎる!」と感じるようになったことである。たとえば、テレビ番組で一般家庭のリビングなどが映ったりすると、それまで普通に見ていたのに、モノが溢れているように見えてきたのだ。元来、モノの多い家で育って、「普通」の基準が人より多い方に傾いていた自分が、ここまでものの見方が変わるとは想像もしていなかった。え、「普通」ってなんだっけ?

あるミニマリストの言葉でハッとした。片づけが上手くなるには、収納上手になることはオススメしない、というものである。それまで片づけ=収納だと思っていた私の目から鱗が何枚も剥がれ落ちた。片づけるために収納用品を増やすのは本末転倒、そもそものモノの量を減らさなければ、いくら収納を頑張っても片付いた家にはならない。この発想の転換によって、我が家の断捨離は加速した。最初の頃に買った収納の本すら不要になった。

さて、今回最も悩んだのがピアノである。学生時代からずっと一緒に暮らしてきたグランドピアノは引越し先には入らない。大学2年の時に振袖はいらないからグランドピアノが欲しいと親に買ってもらったピアノ。当時は物品税という税金の制度があり、音大生は免税になってピアノを安く購入できた。だから、このピアノには「免」というシールが貼ってある。幾度かの引越しにもついてきてくれたピアノは、ずっとお世話になっている調律師さん(楽器店も経営している)に買い取ってもらうことになった。ピアノ運送専門業者さんが来て、運ばれていくピアノを眺めていたら、ちょっと涙が出た。

とはいえ、楽器なしで暮らすのは寂しすぎるので、実家にあるアップライトピアノを運んでくることにした。こちらはさらに古い。「運んできて使えないとなったらもったいないから、ご実家のほうで専門家にみてもらったら」との調律師さんの提案に従い、実家近くの専門家にみてもらったところ、調律などはかなり狂っているが、状態はよいということがわかった。実はこのピアノ、グランドピアノを買う前、大学進学のために東京に出てきた時に一緒に上京したピアノだった。

当時お願いしていた調律師さんから、「このピアノは古いけれど、いいピアノだから絶対に手放してはいけない」と強く言われていた代物で、その時にフェルトや鍵盤の摩耗などを指摘されていた。そうしたことを大々的にやる資金が当時の私にはなかったのでそのままになっていたが、今回グランドピアノを売ったお金で全部直してもらうことにした。結局、楽器店から来たお金は同じところに戻っていった。いま、これを書いている自分の部屋には、アップライトピアノと本棚が3つ、仕事用の机と、すべての壁と窓際までぎっしりモノで埋まっている。この部屋だけは断捨離とは無縁だったらしい。

(2025/4/15)

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