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(新連載)タンペレゆるゆる滞在記|1 渡航の訳と出発前後|徳永崇

タンペレゆるゆる滞在記1/渡航の訳と出発前後

Text & Photos by 徳永崇(Takashi Tokunaga)

何をしにタンペレに?

街の中央を流れるタンメル川

様々なご縁があり、2021年4月からタンペレ応用科学大学(TAMK)の交換研究員として、1年間フィンランドに滞在することとなりました。勤務先である広島大学のサバティカル研修制度を活用しての渡航です。TAMKを選んだのは、博士号を取得した愛知県立芸術大学の提携校であることと、学生や教員の交換事業を盛んに行なっている点が魅力であったためです。ちなみに、私の専門分野は作曲、とりわけ現代音楽の分野です。このため、海外で一旗上げる、あるいは更なるキャリアアップを目指して海外渡航するものとして、多くの方に励ましのお言葉を頂きました。確かに、海外へ行くことで作曲家としての活動が広がれば嬉しいですし、結果として作曲の委嘱も増え、それがキャリア・アップに繋がるのならば、それは大変光栄なことです。しかし、今回のフィンランド渡航の目的は、もっと他にあります。

フィンランドの基礎教育における作曲の指導

フィンランドでは、日本の学習指導要領に該当する「ナショナル・コア・カリキュラム」が2014年に改定され、2016年に完全履行されました。フィンランドの教育水準が高いことは周知の通りですが、この改訂は現在の国際的な問題への関心事、すなわち持続可能性や多様性、先鋭化するIT技術などに対応しており、教育の現代化を意識していることは言うまでもありません。そして、これを受け、芸術分野のカリキュラムも2017年に改定されたのですが、総じて芸術教育のウェイトが高まっている点が特徴です。つまり、教育の現代化を進めた結果、芸術が重要であると判断された訳です。音楽科においては、なんと基礎教育の全学年において作曲の指導を実施するよう明記されました。
しかし、そのことによって、これまで作曲を重点的に扱ってこなかった現場の先生たちの間で、若干の混乱が生じました。そこで、音楽関連の財団や大学が提供する資金を基に、作曲家と音楽学者が手を組み、そのような先生たちが活用できる教材を開発し、ウェブサイトから無料で提供する取り組みが始まりました。私は、まさにこれを研究し、可能なら日本にも応用可能な形でノウハウを持ち帰りたいと思い、フィンランドに赴く決意をしました。
単なる作曲メソッドの研究ならば、実はあまり興味が湧かないのですが、行政が芸術教育を後押しし、作曲家と教育学者が協働で子供たちの創造力育成のシステムを構築するという、日本では考えられないことが起こっている点に、強く関心を持っています。さらに、その発想の根底には、教育の機会均等や民主主義といった根源的で非常に重要な問題意識があり、国民をいかに幸福にするのか、という一点に集約される形で、様々な方策が練られている印象を受けます。作曲という、一見すると個人的な営みが、民主主義の一端を担っていると思うと、作曲家としては襟を正さずにはいられません。
この「民主主義」という、口に出すのも少し照れ臭い単語が最近とても気になるのは、やはり今の日本がそうなっていないからです。一部の権力者や既特権者が民意を無視して、しかも隠然と封じ込める社会は、もはや民主的ではないのです。つい最近も、広島で政治資金を使った大規模な買収が摘発され、選挙すら機能不全に陥っている様子が露見しました。このような現状を大きく変える術がないことに、絶望感すら覚えます。そのような中、フィンランドの作曲指導に関する取り組みを知ることで、創造力が社会を変える可能性に気づき、自分にできることは一応やり切っておこうと思い立った次第です。社会を変えるというと大袈裟ですが、二極化が加速する現代社会において、緩衝地帯となるようなもう一つの極を作ることができれば、未来も少しは変わるかも知れません。残りの人生で、そのような仕事ができれば自分としては本望です。40歳代半ばを過ぎ、あまりやんちゃもできない年頃になってからの再出発といったところでしょうか。

新しい生活

引越しを終え放心状態の犬

以上、高邁な理想と野望を書きましたが、実際に渡航するとなると、大変な作業が山積みで、目の前の申請をこなすのが精一杯でした。しかも今回は、思い切って家族全員、すなわち妻、高校生の息子と娘、さらには2匹のトイプードルを連れて行くことにしたので、膨大な手続きが必要です。在留許可の申請、アパートの手配、引越しの荷造り、コロナウィルス感染拡大防止対策に係る自己隔離、子供たちの学校の手配、犬の検疫と国外移動の申請、到着後の住民登録、銀行口座開設、その他挙げるときりがありません。このように書くと、まるで自分で対応したかのように見えるのですが、私は日本での大学の残務処理で手が回らず、実際は多くの作業を妻が取り仕切ってくれました。国内外の様々な申請と登録の現場で多くの修羅場を潜り抜けたのですが、何事にもゆるゆるの私を尻目に、テキパキと対応する姿は圧巻でした。相当なストレスをかけてしまった様子で、いまだに妻からは恨みごとを言われる始末。子供たちの父親に対する信頼度もガタ落ちです(涙)。犬を2匹も連れて行くことについては、かなり悩んだのですが、他人へ手放すのは絶対に寂しいですし、誰かに預けてその方を噛むなどしても申し訳ないですし、犬が病気などしてしまっても預け先の方に気を使わせてしまうし、施設に預けると莫大な費用がかかるし、どの方法を選択しても問題があるならば、いっそ身近にいた方が彼らも寂しくないだろうと、連れて行くことにしました。結果的にこれは思いがけず正解でした。フィンランドで犬と共に暮らすことは、本当に楽なのです。詳しくはまた別の機会にご紹介いたします。
とにかく、気が付いたらタンペレでの生活が始まっていました。タンペレは、ヘルシンキの北160kmに位置する産業都市で、至る所に湖が存在する美しい街です。かつては、これらの湖水の差を利用して水流を起こし、発電することで工業が発展したとのこと。テクノロジーと自然の調和という点で面白いと思いました。緑豊かでありつつも、都会の匂いも感じることができる環境が、自分には心地よく感じられます。同じフィンランドでも、ヘルシンキとは違った風情があり、のんびり過ごす観光スポット、あるいは心穏やかに研究へ没頭する場所として魅力的なのではないでしょうか。

自宅前のハメーン公園

コロナウィルスの影響で、コンサートが中止になるなど、まだ多くの不自由はありますが、街ゆく人々は屋外ならばマスクも付けていない場合も多いですし、5月からは40歳代へのワクチン接種が始まり、次第にゴールが見えつつある状況と言えます。自分もワクチン接種してみようかなと、呑気に考えているうち、あっという間に5月の最終週に入りました。生活基盤の構築と並行して、研究の方もようやく進み始めましたし、演奏家や様々な人々との出会いも増えてきました。今後は先述の「高邁な」研究の進捗(おそらく失敗談も)、日々の生活のこと、子供たちや犬たちのこと、そして音楽活動があればそこからピックアップして、いろいろな情報を身の丈にあったやり方でご紹介できたらと思います。

(2021/6/15)

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徳永崇(Takashi Tokunaga)
作曲家。広島大学大学院教育学研究科修了後、東京藝術大学音楽学部別科作曲専修および愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士後期課程修了。ISCM入選(2002、2014)、武生作曲賞受賞(2005)、作曲家グループ「クロノイ・プロトイ」メンバーとしてサントリー芸術財団「佐治敬三賞」受賞(2010)。近年は、生命システムを応用した創作活動を行なっている。現在、広島大学大学院人間社会科学研究科准教授。2021年4月から交換研究員としてタンペレ応用科学大学に在籍。