イギリス探訪記|(4)ダンスタブルを訊ねて|能登原由美
イギリス探訪記|(4)ダンスタブルを訊ねて|能登原由美
Another Side of Britain (4) Visiting Dunstable
Text & Photos by 能登原由美(Yumi Notohara)
ロンドンから北へ50キロほどの場所に、「ダンスタブルDunstable」という名の街がある。西洋音楽史を多少かじったことがある人であれば思い起こすであろう。今から600年ほど前、中世からルネサンスへの移行期に重要な役割を果たしたことで知られる作曲家、ジョン・ダンスタブル(John Dunstable/Dunstaple)のことを。生没年も含めてその生涯についてはほとんど明らかになっていないが、現在までに確認されている50曲あまりの作品は、イングランドのみならずイタリアやドイツの写本からも見つかっており、また、その後ルネサンスにかけて数多くの音楽家を輩出したフランドル地方の作曲家、ティンクトリスの理論書でも繰り返し言及されていることなどから、自国だけではなく西ヨーロッパにも広く影響を及ぼしたとして知られる作曲家だ。まだ馴染みの薄かった3度と6度の和音を多用した声楽様式は三和音の成立を導くとともに、「イングランド風」と呼ばれて称賛、模倣されたことなどは、多くの音楽史書で紹介されている。他にも、彼の新しいスタイルがもたらした功績は多々あるが、様式史上の詳しい位置付けについては、それらにあたっていただくとしよう。
作曲家、あるいは数学者、天文学者、占星術師としても活躍したとみられるダンスタブルだが、いつ、どこで生まれたのかについては定かではない。ただ、同名であるという一点の理由から、冒頭で触れたダンスタブルの街が、作曲家の生まれ故郷ではないかと長らく考えられてきた。とはいえ、全く確証はなく、街の公式サイトなどにもこの中世の作曲家について何らかの情報が書かれているわけでもない。けれども、西洋音楽史上の一つの転換点に位置付けられる作曲家であると同時に、謎の多さも魅力となって、どうしてもその地に足を運んでみたくなったのだ。
街の中には電車が入っていないため、最寄りの駅からバスに乗り換えなければならない。世界でいち早く鉄道網を普及させたイギリスにあって、その交通システムから弾き出されたのであれば、きっと古き良き時代の面影を残した小さな街に違いない。期待して出かけたのだが、車上から見えて来たのは意外にも、運送会社の倉庫群に広大な商業施設、ドライブスルー完備のファーストフード店、その前には大きな道路に車の激しい往来と、日本でも見かけるような大都市近郊の住宅地といった風情であった。半ば気落ちしながらも、とりあえず中心部に向かってみる。事前に調べた限りでは、街の起こりとほぼ同じ12世紀初めに建てられた古い教会がまだ残っているはずだ。その周辺に行けば、少しは作曲家ダンスタブルの生きた時代の空気を感じることができるかもしれない。
バスを降りると、目指すダンスタブル聖ピーター修道院教会(The Priory Church Saint Peter Dunstable)の鐘楼の一部が見えてきた。近くの広場には、街で最も古い商店街が付近にあったことを示す表示が出ている。
起源はやはり12世紀初頭という。ずっと後の時代のものであろうが、レンガ造りの店が幾つか並び、確かに他の地域とはいくぶん趣を異にしている。とはいえ、中世の頃を思い浮かべるには程遠い。日本でも平安時代、室町時代の名残が感じられる場所などほとんどないのだから、当然といえば当然だろう。
だが、通りの向かい側に進んでいくと、彼方に聳える修道院教会の建物の威容が目に飛び込んできた。900年以上もの間に損傷と修復、増築などが行われた巨大な施設は、現在はその一部を留めているに過ぎないようだが、それでも堅牢な石の壁に覆われた建物には、他の場所では感じられない荘重さがあった。礼拝時以外は開放されていないらしく、内部を見ることは叶わなかったが、ゴシック様式を留めた黒ずんだ外壁を見ながら、数百年もの年月の重みを味わうことはできた。
建物の案内板によれば、教会は16世紀に西ヨーロッパ各地で勃発した宗教改革の影響を多分に受けているという。イングランドでの改革は、国王ヘンリー8世の離婚問題に端を発してローマから離反、国王を首長とするイングランド国教会を成立させる形で強行されたが、その際、国内全ての大規模な修道院が強制的に解体されている。この教会も例外ではなく、院長や参事会が退職に追い込まれたらしい。なお、当国ではその後も国王が変わるたびにその信仰によって国教が変転し、17世紀には清教徒による市民革命を導くなど宗教的波乱がしばらく続いた。ちなみに、音楽もその動乱から免れられることはなく、とりわけ宗教音楽については、礼拝から音楽を排除するといった嘆かわしい事例が多々みられたことはよく知られている。
いずれにしても、この修道院教会を訪れることで、作曲家ダンスタブルの生きた時代の空気に多少でも触れた心持ちにはなった。とはいえ、この教会もこの街も、実際に彼と何らかの関係があったかどうかは全くわからない。せめて確証のあるゆかりの地に行けないものか。そこで、彼の埋葬地と言われる場所に足を運んでみることにした。少なくとも、そこには「没年」の根拠になってきた墓碑があるはずだ。
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ロンドンの聖ステファン・ウォルブルック教会(St. Stephen Walbrook Church)は、地下鉄バンク駅を出た目の前にある。英国経済界の中心地ということもあって、周辺は近代的な高層ビルと古い石造りのオフィスが混在し、颯爽と行き交う金融マンらしき人々の姿とともに現代のロンドンを象徴するような賑わいがあった。
そうした中にひっそりと佇むこの教会も、普段は開放されていないらしく、最初に訪れたときは門が固く閉ざされ、小さな掲示板を通じてかろうじて教会の活動の様子を知ることができるのみであった。これではダンスタブルとの繋がりを示す手がかりを確かめることができない。そこで、教会が毎週行っている無料のランチタイム・コンサートに合わせ、出直すことにした。
私が出かけた日は、若手ピアニストによるコンサートが行われることになっていた。前回来た時に閉められていた扉は開け放たれ、通りにはコンサートの案内板も立てられている。誰にも憚ることなく内部が窺える状況に、嬉々として足を踏み入れた。目の前に広がったのは白い大理石を基調とした堂内。大きな窓からは外部の光が存分に差し込み、全体的に明るい。古い教会内で感じるような張り詰めた空気や疎外感はあまり感じられなかった。それもそのはず、現在の建物は1953年に再建された比較的新しいものらしい。というのも、ロンドンは1666年に発生した大火災(ロンドン大火)で、市内の家屋の大半が焼失するという歴史的事件に見舞われている。中世都市の姿をすっかり奪ったその大火は、1439年に完成したこの教会をも飲み尽くしたのであった。さらに、第二次世界大戦中となる1941年には、このあたり一帯がドイツ軍による空爆の対象となり、再び焼け落ちてしまったらしい。
とにかく、まずはダンスタブルとの繋がりを示す墓碑を確認しなければならない。通りがかりの教会関係者に尋ねると、すぐに教えてくれた。それは、建物入り口近くの壁に、他の墓碑と並べて嵌め込まれていた。ラテン語による本文のほか、作曲家ダンスタブルの記念碑はロンドン大火の際に失われたこと、現在のプレートが1904年に復元されたものであることが英語で書かれている。その上には、楽器を手にした3人の天使が描かれている。音楽家の墓碑であることを表しているのであろう。
肝心の本文だが、ラテン語に明るくない私は、その内容についてはあらかじめダンスタブルの研究書に掲載された英訳で確認していた。それによると、この墓にダンスタブルが眠ること、また彼が1453年のクリスマス・イヴに亡くなったことなどが書かれている(1)。ただし、ここに至っても謎はまだ続いていた。つまり、その死後150年以上も経過した17世紀に記録されたこの内容については、その信憑性を疑う見方がこれまでにもあった。そうした中で、「ジョン・ダンスタブル」なる人物に関する資料を徹底検証した研究(2)が近年発表されたが、それによると、我々が探し求めるジョン・ダンスタブルは、1459年に亡くなった人物ではないかというのだ。さらに、クリスマス・イヴという死亡日も異なるのではないかという。
1453年といえば、オスマン帝国の攻略によって東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルが陥落した年。それにより、西欧キリスト教界は大きな痛手を被るとともに、ヨーロッパ中世の社会が近世へと大きく移り変わる転換点として位置付けられている。中世からルネサンスへの橋渡し的な役割を果たした作曲家、ダンスタブルがその年のクリスマス・イヴに逝去したという説は、その死によって西洋音楽史上の中世の終わりを象徴するとも言われてきたのだが、その「構図」は後世の者がしばしば当てはめがちな「理想」であったと言えるのかもしれない。
結局、彼がいつどこで生まれたのか、またいつ亡くなったのかについても決定的な証拠はなさそうだ。ただ、この教会に埋葬されたという事実だけは数多くの資料が証明している。ひとまず墓碑を確認した後、私を堂内に招き入れてくれたコンサートに参加した。硬い大理石の床面やドーム型の天井に、モダン・ピアノの打鍵音がたっぷりと反響する空間は、ピアニストにとっては難しかったのではないだろうか。それでも、リストを得意とするという若手奏者は臆することなく超絶技巧を披露した。ふと、ダンスタブルのモテトを思い浮かべる。15世紀から19世紀と、400年余りの時の流れを含んだ響きの違いに不思議な高揚感を覚えた。この地に眠るダンスタブルは、21世紀の若者が紡ぎ出すリストをどのように聞いているのだろうか。いや、そればかりか、ここに至るまでの600年の間にその墓標に降り注いだ数知れない破壊と混乱、その中から生まれる音楽を想像すると、気が遠くなってくる。この国の歴史の重みを改めて感じるひとときとなった。
(2023/2/15)
(1)Margaret Bent, Dunstable (Oxford Uiversity Press, 1981), 2-3.
(2)Lisa Colton, Angel Song (Routledge, 2017), 85-115.