中村治 写真展『NEON TOUR』|丘山万里子
中村治 写真展『NEON TOUR』
2025年1月15日 キャノンギャラリー銀座
Text by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by K.M
写真家中村治の写真展 『NEON TOUR』を見に、キャノンギャラリー銀座へ。
NEONをテーマとした写真集は第2弾となる。2年前の夏、体調をひどく崩し、何かを見るのも聞くのも辛い中、ベッドで第1弾『NEON NEON』だけをパラパラめくり、時を過ごした。あちこち付箋がある。[さがみ湯]のガラリ戸はステンドグラスもどきでキッチュ、入口に黒の男サンダルと白の女サンダルがつましく2つ並んでいて、神田川だな、と思った。あるいは地下の暗闇に[SHELTER]のブルーが小さく光る両開き2対の写真は左右ほとんど同じに見えるが、よくよく目を凝らすとドアの開き加減が違う。そのわずかな違いを撮る中村の眼差し、「ちゃんと君のこと見てるから」と言ってるみたいだと思った。その左頁が裏表紙になっているのに気づき、なぜ2枚撮ったのか聞いたと思うが、答えは覚えていない。
デビュー写真集は『HOME HOME – PORTRAITS OF THE HAKKA』で、世界遺産に指定された中国福建省西南山間部に点在する福建土楼と、そこに住む客家の人々を撮ったもの。ほんの少し小首を傾げた白髪老女の気品、刻まれたシワ、穏やかな微笑み。その瞳の中に、小さく映る眼前の写真家の姿を見つけ、心底美しいと思った。
その彼の生写真展だ。
私は美術展その他、たいてい一人で行く。ざっと一通り見てから気に入ったもの数点の前でぼんやり時間を過ごす。人が多ければいなくなるのを待つ。
が、今回は、我が家で彼の写真集を見て飛びついた知人男女二人とともに、とあいなった。ものの、地下鉄出口で突然方向音痴になり脳内地図が消え、大幅に遅れて到着。ギャラリーの暗闇に二人を見つけ遠くから手を振ってのち、さっと一巡したのである。いつも通り。
が、とある一枚を見て、近くのM嬢に「ねえねえ」と声をかけてしまった。「これって、いわゆるゲーセン?」「いえいえ、これは昔のコインゲームじゃないですか。男の人たちが集まってタバコの煙もうもう、みたいな」。へえー、そうなんだ。
私は喧騒が嫌いだからゲーセンもカラオケも知らない。若いのに物知りM嬢に感心しつつ、何より一番気になった[自由が丘駅入り口バス停写真]へと移動、見入る。
なんだか凄い。じいっと見入る。
このイルミネーションのぶら下がり具合、いいよね。その下に並ぶ子供たち、バス待ちか?「玉聖前」の黒看板、待合室もどきにたむろする若者たち...うーん..,。
と、T氏が、「これ、すごいですよね」と覗き込んでくるではないか。
ですよねえ、なんかごた混ぜで、と漠然と頷き、と、M嬢も寄ってきて、ついに三人頭を寄せ合い、写真の前であれこれ小声で絵説き(絵解き)がはじまったのである。キャラリーは無論暗く無音。閉館近くでほとんど人はいなかったとはいえ顰蹙もの、こういう輩、常なら睨みつける私なのだが、口々に。
これ、塾帰りの子供たち、その母親ですかね。にしてはお母さんたち、全員スマホですよ。一番街バス停って、東急バス、こんなネオンやりますか。あ、でもこのネオン、左サイドにもあるみたい。ひょっとして狙ってる?なんか列の先頭の子二人、ハンバーガー食べたそう。時間帯からすると7時半頃、とT氏断言。なるほど。塾が終わってお腹が空いて。店内のお姉さんたち、部活帰りの学生って感じ?玉聖前って玉川聖学院か。待合の若者ら、何だかダルそう。キャリーの子たちは海外客ですね。自由が丘って観光地なの?あ、リュックのおじさんの陰にも子どもがいますよ。仕事帰りのパパがお迎え、お疲れー。
とまあ、話はどんどこ広がる。この1枚に、ものすごい情報量が詰まってる。
一人だったら気づかなかったろうあれこれが、新鮮。
漫画の吹き出し、つけられそうですよね。私なら、ショートショートだな。歌、詠めるかも。
頭の中で妄想が始まる。
うわ面白い!
私たちはそれぞれに興奮、妄想をかき立てながら、写真家のもとへと向かったのであった。
東急バスのネオンは、つい1年ほど前にできたらしい。驚き!
上気したまま外へ。
写真ってこんなに楽しかったんですね!
写真見てワイワイ盛り上がるなんて、信じられない!
不思議な時間でしたね!
そう叫びつつ、近くの蕎麦屋へと繰り込んだのであった。
* * *
氏がネオンを撮り始めたのはパンデミックの頃。そもそも眩しく鮮やかなLEDに取って代わられ、昔の優しい光を放つネオンは姿を消す一方だった。そこにパンデミック。繁華街は静まり返り、シャッターは降りたまま、人けの消えた通りにそれでも灯るネオンを求め。前回のそれは接写が多く、人が映り込むことは少なかった。その不在感がネオンを際立たせもしたろう。
が、今回はどうだ。自由が丘のバス停前にどれだけの人、世代、国籍の雑多混沌がある?
北海道から沖縄までを巡ったNEON TOURの一つ一つに、時代の、社会の、人の縮図が詰め込まれている。圧倒的な熱量・質量をもって。
横浜遊園地、大阪道頓堀、沖縄与那原、東京渋谷...。
鮮烈な赤に埋め尽くされたコーナーもあれば、オレンジ・黄色・緑など極彩色の間に妖しい藤紫の一枚が挟まれ、あるいはグリーンや空色が差しこまれ、レイアウトのバランスも美しい。
正面大きなスクリーンに映し出されるショットの迫力もまた(が、私は迫られるのは苦手なので通り過ぎた)。
私は写真を瞬間芸術で、音楽と似ている、と思っている。
けれど、音楽は流れ去り、写真はそのたった一瞬を切り取って定着させる。
道元いうところの「永遠の今」。
そこに、無限に広がる物語が宿る。
心身が弱り切った時、私がページをめくって見つけていたのは、あの時この時の「想い出」そのものだった。それは、写されたものが、「ちゃんと見てるから」という眼差しにそっと返す歌のようで、その声を、これは私の歌でもある、と聴いたのだと思う。
HAKKAの老女の瞳の中の撮影者の姿に打たれたのは、彼女に向ける彼の眼差しと、彼女の彼への眼差しとが結ばれた、魂の交感・信頼の形がそこに映じていると思ったからだ。
そうして、寂れゆく街の陰に潜むネオン、道頓堀に溢れる人人人を照らし輝くネオン、マンガチックに浮き出る個性派ネオン、でんと構えた文字王ネオンなどと共に、そこに映し出される全て雑多の声を聴き、それらが一斉に鳴り響いたその一瞬を捉え切り取る瞬発力。それは、被写体と撮影者の間に交わされる一閃の愛の形であって、さらに「もののあはれ」に近いと私には思える。
「見て」「うん、見てる」。「ここにいるよ」「うん、いるよね」。
ポートレートはたぶん、そのことを最も端的に物語るのかもしれない。
筆者は以前、埼玉の美術館で山田耕筰の肖像画を見て驚愕し、それが恩地孝四郎の筆によるものであったことに、さすが、と唸ったことがある。他の誰にも決して見せなかった山田の唯一無二の顔がそこにあったから。
中村の眼差しというのは、この世の森羅万象、人であれ、石ころであれ、森であれ、波であれ、道であれ、空であれ、全て存在あるもの無きものとの深く優しい交感なのではないか。
だからその前に立つと、無数の声が鳴り響いてくるのだ。
私たちはそれぞれに、その声を聴き取って、私の物語を膨らませてゆく。
だからこそ一人の時も、たまたま集った三人の時も、それぞれの声がその前で行き交うことができたのではないか。
西行を二首ひいておく。
浮世おもふわれかはあやな時鳥あはれもこもるしのひねのこゑ(西行法師家集)
世の中を思へばなべて散る花の我が身をさてもいづちかもせむ(新古今和歌集)
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『 NEON TOUR』は、このあと3月4日〜15日@キャノンギャラリー大阪で開催される。
https://personal.canon.jp/event/photographyexhibition/gallery/nakamura-neon
(2025/2/15)