Menu

特別寄稿|作曲家と演奏家の対話・VI|『コロナ禍生存者の考察』 |ダムニアノヴィッチ&金子

作曲家と演奏家の対話・VI『コロナ禍生存者の考察』

アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ & 金子陽子

>>>作曲家と演奏家の対話
>>> フランス語版
>>> セルビア語版

金子陽子 (Y.K.)

2020年3月、マクロン大統領がフランス全土に、当時まだ私達にとって耳慣れない言葉だった『ロックダウン』を宣言した。それは国民に厳しい条件(罰金制度で)を課すもので、数えきれない若者達のプロジェクトや夢(海外研修や交換留学、初めての仕事)をなぎ倒し、私達住民の日常生活や習慣、永遠に獲得されていたと思われていた基本的な人権、自由な移動、家族や友人との集会、食事を共にすること、何気ない日常のプライベートな仕草までを、根本から覆して禁止するものだった。恐ろしいウイルスと戦う戦争という、未曾有な事態である。

人類が、意気揚々と火星への一般旅行を企画し、自分達の仕事の一部を人工知能(A.I.)やロボットに代行させようとする一方で、我々の如何なる最新技術、最も強力で恐ろしい核、化学、生物兵器さえもウイルスに対して無力であることが露呈したことは実に皮肉だ。測り知れない人類の欲と発明したテクノロジーと、肉眼では見えないウイルスの強力さのギャップには唖然とさせられる。

 

アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ (A.D.)

人類が地球外惑星への計画を練る今日、この疫病に対する人類の無力さを眼のあたりにした貴女の動揺と驚愕に私も同感する。このことは我々を人間の弱さ(少なくともそれを自認したいと考えるものにとって)と謙虚さの必要性を再認識させる。ルネッサンス時代以来、人間が世界の中心の座を占め、毎年起こる地震、洪水、巨大な山火事(そしてどうして福島の悲劇を考えずにいられるだろう?)等、度重なる運命からの通告にも関わらず傲慢の値を増やし続けたのだ。これらの災害は、私達が夢の天空を飛び回る間に、現世における人間の無力さを警告する。

 

Y.K.

この重大な状況下(2020年のフランスの状況は感染者が非常に少なかった日本とは対照的だった)恐怖と驚愕に包まれた我々のキャッチフレーズは、狂った羅針盤を合わせる、ということだった。そのことについて考え詰める以外に選択の余地はなかった。時間は静止したかのようだった・・・パリの街は無人化し、不要不急以外の商店、文化施設、公園までもが一斉閉鎖となった。私に関しては、演奏の機会がすべてキャンセル、インターネットでは時差が出ることから他の音楽家とのヴィデオリハーサルも不可能なため、一切の活動が休止となった。
自宅に閉じ込められてはいても、幸いなことに、健康である限り時間だけはたっぷりあった。内証すること、過去のものとして片付けていた、歴史が人類に残した数々の教訓を考え直すことができた。
現代人がより賢明で発展していると思い上がった我々は、往々にして尊大さを以って過去を見ていたのだ。

 

A.D.

ストラヴィンスキー『私の人生の年代記』仏語版

人類は他にも類似の体験をしている。そのいくつかはコロナウイルスより遥かに深刻なものであるが、人間が内面的に生まれ変われる能力というものには驚かされる。この対話を書きながら思うのは、作曲家ストラヴィンスキーが『私の人生の年代記』の中でスペイン風邪の大流行を語る部分だ。疫病によって世界で約5千万人もが死亡した上に、やはり甚大な死者を出すことになる第一次大戦へと世界は突入したのだ。ストラヴィンスキーはこれらの出来事に触れてはいるが、この世界規模な出来事が、まるで些細な弊害とごく僅かな重要性しか持たなかったかのような驚くほど言葉少ないのに対し、創作家としての仕事(とりわけ『兵士の物語』のツアー中止について)の方に好んで話を集中している。一家の父親でもあったストラヴィンスキーがこの悲劇に注意を払わなかった、もしくはこの著書が彼の創作活動に視点を置いているためにこの出来事を無視したと理解するのは軽卒な判断だと私は思う。むしろ、彼の精神的、芸術的な専心が彼を疫病から守っただけでなく、身体の病より危険かもしれない魂の病気やストレス、恐れから守護したのだと理解したい。

つまり、死神が、斧をふるって地球上を徘徊する時に、ケルビム、セラフィム、そして他の音楽家の天使達(もし私がこのような情景を借用することを許されるなら)と飛び回るということで、ポジティヴな考えが辛い思い出に取って替わる助けになったのだと私は言いたい。

Ritter, Tod und Teufel / アルブレヒト・デューラーによる『騎士と死と悪魔』1513-1514年

 

Y.K.

貴方の検証は、強烈で極限に近い事態は創造性を喚起するということではないか、と私に呼びかける。これはおそらく7月号の対話『教育』において触れたレジリエンスのメカニズムと関連性があるのではないだろうか。言い換えれば、我々の内に隠れ、それが存在することも疑わない創造性がこの世に作品として誕生する為には、物理的な力、それがたとえ破壊的で限界に近いものであるとしても外部からの圧力が必要なのだ。
個人的な思いだが、苦しみと創造性の間に存在すると思われる関連性はかなり前から私が作曲家達に関して推測していたことでもある。何故なら、我々を深く感動させる作品は、しばしば作曲家自身の苦しみや、それが生んだ人生の強烈な期間に由来しているということを確認して来たからだ。 

 

A.D.

フランスの第一回目のロックダウン (2020年の3月から5月) の時、私自身、霊感が到来して現実と戦う、という体験をした。Webを介して貴女と事実上の連絡を取れた(協力を得られ)ことにより、私の作品『6つの俳句』を着想し、兼ねてからの夢が実現したのだ。フランス国民が自宅に閉じ込められ、厳しい外出制限を受け、疫病自身だけでなく、医者達や政府の狼狽にも怯えていた時に、私は高揚させる自由の内にいた。この国の他の住民達と同じく、私が現実に課された物質的な監禁は、選択した孤独によって隠遁者として生きるという実感を与えた。それは日本の俳句を題材に共同作業をし、様々な音楽的詩的霊感の開花をもたらしたお陰であった。そこには地理的な夢想(これらの俳句によって私は日本という、私が俳句、伝統音楽と昔の日本映画以外、実際には面識のない国にどのように運ばれたか)そして時代を顧みた夢想(私が思春期に俳句と初めて出会ったことと、俳句に音楽を作曲したいという昔からの願いが実現した繋がりを私の中で組み立てていたのだ)があった。この、空間と時間に股がる驚異により、私は、誰もが遭遇していた過酷な現在から逃避することができたのだ。

2020年春に作曲された『6つの俳句』(朗読、ピアノ演奏、金子陽子)

(作曲者覚書)

私は日本の俳句に出会って以来思春期にセルビア語訳でその幾つかを基に音楽を作曲したいと往々思っていた。しかしその機会は到来しなかった。2020年春、コロナ禍によるロックダウンの折、これまで幾度となくしたように、フランス語訳の小さな俳句の本を開いた。俳句を朗読し、録音をインターネットを介して送付するよう金子陽子氏に依頼した。
それはうまく機能した!

というのは、日本語を知らなかったこの私が、俳句のリズムと音韻を実際に耳にすることができたのだ。発音する単語の意味を知らない幼児のように、私は何度も俳句を音読した。それから五線紙に音として書き取るうちに、それぞれの俳句が、言葉の持つ意味から独立した、純粋に音楽的な主題となった…

このように、地球規模の大事態を、隠遁者の孤独の内に意識せぬよう努めながら、ナイーヴな無意識さの中で、これらの6つの俳句のピアノ曲が誕生した。

自分の作品を聴くのが嫌いな私がこの『6つの俳句』を好んで聴き、愛する理由の一つは、さながら他人が作曲したかのような印象を私がこの作品から感じるからなのである。

『芭蕉之像』葛飾北斎画。1814年に刊行された『北斎漫画』第7編の扉絵

 

Y.K.

貴方は、自身の内面への旅という実に美しく貴重な証言を私達に託してくれた。しかも、この『6つの俳句』は、何を隠そう私自身が生中継で世に生まれるプロセスを感知していた。それはインターネットという現代技術のお陰であった!
このことは、前例を見ないコロナ禍のポジティフな一面である『有り余る自由時間』のお陰で『災禍』が『チャンス』となり得るということを示している。
一般に、心身が強靭な人々はこのロックダウンに伴う恐れや、物質的な問題を、例えば貴方のように精神の強さを伴って創造的な仕事をすることによって乗り越えたようだ。
しかしながら、とりわけ若い学生達など多くの人々は孤立し、故郷や家族と離れ、軒並み深い鬱状態に陥った。彼らの傷跡はこの後も続く恐れがある。

 

A.D.

6つの俳句が作曲されたのは、ロシア正教の復活祭の前の聖週間の時期と合致していた。サン・セルジュ教会の礼拝の聖歌隊員として私は毎日曜教会を訪れ、とりわけ聖週間の期間は復活祭の夜のクライマックスを迎えるまで連日行われる礼拝を欠かさなかったのだが、この年(2020年)一連の行事は無くなってしまった。人々が集まって気持を高める礼拝の代わりに空っぽの、私を含め誰もいないサン・セルジュ教会を想像し、私が拝む神が信者達の到着を虚しく待っているのを、まるで私が自分自身を映像化するように、1人で、孤独に、唯一の一瞬を奪われているのだと想像した。ここに於いても芸術の昇華が同じようにそれら全てを変貌させた。私の作曲家へのこころざしが聖職であったかように、朝ピアノに向かうこと、バッハの幾つかの作品によって想像力を掻立てた後に作曲にとりかかる行為が、私の朝の祈りとなった。このように、個人的な芸術活動が最善を尽くして集団の礼拝に取って替わった。そして何よりもその活動が、人間が集団で体験していた監禁と恐怖を私に忘れさせてくれたのだ。

上記の事柄から貴方の書き出し「とてつもない人類の野望と人間が発明したテクノロジー」と「肉眼で見えないウイルスの強力さに対する無力さのギャップ」に応答することができる。国家、裕福で権力のある人間達は、それぞれが、平凡な市民には手が届かない最新のテクノロジーを所有しているが、ニュートンのりんごを逆戻りする様な想像の空間を駆動させない限り、物質的、精神的なすべての危険に直面するということを私は理解したのだ。コロナウイルスに起因したこのロックダウンの体験によって見えない悪を見えない善によって打ち負かす事ができた、と私は言いたいのだ。

パリ・サン・セルジュ・ロシア正教会の内陣。復活祭聖土曜の礼拝が中央で行われている

 

Y.K.

ロシア正教の聖週間が第一回のロックダウンの数週間と同時期だったということは、貴方にとって強烈な象徴だったことと想像する。私はこの2つの出来事は外見の違いにも関わらず共通点が見られるように思うのだ。

コロナ災禍によって、フランス国内では、働き方の改革(テレワークの急激な推進)、デジタル化の加速、看護、介護職の給与の大幅な見直しなどが進んだが、更に、このロックダウン体験は、私達の眼を周囲に開かせ、日常生活でおざなりにされていた詳細な事に私達は愛着を感じるようになった。パリの歩道に生えるほんの一本の木や一株の草、地区の小商店、増加の一途である恵まれない人々…このようにして私達の間に相互協力の輪が生まれ、社会に一種の相乗作用が芽生えたのではないだろうか?

 

A.D.

ロックダウンと聖週間の関連性についての貴女の観察は、大胆で、関与性もある。そして貴女が強調するように、違いは外見でしかない。確かにロックダウンでは全体的な欲望を断たれ、自由な行動、友人や家族と集まり、文化的余暇運動、旅行、しかも自宅から不幸なことにも1キロ以上は禁止…他にも色々禁止事項があった。一方で聖週間と四旬節の期間全体に於いて、信者は身体と精神の歓びを断つ。それは食べるもの、飲み物、性交渉、過度な笑い、奔放な気晴らしや他人への否定的な態度などである。両者の違いは、というと、前者は選択ではなく課されたもので、その為に私達は必ずしも良く理解せず、受け入れられなかったのだが、後者は自由に選ばれる為、忍従という形で、しかしながら、死後の復活を象徴とするために(その中の最も良い例においては)歓びの形として体験されるのである。

ところで、(信仰の問題を超えての話だが)貴女の意味深い題名『コロナ禍の生存者』達は、この外界の出来事の為に自分達の中で体験したことを少しでも意識したなら、一種の死と復活の体験をしただろう、と私は感じる。

 

Y.K.

コロナ禍が始まって以来、全ての人が例外無く、感染、身の回りの人々や自身の死の危険など、危ない場面に遭遇したと思う。その事に由って私達皆が、遭難者、生存者であり、身を以て命のか弱さとはかなさを知ったのだ。

今日『健康である』ということは、以前にも増した意味を持つと思う。天に新たに到着した友人や家族達の優しさに満ちた眼差しの元、私はそこに、我々一人一人に任せられた一種の使命への呼びかけを感じる。

今一瞬一瞬を心から生きるということは、かつて無い程に素晴らしいことであり、それは、音の時空を感動と響きと残響をもって彫刻するという、演奏家の職業の最終目的の一つでもあるのだ。

ということで我々の今月の考察を結ぶことにしよう。

パリ・サン・セルジュロシア正教会の聖画壁の詳細

(2021/10/15)

————————————————————————
アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ (Alexandre Damnianovitch)

1958年セルビアのベオグラードに生まれ、当地で音楽教育を受ける。高校卒業後パリに留学し、パリ国立高等音楽院作曲科に入学、1983年に満場一致の一等賞で卒業後、レンヌのオペラ座の合唱指揮者として1994年まで勤務すると共に主要招聘指揮者としてブルターニュ交響楽団を指揮する。1993年から98年まで、声楽アンサンブルの音楽監督を勤める。1994年以降はフランス各地(ブルターニュ、ピカルディ、パリ近郊)の音楽院の学長を勤めながら、指揮者、音楽祭やコンサートシリーズの創設者、音楽監督を勤める。

作曲家としてはこれまでに、およそ10曲の国からの委嘱作品を含めた、30曲程の作品を発表している。
作品はポストモダン様式とは異なり、ロシア正教の精神性とセルビアの民族音楽から影響(合唱の為の『生誕』、ソプラノとオーケストラの為にフォークソング、ヴァイオリンとオーケストラのための詩曲、ハープシコードの為の『エルサレム、私は忘れない』、オーケストラのための『水と葡萄酒』など)或は他の宗教文化の影響を受けている以下の作品(7つの楽器の為の『エオリアンハープ』弦楽オーケストラの為の『サン・アントワーヌの誘惑』、声楽とピアノの為の『リルケの4つの仏詩』、合唱とオーケストラの為の『ベル』など)が挙げられる。
音楽活動と並行して、サン・マロ美術学院で油絵を学んだ他、パリのサン・セルジュ・ロシア正教神学院の博士課程にて研究を続けており、神学と音楽の関係についての博士論文を執筆中。
2019年以来、フォルテピアノ奏者、ピアニスト、金子陽子の為にオリジナル作品(3つの瞑想曲、6つの俳句、パリ・サン・セルジュの鐘)アリアンヌの糸とアナスタジマのピアノソロ版が作曲されて、金子陽子による世界初演と録音が行われた。

アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ公式サイト(フランス語)の作品試聴のページ

————————————————————————
金子陽子(Yoko Kaneko)

桐朋学園大学音楽科在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科共にプルミエプリ(1等賞)で卒業。第3課程(大学院)室内楽科首席合格と同時に同学院弦楽科伴奏教員に任命されて永年後進の育成に携わってきた他、ソリスト、フォルテピアノ奏者として、ガブリエル・ピアノ四重奏団の創設メンバーとして活動。又、諏訪内晶子、クリストフ・コワン、レジス・パスキエ、ジョス・ファン・インマーゼルなど世界最高峰の演奏家とのデュオのパートナーとして演奏活動。CD録音も数多く、新アカデミー賞(仏)、ル・モンド音楽誌ショック賞(仏)、レコード芸術特選(日本)、グラモフォン誌エディターズ・チョイス(英)などを受賞。
洗足学園音楽大学大学院、ラ・ロッシュギュイヨン(仏)マスタークラスなどで室内楽特別レッスンをしている。
これまでに大島久子、高柳朗子、徳丸聡子、イヴォンヌ・ロリオ、ジェルメーヌ・ムニエ、ミッシェル・ベロフの各氏にピアノを、ジャン・ユボー、ジャン・ムイエール、ジョルジュ・クルターク、メナへム・プレスラーの各氏に室内楽を、ジョス・ファン・インマーゼル氏にフォルテピアノを師事。
2020年1月にはフォルテピアノによる『シューベルト即興曲全集、楽興の時』のCDをリリース。パリ在住。

News / Actualités / 最新ニュース