第5回 両国アートフェスティバル2019【Cプログラム】コンサート『アメリカに見る創造精神』|西村紗知
第5回 両国アートフェスティバル2019【Cプログラム】コンサート『アメリカに見る創造精神』
The 5th Ryogoku Art Festival 2019 Program C Concert: Creative spirit in America
2019年8月4日、5日 両国門天ホール
2019/8/4,5 Ryogoku Monten Hall
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
Photos by Kurosaki/写真提供:一般社団法人もんてん
<演奏> →foreign language
井上郷子(ピアノ)、篠田昌伸(ピアノ)、榑谷静香(ピアノ)
<曲目>
リチャード・キャリック:《音の手触り》2台ピアノのための(2015)
スティーブ・ライヒ:《ピアノ・フェイズ》(1967)
エリオット・カーター:《ピアノについての2つの考察》より II. 連鎖(2006)
エリック・リチャーズ:《フィールドの解明》(1988)
アニア・ロックウッド:《RCSC》(2001)
エレノア・ホブダ:《スプリング・ミュージック・ウィズ・ウィンド》(1973)
ジョージ・クラム:《時代精神》2台の増幅されたピアノのための6つのタブロー(1989)
特に根拠もなく「芸術の終焉」を語る者のうちには、単調なヒロイズムや終末への願望が潜んでいる。「芸術を無理解から救いたい」か「こんな芸術なら要らない」とでも言っているのだろう。しかし芸術は、現にいかなる変質をも引き受けてしまっていて、終わることをしらない。芸術を終わらせようとする試みは、数えきれないほどあったろうに。芸術は終わらなかったという事実を積極的に引き受ける論理が、いい加減必要とされているのかもしれない。あの高名な社会学者が唱えたスローガンが今更ながら響いてくる。改変してよいなら、「終わりなき芸術を生きろ」。
今回の演奏会タイトル『アメリカに見る創造精神』には、「ケージ以降の」あるいは「前衛以降」のという文言が隠されているといってもいいかもしれない。終わらせようとする試みによって結局終わることなく、音楽はただ変質を被っただけだったのだ。こうした現実が聴衆の前に立ちはだかっている。しかしながらより困難なのは、ポエジーの再獲得だ。一度壊されて散らばった素材をもう一度同じように組み立てたとして、以前と同じポエジーはそこには二度と立ち現れない。さて、「アメリカに見る創造精神」はどうだろうか。
リチャード・キャリックの作品は、なるほどプログラムノートにもあるように、ドビュッシー的な書法で書かれてはいるのだろうけども、美食的な豊満さはなく、すっきりとした炭酸水のような味わい。空を切るようなパッセージがピアニストの間で応答しあって、ところどころ長7度の和音が聞こえてきりりと締まる。低音部の響きもクリアにまとまり、高音部の連打も無機質さゆえに美しい。
無機質さといえば、スティーブ・ライヒの名作《ピアノ・フェイズ》であろう。身体性のない音の反復で全体が埋め尽くされるこの作品は、それでも経験を度外視することがない。反復される上行音型がしだいに下行音型に変っていく快感は、さながら鉛ガラスの結晶体を、いろんな角度から眺めるような経験。途中少し強い地震が発生するというハプニングがあったが、ピアニスト二人の一糸乱れぬチームワークで最後まで演奏された。
エリオット・カーターのピアノソロは、デュナーミクが差し引かれた真に素早いトッカータのような作品。一本の音の線が、曲の始まりから終わりまで、途切れることなく走り去っていく。高速道路をアクセル全開で駆け抜けていくような爽快感。ときどきタイヤが砂利を踏んでしまう場面もあったけれども、ピアニストは弾き終わったのち、爽やかな笑顔ではけていった。
主に3音ずつ単音が連打されて、その残響が作品の根底をなす。エリック・リチャーズの《フィールドの解明》は、孤独の境地をしっかりとらえている。無口な独白を聞かされるようで、連打された音の行く先を、聞こえなくなるまでずっと聞いていたいと思う。独白する者、この単独者は一体どこへ行こうとするのだろう。
残響を構成要素としてもつのは、内部奏法の金属音が特徴的なアニア・ロックウッドの《RCSC》も同様である。通常の奏法の音をダンパーペダルでのばして、そこに内部奏法の音を加えていく。この作品では内部奏法の音のことを、異物のようには思うことはない。通常の音が内部奏法の音を介して、きっちり相対化されているのである。全体として、赤錆びた調度品の並んだ、さびしい静物画のよう。
エレノア・ホブダの《スプリング・ミュージック・ウィズ・ウィンド》では、内面的な獣性を聞く。音を発するのは、大小5種類のカラフルなマレットと、ゴムバンドを折りたたんだものと、ガラス瓶。それからピアニストの吐息、口笛、ハミング。いろんな獣の鳴き声がする。マレットがピアノのフレームとこすれる際に発する音は、獣の遠吠えのようで、ガラス瓶をピアノ弦に押し付ければ、鳥の群れが騒ぎ出す。
最後は、今回の中では最も世界観のスケールが大きいと感じる、ジョージ・クラムの《時代精神》。聞いていると、違う星の出来事を見ているような感にとらわれる。ピッチ感のあまりない低音域・高音域を鳴らすことで、そこで鳴るクラスターや、ガラスコップをピアノ弦に押し当てながら弾く音が、変に浮き立つことがない。二つ目の楽章、二人のピアニストが細切れのパッセージを応答し合う箇所は、どことなくプロコフィエフの書法を思い起こすようなところがあるが、ずっとペダルを踏んだままなので、乾いた滑稽さを伴わない。弦のスクラッチ、ミュート、ハーモニクスが入り混じると、ピアノがもはやどこか中東辺りの楽器に変身してしまうのであった。
どの作品もポエジーを忘れていなかった。それは、選曲にあたった今年の芸術監督・内藤明美のセンスが大きい。それに当然、ピアニスト三人の苦心もあったことだろう。
どれもまるで、物質が見る夢のようだった。人間の主観から外れようとすることと、情感そのものを失うこととは、作品をつくる上で全く別のことだとわかる。当然ながらポエジーもまた変質を被って、会場に居合わせる者はみな、それをしっかり見据えることとなった。
「アメリカに見る創造精神」は、荒漠たる心象風景への探究心をたずさえ、疎外されきった心の影を追わずにいられないのである。
(2019/9/15)
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<Artist>
Satoko INOUE(Pf.), Masanobu SHINODA(Pf.), Shizuka KURETANI(Pf.)
<Program>
Richard Carrick:la touch sonore sous l’eau pour deux pianos(W.P)……Satoko INOUE, Masanobu SHINODA
Steve Reich:Piano Phase……Masanobu SHINODA, Shizuka KURETANI
Elliott Carter:Two Thoughts About the Piano II. Caténaires……Shizuka KURETANI
Eric Richards:The Unravelling of the Field……Satoko INOUE
Annea Lockwood:RCSC……Satoko INOUE
Eleanor Hovda:Spring Music with Wind……Satoko INOUE
George Crumb:Zeitgeist, six tableaux for two amplified piano……Masanobu SHINODA, Shizuka KURETANI