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ジョージ・ベンジャミン オペラ『リトゥン・オン・スキン』|齋藤俊夫

ジョージ・ベンジャミン オペラ『リトゥン・オン・スキン』
George Benjamin:Written on Skin, Opera in Three Parts

2019年8月29日 サントリーホール
2019/8/29 Suntory Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 池上直哉(撮影:8月28日)
画像提供:サントリーホール

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ジョージ・ベンジャミン オペラ『リトゥン・オン・スキン』(2009~12)(日本初演)(英語上演、日本語字幕付、セミ・ステージ形式)
台本:マーティン・クリンプ

<スタッフ>
指揮:大野和士
演奏:東京都交響楽団
舞台総合美術:針生康
ディクション指導:ティモシー・ハリス
コレペティトゥール:大木二葉
ダンス振付:遠藤康行

舞台監督:幸泉浩司
技術監督:成本活明
舞台監督助手:井坂舞/近藤元/藤井涼子/小田原築/大洞邦裕
大道具:東宝舞台/ACTIVE
照明:劇光社
映像:ヒビノ株式会社
衣裳:モマワークショップ
ヘアメイク:Rapport81(田中エミ)
制作進行:アートクリエイション(堂本純平)
字幕:紙本愛
字幕操作:ZImakuプラス

<キャスト>
プロテクター(バリトン):アンドルー・シュレーダー
妻・アニエス(ソプラノ):スザンヌ・エルマーク
第1の天使/少年(カウンターテナー):藤木大地
第2の天使/マリア(メゾ・ソプラノ):小林由佳
第3の天使/ヨハネ(テノール):村上公太(出演予定のジョン・健・ヌッツォより変更)
天使(ダンス):遠藤康行、高瀬譜希子

 

「市場から土曜日の駐車場を消去せよ――生ける者を消し去り――死せる者を一瞬にして蘇らせよ」(プログラムのあらすじより引用)と言って3人の天使が舞台を現代から800年前にタイムスリップさせ、天使の内の1人が写本彩飾師の少年となって劇が始まる。
主要登場人物3人、領主プロテクター、その妻アニエス、天使でもある少年の台詞・歌詞にも、歌詞なのに自分のことを三人称(つまり領主の歌詞の中で「男は」と自分のことを呼ぶ)などのテクスト上の仕掛けがあり、中世が舞台だが「コンクリートの道路」という台詞が現れるなど、舞台の時空も中世と現代が交錯する。
タイトルの”Written on Skin”の”Skin”とは中世の羊皮紙のことでもあり、また少年と肉体関係を持ったアニエスの「肌」に描かれた(written)少年の「絵」も指すことが第3部で明らかになる。
天使、人間、時空間、タイトルの意味など、複層的で其処此処に解釈の余地のあるこの「台本」は確かに「面白い」と思えた。

だが、本作品がオペラすなわち「音楽劇」として十分なものとなっていたかと言うと、評者は否と言わざるを得ない。

オペラとは「音楽だけ」のものではなく、作曲、台本、演出、演奏、歌唱、演技、それぞれが総合されて初めて完成されるものであることは言うまでもない。だが、オペラから「音楽」を抜いたならばそれは「劇」でしかない。「音楽によって作劇する」ことがオペラの第一の存在条件であることは間違いない。

本作の音楽の致命的な弱点は、そのほとんどが「作劇」ではなく、台本に合わせた「効果音」「現代音楽の様式によるBGM的雰囲気作り」に堕していたことにある。これは昨年10月に日本で上演された藤倉大『ソラリス』にも共通することである。確たる必然性なく「現代音楽っぽい」音楽が終始流れ続けて、音楽による「作劇」がほとんど成されていない。音楽はオペラの主体ではなく、台本の付属物に過ぎなかった。この点、今年2月の西村朗『紫苑物語』はあくまで音楽が主体であったことは確かだ。
最も「劇的」である第3部、領主が少年が「天国」を描いたとする絵を見る場面、少年がアニエスとの関係を文章で描いたものを領主が読む場面、領主が少年を殺す場面、アニエスが少年の心臓を食べる場面、アニエスが飛び降り自殺をするという「最後の絵」が語られる最終場面、これらは確かに「劇的」で緊張感のある「劇」ではあったが、その音楽(歌唱も含む)はあたかも映画音楽のように、台本によって作られた場面の「雰囲気」を強めているだけであった。

音楽が描写するものという観点から、いささか古い例だが、題材として似ているものとしてバルトーク『青ひげ公の城』と比較してみたい。バルトークにおいては、7つの扉の向こうに何があるのかが音楽によって見事に描写されている。そこで扉の向こうを視覚的に描写するかは演出家の問題であるが、視覚的描写なしでも音楽(もちろん歌唱も含め)で扉の向こうが「見える」のである。
それに対して、本作においては少年=天使が描いた絵は、効果音的、あるいはBGM的な音楽による「登場人物たちの感情の動き」と登場人物たちの言葉によって類推するしかなく、音楽によって「絵が見える」ことがなかった。

また、本作が番号付きオペラのように折々のアリアや合唱を楽しむ、という作品でもないのは明白であるが、ヴァーグナーやベルクのような物語と時間の構造が不在、つまり場当たり的に現代音楽風の音響を連ねているように聴こえたことも正直に述べておきたい。オペラならず、多くの現代音楽が長時間の作品成立に耐えうる構造を捨て、音響の羅列をするだけで良しとなってしまったのはもう数十年来のことであるが、それが本作品でも感じられたのだ。

「現代オペラの、いや、オペラそのものの偉大な瞬間!」とフランスでは絶賛されたそうだが(チラシより引用)、筆者には、現代オペラ・現代音楽界が、「現代音楽という”ジャンル”の音楽を書かねば現代音楽界に入れず、上手く入れれば絶賛される」という、悪しき因襲の場と化してしまったという悲憤を抱かずにはいられなかった。
今こそ、オペラ座は爆破されねばならないというブーレーズの言葉を改めて考え直すべき時なのではないだろうか?

(2019/9/15)

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George Benjamin:Written on Skin, Opera in Three Parts (Japan premier)(Sung in English with Surtitles in Japanese, Semi-Stage Opera)

Text:Martin Crimp

<Staff>
Conductor:Kazushi Ono
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra
Creative Direction and Design:Shizuka Hariu

Diction Coach:Timothy Harris
Korrepetitor:Futaba Oki
Dance Choreography:Yasuyuki Endo
Stage Manager:Koizumi Hiroshi
Technical Director:Katsuaki Narimoto
Assistant Stage Maneger:Mai Isaka / Moto Kondo / Ryoko Fujii / Kizuku Odahara / Kunihiro Daido
Scenery:TOHO STAGE CRAFT / ACTIVE
Lighting:Gekikosha
Costume:Moma Workshop
Hair&Make-up:Rapport81(Emi Tanaka)
Production Management:ARTCREATION(Jumpei Domoto)
Surtitles:Ai Kamimoto
Surtitles Operator:Zimaku+

<Cast>
The Protector(Baritone):Andrew Schroeder
Agnès,His Wife(Soprano):Susanne Elmark
Angel 1 / The Boy(Countertenor):Daichi Fujiki
Angel 2 / Marie(Mezzo Soprano):Yuka Kobayashi
Angel 3 / John(Tenor):Kota Murakami(changed from John Ken Nuzzo)
Angels(Dance):Yasuyuki Endo / Fukiko Takase