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特別寄稿|私のフランス、私の音|(5)言葉に埋もれて|金子陽子

(5)『言葉に埋もれて』
 L’immersion linguistique.  

Text & Photos by 金子陽子(Yoko Kaneko)

「今日の演奏会の冒頭の挨拶は何語から始めるべきだろう?」ベルギーの首都、ブリュッセル王立音楽院の大ホールにて、とある音楽学者主宰の「忘れられた名曲を発掘する」コンサートの開演前、主催陣が真剣な顔つきで相談していたその内容に唖然とした。ベルギーは小さな国であるが、フランス語を話すワロン人とオランダ語を話すフラマン人の2つの地域が共存し、しばしば張り合っているお国柄なのだ。ブリュッセル市自体は正にその両方が共存する体制であるが、事情は複雑らしい。主催者(この人はフラマン人のようだ)の言い分によると、「ワロン人達は “フランス語しか” 解らないが、フラマン人はオランダ語だけでなくフランス語も皆できるから、オランダ語のスピーチから初めた場合ワロン人達が憤慨するだろう」と、まるでワロン人は教養がなく横柄だと言いたげな口調である。印刷されたこの日のコンサートプログラムも当然のことながらフランス語とオランダ語の2カ国語で書かれていた。

「ベネルクス」諸国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ)の人々、イタリア、ドイツ、フランス語の3カ国語が公用語であるスイス、そしてスカンジナヴィアと東ヨーロッパの旧共産圏に住む人たち(勿論南アジア諸国もそうだと思うが)は、母国語以外に少なくとも2つは言語が話せないと良い仕事につけない、という現実問題がある。これらの国に旅してホテルのテレビをつければすぐわかることだが、自国語で作られた映画やドラマが少ないために、耳に入るのは英語のままで字幕が自国語、という具合に幼少時から自国語、英語、プラスアルファの沢山の言語に否応無しに触れられる環境にある。

島国の日本はというと、外国との陸続きの交流がないために、テレビも新聞も政治も日常会話もすべて日本語、外国語の勉強は受験、留学、就職以外にはあまり身に迫った問題ではない。そんな私達日本人が初めて海外に赴いた時の『言葉とコミュニケーションの壁』は、多少の差はあれ、大多数の人にとって『恥ずかしい』『衝撃的な』体験なはずだ。

ベルギーのオランダ語圏ブリュージュを拠点にして録音、ツアーに参加した折り、リハーサルで一番使われた言葉がオランダ語、そしてドイツ語、そのあとに英語、最後に (ほとんど私のためだけに) 時折フランス語が用いられた。演奏旅行中のメンバー達との雑談やジョークはたいていドイツ語かオランダ語で、「ああ、ごめん、それじゃ、ヨーコのために英語にしてもう一度話すね」と、英語で言われてもジョークのオチがわからなかったりすることもしばしば、、情けない気持ちになったものだ。

外国に住めば、留学すれば、自然に語学が上達する、というのは大きな誤解だ。国語の授業での漢字の書き取りのように、ひとつひとつの単語、文法、日常会話、新聞、文学作品、テレビ番組、すべての要素の摘み重ねであり、外国生活の年月が経つにつれ、言語の難しさの奥深さに気づく。たとえば、数日、数週間の勉強でカフェで注文ができるようになり、1年くらいで病院や銀行の窓口で事務手続きがなんとかできるようになったとしても、教授の授業で一番肝心となる言葉(こういう場合にはとりわけ洗練された単語が用いられるものだ)がわからなかったり、反対に学業とは全く違った分野、例えば映画やテレビドラマ(日本だったら漫才や落語だろうか)を理解して楽しめるまでに数年、コメディフランセーズのモリエールの戯曲(日本なら古文や歌舞伎)を劇場で理解できるためには、フランス人として生まれたネイティブなら中学生レヴェル、日本でなら大学の仏文学科卒業レベル、というような大変な道程だ。

語学晩成型の私は、フランス生活数年後に、やっと、脳の中でフランス語と日本語の部分が独立して、それぞれの言語で直接考えられる体制になったことを自覚した。外国語は日本語と比べ、構造だけでなく、『同じ物事に対する思考形態が異なる』場合が多く、日本語から外国語、又は外国語から日本語にひとつひとつの単語を頭の中で『翻訳』してから話したり書いたりすると文として筋が通らなかったりと不都合が多い。外国語学習とは、単なる語彙と文法に加え、その「言語に特有の思考形態の同化」も意味する。つまり、時間をかけて私の脳が到達した『2つの異なった言語の脳内での独立』は、重要なプロセスなのだ。

昨今インターネット上では自動翻訳機能が普及してきた。ただ、今述べたような表現の裏に隠れる発想の違いまではこの機能も把握していないため、日常的、文学的な表現や言い回しは、的確に訳されず、この機能はあくまで記事の要旨の理解などの個人的な使用に限定される。翻訳業に携われる方々の優れた仕事ぶりはこの先もずっと重宝され続けることだろう。

国際結婚で生まれた二つの文化を持つ子供達はどのように語学を学習していくのだろう? 彼等は、カップル間で相手の言語が完璧に話せないというコンプレックスを持った両親の期待を一身に背負って生まれてくる。
乳児期、幼少期に、両親それぞれから2つの言語を別々に聞かされ 、混同せずに話す習慣を日々の生活でつけることが、家庭でのバイリンガル教育の大切な条件である。モノリンガルの子供の2倍の情報を脳内で処理する為、バイリンガルに育てられる子供は話しを始める時期が多少遅れるようだ。
学童期になると、毎週1度の日本語教室、夏休みに帰国して日本の小学校の体験入学、という具合に、家族(大部分が母親)がしっかりサポートできる体制があることが重要となる。そして中学高校でバイリンガルクラス (日仏バイリンガル校はパリ地方には2校だけある) では、現地の義務教育のカリキュラムに加え、日本の国語、歴史地理、古文の授業もあるために、親御さんと共に実に大変な努力を積んで、ハーフではなく、正に『ダブルカルチャー』を備えた優れた国際人となって巣立って行く。
ただし、2カ国語を話すことと同じくらいに複雑なのは、両方の文化、考え方や伝統を理解して自分の位置を定めなくてはならないことで、時には天と地のごとく対照的な考え方の狭間で、アイデンティティ問題に発展しかねない。

ハリーポッターの古代ギリシャ語訳、 勿論ラテン語訳も書店で売られている

フランスは外国語教育についてはヨーロッパ諸国の中では評価が芳しくない方だが、英語教育は小学校から、中学1年(コレージュ5年生)の1年間はフランス語の先祖でもあり、キリスト教に深い関わりのあるラテン語が伝統的に必修となっている。中学2年生(コレージュ4年生)からは第2外国語が必修で、スペイン語が圧倒的に優勢でドイツ語がそれに続く。高校(リセ)では希望すれば第3外国語も取得できる。1月号で触れたように、世界のあらゆる地から移住してきた人たちがフランス人を形成しているため、生徒の多くは両親の出身地や宗教に関わりのある言語、アラブ語、ロシア語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、ヘブライ語や古代ギリシャ語から選び、近年では中国語が第2外国語として進出、日本語も第3外国語として人気があるようだ。

フランス語はかつてはロシア、ポーランド、スエーデンでも上流社会を中心に話されていた。今日ではアフリカ(旧植民地)、ヨーロッパ、カナダなど多くの国や国際機関で公用語として使われ、それらを総称して「フランコフォニー」と呼ぶ。
スイス(ロマンド地方)、ベルギー(ワロニー地方)で使われるフランス語は話し方がゆっくりしてフランス人から見るとおおらかで楽観的に響く他、70、80、90の数え方が違う。(お店やレストランのお勘定の時につい出身地が解ってしまう)
又、カナダのケベック州で話されるフランス語はというと、昔のフランス語の面影と独特の明るい訛りを保持しつつ、アメリカナイズを避けるため、第二次大戦中の日本が家電製品などを徹底的に日本語で呼称したように、フランス語の表現を重要視し、時折度肝を抜くような表現にも出会う。

面白いエピソードを2つご紹介しよう。
ケベックシティから、沖合でくじらが観察できるという北部のタドウサックを訪れた折、とあるファミリーレストランでフランス語のメニューを見て思わず絶句したことがあった。なんと『熱い犬』と書かれている。ちょうど私が「鯨の肉は日本の小学校の給食に出たこともあり、伝統的な食材だ」と言って 地元の友人から”野蛮人” と冷たい目で見られたところだったので、ケベック人はくじらは愛護するものの犬の肉を食べるのか!と仰天した。
この疑惑はすぐに解消された、というのは、その「熱い犬 /Chien Chaud」とは、実は「ホットドッグ」を単に徹底してフランス語で表現したものだったのだ。疑惑は解消したものの、私の食欲は一気に失せてしまった。

パン・オ・ショコラとショコラティンの呼称のフランス本土とコルシカ島での分布図

そして先日、地方に転校した次女の同級生が遊びに来た折り、フランス語のある呼称についの、微笑ましい地方”争い”を耳にした。クロワッサンと並んで親しまれている「パン・オ・ショコラ」Pain au chocolat、パリ地方や北フランスでは100パーセントこの名称が定着しているらしいが、一部の地方に行くと、”ショコラティンChocolatine” という呼ばれ方をするのだそうだ。なんでもボルドー市では、圧倒的に “ショコラティン”の名称が優勢で、それに慣れた彼女がパリのパン屋さんで「ショコラティンくださ−い!」と言ったときのパリジェンヌの売り子の反応が面白可笑しかった、と、思わぬ話に花が咲いた。

日本という島国、その素晴らしい伝統、文化、教育への誇りと共に語学コンプレックスを持ち合わせる日本人。日本を訪れたあらゆるヨーロッパ人達が口を揃えて「親切」「正直」「安全」「行き届いた素晴らしいおもてなしを受けて感激した」と賞賛する。一方で、日本人は、日本に住んで仕事をする外国人のたどたどしい、発音に訛りのある日本語にどうも厳しいような印象を私は受ける。語学において不完全なことや未熟なことを嘲笑せず、それが自分の場合は恥ずかしがらず、間違えながらもどんどん会話に挑戦し、人々とコミュニケーションを取る努力をすることが、語学上達の1番の近道だ。言葉の間違いを直してくれるような親身で正直な外国人の友人を持つことができたら、それは本当に素敵な宝物だ。
近日増えている外国からの留学生、労働者の方達にも、おおらかに、時には家族の様に、長い目で接して支えて行く事ができれば素晴らしいのではないだろうかと、私のガイジンとしての個人的な体験から思うこの頃である。

(2020/5/15)

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金子陽子(Yoko Kaneko)
桐朋学園大学音楽科在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科共にプルミエプリ(1等賞)で卒業。第3課程(大学院)室内楽科首席合格と同時に同学院弦楽科伴奏教員に任命されて永年後進の育成に携わってきた他、ソリスト、フォルテピアノ奏者として、ガブリエル・ピアノ四重奏団の創設メンバーとして活動。又、諏訪内晶子、クリストフ・コワン、レジス・パスキエ、ジョス・ファン・インマーゼルなど世界最高峰の演奏家とのデュオのパートナーとして演奏活動。CD録音も数多く、新アカデミー賞(仏)、ル・モンド音楽誌ショック賞(仏)、レコード芸術特選(日本)、グラモフォン誌エディターズ・チョイス(英)などを受賞。
洗足学園音楽大学大学院、ラ・ロッシュギュイヨン(仏)マスタークラスなどで室内楽特別レッスンをしている。
これまでに大島久子、高柳朗子、徳丸聡子、イヴォンヌ・ロリオ、ジェルメーヌ・ムニエ、ミッシェル・ベロフの各氏にピアノを、ジャン・ユボー、ジャン・ムイエール、ジョルジュ・クルターク、メナへム・プレスラーの各氏に室内楽を、ジョス・ファン・インマーゼル氏にフォルテピアノを師事。
2020年1月にはフォルテピアノによる『シューベルト即興曲全集、楽興の時』のCDをリリース。パリ在住。
https://yokokaneko.wordpress.com/