作曲家と演奏家の対話 XIII(最終回) 翻訳者は裏切り者?|アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ & 金子陽子
作曲家と演奏家の対話 XIII (最終回)翻訳者は裏切り者?
アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ & 金子陽子
>>>作曲家と演奏家の対話
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アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ (A.D.)
イタリア語で、「翻訳者は裏切り者」という、文学における翻訳の難しさを思い起こさせるこの有名なことわざを、音楽の分野での演奏家と楽譜との関係を見ていくために、今回のテーマとして取り上げることにした。演奏家による演奏は、一体どの程度作曲家の思いを裏切るものなのだろうか?
この案は、パリ音楽院で貴女の同僚であるヴァイオリン教授による、シマノフスキーの「夜想曲とタランテラ」の若い生徒へのレッスンを見学した折に想起された。
「タランテラ」というテンポの速い楽章において、教授が若い生徒に、諧謔的でグロテスクな印象を引き起こし(多少ロマンティックな想像力によって)悪魔的な性格を出すために、気味の悪い、歯ぎしりのような音色をヴァイオリンで出すように提言したのだ。言及しておくが、譜面には上記のような指示は作曲家からも編集者からも全く書かれてはいなかった。しかしながら貴女も私もこのアイデアが大変興味深いものだと判断した。譜面に書かれたことを尊重することを大切にする我々ではあるが、この教授の指示により、この作品の演奏が、真実味に満ちたものとなると考えたからだ。
このことは、演奏家が使うことができる、オリジナル楽譜に別の要素を加える、または削除する権利というテーマを私たちに提起したのた。私たちはこのような回り道の限界、そして作品の性質を損なう危険の有無について問いをかける。そして、これはもしかしたら演奏家の権利であるだけでなく、義務なのではないだろうか、とも。
金子陽子 (Y.K.)
翻訳という行為は、ある言葉、考えを、他の言語、他の言い方、他の感受性と思考形態に転換することにある。そこに、翻訳することで他者にその情報を伝達したいという欲求が存在することを明記しておくべきであろう。この欲求が翻訳という行為のモチベーションの原動力である。多様性を基盤とする我々の世界においては、まったく同じ感性は2つと存在しない。そのため、言葉や考えを翻訳するという行為から、決してオリジナルと同一な意味を持つ言い方への転換はされ得ず、そこにこそ、手を加えられる余地、小さな曖昧性(芸術的にポジティフな意味での)が見いだされる。解答の多様性は翻訳においては合法的でさえあるのだ。このことは、翻訳者の自問的な態度と、ひたむきな姿勢を余儀なくするのだ。
構造も表現も全く違うフランス語と日本語の間を日々往来する私自身のようなレヴェルの場合でも、プロの翻訳者が出会う困難さについて実感する機会が往々にしてあるものだ。ほんの小さな単語、固有名詞においてさえ、膨大な時間をかけて適応する言葉、正確な表記法(原語での発音の仕方)を見つけるために文献を調べたり、場合によっては実際に外出して、オリジナルに該当する言葉、でなければできるだけ理にかなった言い方、最低限オリジナルに近い言いまわしを探索するのだ。
最新のテクノロジーの分野からは近年多くの挑みがある。自動翻訳機能がその一つなのだが、経験を積んだ翻訳家にはまだまだ太刀打ちできない程度のレヴェルであるのは幸いだ。私自身、グーグルの自動翻訳機能から、翻訳に裏切られた予期せぬ体験をしたことがある。このまだ未熟な自動翻訳機能のお陰で、ピアノ製作者(ファクター・ド・ピアノ)が郵便配達人(ファクター)に、著名作曲家のエルネスト・ショーソンが、アップルパイ(フランス語でショーソン・オ・ポム)と訳されたのだ! 先人たちから受け継いだ集団的記憶、物事の総括能力と感受性を備えた私たちにはまだ明るい未来が続いている。
A.D.
実際、訳するということは、いわゆる文字通りの多言語への変換ではなく、実際的な創造行為であり、文化、教育、賢明さと多くの創造性、そして貴女が言うように、謙虚さをも必要とする。そして、文化について語るなら、生半可な教養しか持たずに間違いを犯すジャーナリストなどは、機械が意味を間違える以上に許しがたいのではないか。対して音楽においては、、。
Y.K.
音楽において、作曲家の仕事というものが、自身の感動を記される(楽譜という)媒体に翻訳することであるとすれば、我々演奏家の仕事はこの抽象的な(楽譜という)記号が記された五線紙に、音という現実に響く素材を与えることであろう。この状況においては、最も肝心なことはまず理解すること、言い換えれば、作曲家の目的と手段、そのための芸術的選択を作曲家の文化的背景と固有の感受性を「解読する」ことだろう。シマノフスキーの作品の場合、曲名「夜想曲とタランテラ」に考慮すると、夜の闇に関連づけられ、あの不気味な音色についても、痛みを忘れるため、更には死にも至りえる狂ったような踊りという手掛かりが見られる。音楽を演奏するには、想像力の偏在が必須なのだ。
(読者の皆様のために加筆しておくと、「タランテラ」はタランチュルという毒蜘蛛から由来していると言われ、刺された折に生じる激しい痛みのため、刺された人間が飛びはねるように、死に至らしめるかもしれないその痛みを忘れるために踊る、という話に基づいている。)
肝心なことは、聴衆の前で作品を演奏する以前に、まず理解をしなければならない。それができた時点で、演奏家はそこに個人的芸術的選択の余地がある自由な領域を見出す。それは、響き、強弱、ペダルの使用など音響空間の制御、リズム、それぞれの本番においてのテンポ、タイミングの決定などの音と時間の空間、表現、それぞれのフレーズの持って行き方といった音楽での語法などである。
A.D.
それこそが、毎回同じで変化のない録音媒体と、聴衆と演奏家が一瞬を分かち合う唯一で不滅の瞬間、しかも毎回のステージが違ったものとなる舞台芸術の違いなのだ。
Y.K.
譜面を忠実に学んだ後に、この人間性と個人性が加えられるということの大切さを感じている。これこそが、舞台芸術の議論の余地がない魅力なのだ。
A.D.
作曲家として私もこのことを立証する、というのは、インスピレーションを受けた瞬間の感動や興奮と、譜面として記す段階では距離があるからだ。後者は記譜以前の創造の興奮の思い出と比して常に幻滅させるものがある。そのためにこそ、しっかりとした演奏家の存在の絶対的必要性が立証されるのだ。記譜は決してインスピレーションを受けた時の興奮には相当しない。それは、その興奮の色あせた影像でしかない。それで作曲家はがっかりし、欲求不満に陥る。。。私は自分が明言することが絶対に真実かどうかは保証できないが、私の直観と、とりわけ個人的体験から、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンのより美しく、より偉大な作品は、作曲家が孤独の中で興奮しながら奏でられた時の方が、他の奏者が記されたことを真剣に守って演奏した時より、限りなく美しかったと言えると思うのだ。
Y.K.
現存の作曲家から、自身の記譜に幻滅することがある、という証言を聴くのは、なんとも教訓的なことではないだろうか。
A.D.
今挙げた作曲家達の時代には、彼ら自身が自作作品の演奏者であったため、この問題はこれほど際立ってはいなかった。バッハは自身で自作の作品を演奏した。モーツァルトも然り、両者とも鍵盤楽器とヴァイオリンを演奏していた。ベートーヴェンも卓越したピアニストだった。そして、彼らすべて、難聴になる以前のベートーヴェンも含め、彼らの作品を指揮していた。私の記憶が間違っていなければ、モーツァルトは、音楽とはドやレではなくて、ドとレの間に音楽があると言った。もしこれが真にモーツァルトの言葉なら、私の個人的体験は誤りではなかったのだ。
しかしながら、そういう意味においては、作曲家は自身の最初の裏切り者、最初の翻訳者、興奮の魔法を故意ではなくとも、忠実に記譜することに成功しなかったのだから。
演奏家の役割は、このインスピレーションの瞬間への回帰である。譜面上に書かれた音楽(当然ながら不完全な)を使って、作曲家がペンを取る直前に、自身で作品を弾いた瞬間に起こったと同じ興奮状態を再発見しなければならない。。。そして、聴衆にその興奮を伝え、聴衆を作曲家の頭と心の中に連れて行かなければならないのだ。楽譜というものから、そこに記された記号から、演奏家は当初の感情を捜し出さなければならない。
それならば、一体どのように演奏家が取るべき自由と規模の大きさを明確にするのだろう? そして、もし、作曲家の当初のインスピレーションに回帰する代わりに本来の作曲家の意図から遠のいて、間違った方向に探求していくとしたなら?
A.D.
再び私の個人的な見解だが、私が思うには、感情そのものが間違っていることの方が、感情が不在な、演奏家があまりにも楽譜、前述のように、必然的に不完全な記述であるもの、に忠実すぎる演奏よりはましではないかと思うのだ、、、何故なら、作曲家が健在としても、作品はすでに彼の所有物ではなく、聴衆の物となるからだ! 作曲家が作品を公開することを決心した時点で作品は一人歩きを始める。そして、演奏家と聴衆が、たとえそれが作曲家の気に召さない流儀で演奏されたとしても、その作品を良いと思うならば、作曲家は一体その演奏に意見を述べる権利があるのだろうか? 作曲家が記したフォルテ記号fは、音量のデシベルを確定するものでもなければ、スタッカートの記号は100分の1秒単位の音の長さを精確に規定するものでもない。貴女が冒頭で触れた、個人的芸術的操作ができる余白は、時間的には僅かとしても、精神的には広大なものでありえる。ほんの少しでも過度のデシベルを伴う音を出せばそれは粗暴さ、音による攻撃となり得るのだ。そして作曲家は演奏家によって裏切られ、聴衆は作曲家を理解することができない。
しかし、誇張せずとも、作品の初演を現存の作曲家と手がけた経験がある演奏家は、もうこの世にいないために演奏家に直接アドバイスを与えられない過去の作曲家の作品を理解する、手がかりや方向を見出すことができるであろう。私の作品の貴女による初演に際しての共同作業は、貴女の過去の作曲家の作品の解釈の方法に反映を与えただろうか?
Y.K.
私は(桐朋学園にいた時代も含め)自作を演奏する作曲家でもある偉大な師(故ジャン・ユボー、ジョルジュ・クルターク、、、)に教えを受け、あらゆるパッセージに対して複数の表現、演奏の可能性を見抜いたり、見つけ出したりすることを身につけた。例えば、ピアニッシモppの記号は、決して貧弱又は表現をしないという意味ではなく、反対に最も美しく、内面の情熱、または信念に満ちた音であること。そしてffは懐が深い、広大又は歓びに満ちた音であることが大切、と知ったが、いかに多くのピアニストがヒステリックに戦闘的に鍵盤を叩き、正当性のないテンポの加速をして演奏するのを聴かされることであろうか!
音楽学校時代、若い生徒たちは模範となるモデル、(ほとんど)聖なる存在としての大作曲家、音楽ファンたちが妄信的に憧れ尊敬するピアノ界の大御所やスターの道に従い目指していくように仕向けられる。このような目標をかかげる方法は、それが差別を伴う上流気取り(スノビズム)に陥らなければある時期においては有用ではある。
楽譜を読めること、作曲家の真の作曲の目的を見抜くことは最も大切なことで、それは、選択ができる場合には各作品の演奏にふさわしい楽器を選ぶということ、いくつかのパッセージの演奏表現を魔法のように実現できるためのテクニックを取得するまで、時には何年もの長い時間をかけることも含め、私自身の演奏家としての仕事の中核を占めている。
私たちを取り巻くすべての物、私たちに降りかかってくる出来事、歓び、人生の悲しみ、信仰、自然、旅、知識、視覚や感覚の歓びなどは、作曲家のインスピレーションを確定することができるためのヒントとなるインスピレーションと想像力の源である。
しかしながら、結局のところ、私は一体何を知っているのだろうか? これは、貴方の作品の初演を準備し、共同作業の体験をした私自身の告白でもある!
私が思うには、翻訳と創造という行為はいくらかの同じ領域を共有している。作曲家の感情という主観的な状態が客観的な記譜(音楽のクリエート)となり、それが、演奏家の中にいくらか違った感情をわき起こし(主観的な情感)生き生きとした演奏を生むのだ。
作曲家を裏切ろうと思って作品を演奏する演奏家はいないはずだ。ある作品を気に入って取り上げるなら冒涜はしない。
もしそうでないのならば、自分で自作を書いて演奏すれば良いことである。
Y.K.
コロナ災禍という特殊な、自由時間には恵まれるという状況で自発的に始まった『作曲家と演奏家の対話』シリーズは、これにて終了とさせていただく。私自身と読者の皆様にとって、前が見えない今の世界に生き、絶え間なく問いかけつつ、私たちが熟考して発展するために、指標を与えてくれる現役の作曲家の証言を残せたことは、この上ない幸運であった。
この投稿への協力を暖かく引き受け、これほどの率直さとエネルギーを以て参加してくれたアレクサンダー氏に心より感謝したい。
この対話シリーズの続編を、これまでお読みくださってきた読者の皆様にはまた違った形で、文章、あるいは、書かれたばかりの作品の演奏という形として紹介する機会がやってくると私は予感している!
(2022/8/15)
アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ
1958年セルビアのベオグラードに生まれ、当地で音楽教育を受ける。高校卒業後パリに留学し、パリ国立高等音楽院作曲科に入学、1983年に満場一致の一等賞で卒業後、レンヌのオペラ座の合唱指揮者として1994年まで勤務すると共に主要招聘指揮者としてブルターニュ交響楽団を指揮する。1993年から98年まで、声楽アンサンブルの音楽監督を務める。1994年以降はフランス各地(ブルターニュ、ピカルディ、パリ近郊)の音楽院の学長を務めながら、指揮者、音楽祭やコンサートシリーズの創設者、音楽監督を務める。
作曲家としてはこれまでに、およそ10曲の国からの委嘱作品を含めた30曲程の作品を発表している。
作品はポストモダン様式とは異なり、ロシア正教の精神性とセルビアの民族音楽から影響を受けた、合唱のための『生誕』、ソプラノとオーケストラのためのフォークソング、ヴァイオリンとオーケストラのための詩曲、ハープシコードのための『エルサレム、私は忘れない』、オーケストラのための『水と葡萄酒』など、また他の宗教文化の影響を受けた、7つの楽器のための『エオリアンハープ』、弦楽オーケストラのための『サン・アントワーヌの誘惑』、声楽とピアノのための『リルケの4つの仏詩』、合唱とオーケストラのための『ベル』などが挙げられる。
音楽活動と並行して、サン・マロ美術学院で油絵を学んだ他、パリのサン・セルジュ・ロシア正教神学院の博士課程にて研究を続けており、神学と音楽の関係についての博士論文を執筆中。
2019年以来、フォルテピアノ奏者、ピアニスト、金子陽子のためにオリジナル作品(3つの瞑想曲、6つの俳句、パリ・サン・セルジュの鐘)「アリアンヌの糸」と「アナスタジマ」のピアノソロ版が作曲されて、金子陽子による世界初演と録音が行われた。
Entendre
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金子陽子
桐朋学園大学音楽科在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科共にプルミエプリ(1等賞)で卒業。第3課程(大学院)室内楽科首席合格と同時に同学院弦楽科伴奏教員に任命されて永年後進の育成に携わってきた他、ソリスト、フォルテピアノ奏者として、ガブリエル・ピアノ四重奏団の創設メンバーとして活動。又、諏訪内晶子、クリストフ・コワン、レジス・パスキエ、ジョス・ファン・インマーゼルなど世界最高峰の演奏家とのデュオのパートナーとして演奏活動。CD録音も数多く、新アカデミー賞(仏)、ル・モンド音楽誌ショック賞(仏)、レコード芸術特選(日本)、グラモフォン誌エディターズ・チョイス(英)などを受賞。
洗足学園音楽大学大学院、ラ・ロッシュギュイヨン(仏)マスタークラスなどで室内楽特別レッスンをしている。
これまでに大島久子、高柳朗子、徳丸聡子、イヴォンヌ・ロリオ、ジェルメーヌ・ムニエ、ミッシェル・ベロフの各氏にピアノを、ジャン・ユボー、ジャン・ムイエール、ジョルジュ・クルターク、メナへム・プレスラーの各氏に室内楽を、ジョス・ファン・インマーゼル氏にフォルテピアノを師事。
2020年1月にはフォルテピアノによる『シューベルト即興曲全集、楽興の時』のCDをリリース。
2022年秋にはチェロの巨匠クリストフ・コワン氏とモシェレスのデュオ作品をフランスで録音予定。パリ国立高等音楽院、サンクルー音楽院、ボビニー市立音楽院、エコールノルマル音楽院で後進の指導にあたっている。パリ在住。
https://yokokaneko.wordpress.com/