Menu

第34回芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会|齋藤俊夫

第34回芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会
The 34th Competition of Yasushi Akutagawa Suntory Award for Music Composition

2024年8月24日サントリーホール
2024/8/24 Suntory Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 飯田耕治/提供:サントリーホール

<演奏:曲目>
指揮;杉山洋一
新日本フィルハーモニー交響楽団
打楽器:安藤巴(*)

第32回芥川也寸志サントリー作曲賞受賞記念サントリー芸術財団委嘱作品
波立裕矢:『空を飛ぶために』(*)

第34回芥川也寸志サントリー作曲賞候補作品
石川健人:『ブリコラ-じゅげむ』
河島昌史:『e→eIV』
山邊光二:『Underscore』

第34回芥川也寸志サントリー作曲賞選考および表彰
選考委員:新実徳英、望月京、山本裕之
司会:白石美雪

 

今回の第34回芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会、候補作品3作に波立裕矢の第32回受賞記念委嘱作品も加えての全4作品を聴いて、筆者は「ここに現代音楽における〈吉松隆問題〉は終わりを告げた!」と確信した。
現代音楽における〈吉松隆問題〉とは何か。それは現代音楽を書く上で吉松隆のように「調性音楽」を書くと「前衛音楽」ではないとされ、「前衛音楽」を書く上では吉松隆のような「調性音楽」も彼のような書法も許されず、また逆に吉松隆(と〈彼の側〉の人間)は「前衛音楽」を書くことが許されないという、「前衛/前衛以前」「前衛作曲家/吉松隆」と音楽が2つに分断され、その境界を越えることは許されないとされる音楽言説上の問題である。もちろんこれは筆者の造語である。だが、吉松隆の楽壇デビュー以来約45年の長きに渡って日本の現代音楽シーンにおいて暗黙の内に秘められていた現代音楽史上最大の問題であると、筆者が少年時代に吉松隆のCDを手にして以来ずっとくすぶり続けていた難問である。

吉松隆がどういう曲を書いてどのような言動をしてきたかについては詳しい説明はいらないだろう。「世紀末叙情主義(その後新世紀叙情主義になったかどうかは知らないが詮索する必要はないだろう)」を掲げ、シェーンベルクに始まった(と吉松が言う)無調音楽をひたすら嫌悪し、調性のある美しい音楽(皮肉ではない)を書き、クセナキスのコンサートのプログラムにクセナキスを罵倒する文章を寄稿する、それが吉松隆という作曲家の姿だ。自分の音楽を書いて音楽を語る際に常に仮想敵としての「前衛音楽」を措定し、自らを「前衛(に毒される)以前の音楽」家としてきた作曲家、とも言える。
しかし、この前衛/前衛以前の間の壁は吉松だけに見えるものだろうか?
筆者の見るところ、そうではない。吉松の言動に相応の妥当性と有用性があるからこそこの壁は共有されており、「前衛/前衛以前」と「前衛作曲家/吉松隆」という区別もまた可能なのだ。

「前衛」音楽に身を置く者も吉松の「前衛以前」の音楽を否定することによって自己を措定しているという事実は、例えば吉松の新アルバムを紹介する際の評論家の以下のような物言いに現れている。「吉松隆の《交響曲3番》や《タルカス》を収めた1枚は、吉松教の新たな守護神、原田慶太楼の思いが詰まっている」1)この一文にある「吉松教」「守護神」という言葉の内にある、吉松とその支持者を宗教的な、一種いかがわしいものと揶揄する感覚、揶揄せねば「前衛」派の自分の体面が保てないとする感覚は「前衛」音楽の「前衛以前」への差別と蔑視に由来しなくて何であろうか。前衛と前衛以前、吉松以外と吉松の間を隔てる壁を作る意図・観点がこのような物言いを可能にしている。
この、常に自分自身の周囲に自分を否定する敵を見出そうとする姿勢から導き出されるのは、フーコー的な規律訓練型権力の遍在化、音楽的相互常時監視システムの完成である。吉松にしても吉松以外にしても自分とは違う側のものへの否定を内面化し、自分をひたすら自分の側の上方から、かつ自分のいる平面上からの監視によって、その規律からはみ出ることなく、否定されざるものとして生きるしかない、不自由極まりない音楽シーンの完成である。

また別の視点から〈吉松隆問題〉を見てみよう。

以前にも筆者が論じた佐村河内守事件内において、佐村河内を熱心に推薦し、彼が偽作家であると判明した後でも作品を評価し続けたのが吉松隆であり2)、佐村河内のCD『HIROSHIMA』のブックレットに寄稿して3)、事件後も自分の言動についての反省・釈明ではなく、むしろその作品としての真価と享受の正しいあり方を説くという――ある意味評論家として筋の通った――姿勢を見せた人物4)が「吉松教」という単語を用いたその人であるという事実は何を意味しているのだろうか。
それは、「前衛/前衛以前」「吉松以外/吉松隆」という縄張り争いにおいて、敵は打倒すべきものでありながら、かつ存続し続けなければならないものであるという、相補共生的敵対関係が成り立っているということを意味する。お互いが否定しあいつつも、他方がいなければ一方も存続しえないというバランス関係が成立しているのだ。廃棄すべき領野に敵を囲い込むことにより自己の領域内部にいるものへ権力を張り巡らせるという権力的意思がここに見出される。

この〈否定〉が遍在化した現代音楽シーン、自分の音楽を打ち立てるのに常に何かを否定しなければならないシーン、自分の領域と敵の領域を見定めた上で物言いをするシーンは端的に言って廃墟でしかないと筆者は常々思っていた。――もちろん、それでも現代音楽シーンを追い続けてきたのは廃墟の中に咲く花々を見つけてきたからであるが――。そんな花々をがれきの楽園的コンクールとしての芥川作曲賞の中に見つけるのも自分の――いっそ使命感というべきか――に駆られて毎年訪れていた。その中で〈吉松隆問題〉を越え得る作品にこれまでも邂逅してきたのも事実である5)。だが、今年の芥川也寸志作曲賞に挙げられた作品は皆〈吉松隆問題〉を越えてさらにその先を見せてくれるに十分な可能性を持っていた。

波立裕矢『空を飛ぶために』(タイトルの絵文字は再現できなかったことをご了承願いたい)の、ドビュッシー『海』を追いつつも打楽器ソロを中軸として調性/無調の壁なく自由にたゆたう音楽に筆者は途轍もない可能性を聴いた。
石川健人『ブリコラ-じゅげむ』の調性/無調を飛び越えてアイヴズのように断片化された素材をコンポジションし、かつ華々しい音楽を作り出すその妙手に酔う。
河島昌史『e→eIV』はイントロからEの音で「ジャーン!」とトゥッティが鳴り響き、その後もブレることなくその「ジャーン!」という運命的なモチーフが繰り返される。そこに交響曲(これは吉松の大好きなジャンルだ)的なものを目指す意志を見た筆者は見誤っていようか?
山邊光二『Underscore』の少女マンガ的な感性、キラキラと光が散りばめられる甘い夢の音楽に吉松隆の感性とパラレルなものを感受した。

廃墟となったように見えた日本現代音楽シーン、〈吉松隆問題〉に深く閉ざされたその〈否定〉の極地、全てがゼロになった地点に至って軽やかに自らの音楽を歌い上げる世代が現れたのだ。否定するべき、否定されるべき何ものをも持たない、ただ肯定のみで音楽することができる世代が現れた、そのように今回の芥川也寸志作曲賞で演奏された作品を聴いて実感した。
来るべき者たちが来たのだ。自らの音楽の存在根拠をドグマや歴史的必然という超越的審級ではなく、あくまで自分の内にある〈自然〉に求めることができるたくましくも軽やかな世代が来たのだ。彼らが今後どのように日本現代音楽シーンを活性化させるか、じっくりと聴かせてもらいたい。

1)長木誠司、『ONTOMO MOOK レコード芸術2023年総集編』音楽之友社、2024年、50頁。
2)http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2014/02/s-02c6.html
http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2014/02/s-379a.html
http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2014/02/s-cf5e.html
http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2014/02/s-c3d0.html
http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2014/02/post-411c.html
3)CD『佐村河内守交響曲第1番《HIROSHIMA》』大友直人指揮、東京交響楽団、DENON、2011年、COCQ-84901、ブックレット。
4)長木誠司、「ディスク遊歩人 音盤街そぞろ歩き 65.「佐村河内の顛末」」『レコード芸術』音楽之友社、2014年5月号、76-80頁。
5)本誌に掲載された芥川也寸志作曲賞ノミネート作品でも
第33回(2023年度)の向井航『ダンシング・クィア』
第31回(2021年度)の原島拓也『寄せ木ファッション』
第30回(2020年度)の有吉佑仁郎『メリーゴーラウンド/オーケストラルサーキット』
第28回(2018年)の久保哲朗『ピポ-ッ-チュ~パッセージ、フィギュア、ファンファーレ~』
第27回(2017年)の向井航『極彩色―Prinsessegade,1440』
が〈吉松隆問題〉を越えた作品と呼び得るだろう。

(2024/9/15)

<Players and Pieces>
Conductor: Yoichi Sugiyama
New Japan Philharmonic
Percussion: Tomo Ando(*)

Commissioned Work of The 32th Competition of Yasushi Akutagawa Suntory Award for Music Composition
Yuya Haryu: THE STEPS TO FLY IN THE SKY(*)

Nominated Works for the 34th Competition of Yasushi Akutagawa Suntory Award for Music Composition
Kento Ishikawa: BRICOLA-JUGEMU
Masashi Kawashima: e→eIV
Koji Yamabe: Underscore

Open Screening (MC: Miyuki Shiraishi)
Jury: Tokuhide Niimi/ Misato Mochizuki/ Hiroyuki Yamamoto