Menu

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 日本公演|藤原聡 

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 日本公演 

2017年11月21 サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi 

<演奏>
指揮:ダニエレ・ガッティ
チェロ:タチアナ・ヴァシリエヴァ
ソプラノ:マリン・ビストレム 

<曲目>
ハイドン:チェロ協奏曲第1番 ハ長調 Hob.Ⅶb-1
マーラー:交響曲第4番 ト長調 

 

2015年にグスターボ・ヒメノに率いられて以来、2年振りのロイヤル・コンセルトヘボウ管(RCO)来日である。指揮は2016年よりRCOの首席指揮者を務めるダニエレ・ガッティ。前回来日時の2015年はヤンソンスがRCOの首席指揮者を退任した年であり、そのためであろうか、この年の来日公演はヤンソンスではなく、元々RCOの打楽器奏者で後に指揮者へと転向した若手(中堅?)ヒメノがタクトを執った。マニアや熱心なファン以外にとっては「ヒメノ、Who?」というような状況であり、天下の名門RCOがいわゆる「巨匠」ではなくそのような指揮者と来日したこと自体が良くも悪くも新鮮に映ったのは事実(演奏自体は必ずしも満足行くものではなかったのだが…)。
そして先に記した通り、今回は新・首席指揮者であるガッティとの来日であり、RCOが首席指揮者と来日したのは2013年のヤンソンス以来4年ぶりということになる。ガッティのRCO首席就任については発表当時様々な意見が出たものだ。もとより相当個性的な音楽を造る人であるから賛否両論となるのは容易に想像できるのだが、非常に柔軟な音楽性を持ち指揮者への適応能力に富むRCOとのコンビネーションはいかに。 

まずはヴァシリエヴァをソロに迎えてのハイドン(著名なソリストだったこの人がRCOに入団して首席チェロ奏者に就任していたことを今回初めて知った)。安定した滑らかな技巧と美音による、非常になだらかな演奏。スケールは小ぶりだし音もあまり大きくないが、そこはソロのニュアンスと音量に恐ろしく機微に反応するRCOの緊密な合奏で、全体的なバランスと調和に秀でた演奏となっていた(逆に言うなら「協奏曲」と言うよりも「合奏曲」に聴こえる)。ガッティも基本的にはオケに任せてあまり振らず。刺激的なハイドン演奏に慣れている耳にはいささか穏健過ぎるという意見が出ても不思議ではない(というよりも筆者はこちらの意見に近いが…)。アンコールにはバッハの無伴奏チェロ組曲第3番からプレリュード。 

どうしたって当夜の興味は後半のマーラーになろう。コンセルトヘボウのマーラーは特別であり、わけてもこの第4などは同オケで作曲者自身やメンゲルベルクも振っている(前・後半でマーラーの第4全曲をこの両者がそれぞれ振った――つまり2回演奏された――などという目も眩むようなコンサートが行なわれたのがRCOである)。曲者ガッティがマーラー作品中ではシンプルな(相対的に、だが)この曲をどう料理するのか。
結果、やはり非常に面白い演奏が出て来た。全曲を通して基本音量が小さめに設定されており、それは第1楽章展開部後半や第3楽章コーダにおける例の突然のfffにおいても同様。それゆえ、演奏全体から受ける印象が相当に沈滞したものとなる。クラリネットの大胆なベルアップが頻出し、その視覚的効果は言うまでもなく、突出した音響バランスがこの曲の表面的な穏やかさの裏にあるグロテスクさを強調する。メロディはあまり歌わせないが、ここぞという箇所で極端に遅いテンポを採用したり(第1楽章コーダ)、極端な減速を行う(第2楽章のトリオ部分)。それでいて第3楽章における最初の主題が1度目に変奏されて登場する箇所では相当速いテンポを採用したりと、横のメリハリが非常に激しい。しかも、そのメリハリが通常聴かれるものとは違う。沈滞と分裂。何と形容すべきか、パラノイアックでありながらズキゾフレニックでもある、という摩訶不思議な感触の演奏なのである、これが。 

好き嫌いは別として、ガッティは少し違った感性でこの曲を捉えているということが聴き手に伝わって来る演奏であり、しかもこれらを極上の美音と鉄壁のアンサンブルを誇るRCOが完璧に音化していくのだからたまらない(恐らく他のオケであればもっとわざとらしく下品になったと思う。これは好き好きだけれど)。
思えばこういうアクの強い音楽性を持つ指揮者がRCOの首席指揮者となったのはなかなか珍しく(メンゲルベルクは別)、それにも関わらずオケは自分たちの持ち味を維持したまま指揮者に付き従う。何というしたたかさと実力か。終楽章のソプラノは当初のユリア・クライダーが体調不良で降板、代役で登場したマリン・ビストレムはソプラノというよりはメゾ・ソプラノ的に太くくすんだ声質の持ち主で、それもガッティの演奏の特質と期せずして同期していた(尚、歌った位置はステージ奥のティンパニ右横であり、これにより声がやや奥まって聴こえて来たのもさらに全体の演奏の性格と合っていたように思う)。その第4楽章でのガッティのサポートぶりはこの日の演奏の中でも明らかに白眉であり、歌手に対して出過ぎず引っ込み過ぎず、歌に応じて瞬時に変化するニュアンスのセンシティヴさは過去に聴いたあらゆるマーラーの第4の中でも最高位に属するものと思われた。オケのアンコールはなし。 

繰り返すが、ガッティの演奏は決して万人向きではなく明確に好悪を分ける。一筋縄では行かない。であるから、仮に何か納得の行かないものが残るとしても、それゆえにまた聴いてみようかという気にもなる(ならない人もいるだろうが-苦笑)。何につけ予定調和は往々にして退屈なものだ。つまり、ガッティは断じて退屈ではない。これからもこの指揮者の実演は追ってみようと思う。