第28回芥川作曲賞選考演奏会|齋藤俊夫

第28回芥川作曲賞選考演奏会

2018年8月26日 サントリーホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
写真提供:サントリーホール

<演奏>
指揮:杉山洋一
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
ヴァイオリン:山本佳輝(*)
バス・クラリネット:佐藤芳恵(*)
テューバ:田村優弥(*)
ピアノ:奥村志緒美(*)

<曲目>
第26回芥川作曲賞受賞記念サントリー芸術財団委嘱作品
渡辺裕紀子:『朝もやジャンクション』(2018、世界初演)

第28回芥川作曲賞候補作品
坂田直樹:『組み合わされた風景』オーケストラのための(2016-17)
岸野末利加:『シェーズ・オブ・オーカー』オーケストラのための(2017)
久保哲朗:『ピポ-ッ-チュ~パッセージ、フィギュア、ファンファーレ~』
ヴァイオリン、バス・クラリネット、テューバ、ピアノとオーケストラのための(2017)(*)

第28回芥川作曲賞選考および表彰
選考委員:鈴木純明、野平一郎、菱沼尚子
司会:伊東信宏

 

芥川也寸志の功績を記念して創設された芥川作曲賞、今年の第28回は作品・演奏ともに質の高い選考会であったが、筆者には大きな不満も残った。

第26回芥川作曲賞受賞記念の委嘱作品、渡辺裕紀子『朝もやジャンクション』、オーケストラによって「ふわぁああああ」と、おぼろな、まさに「朝もや」のような音響が立ち昇ったのにまず引き込まれた。どうやればこのような「ふわふわ」とした半透明で非実体的な「お化け」のような音が組織的に出せるのか、作曲者と指揮者・演奏者に尋ねたくなる現代音楽の魔術的技法である。この「ふわふわのもや」の中から、また外から、「がっしり」とした不透明で実体を持った音が現れ、過ぎ去っていく。我々の日常生活の中で聴こえてくる音を切り取ったようで、どこか異質な「エジプトの街の音風景」(プログラムの作曲者コメントより)を想像させる音楽。作曲家が自分の音のイメージをしっかりと自覚し、それを指揮者・演奏者が的確に現すことに成功していた。

以下の3作品が今回の芥川作曲賞候補作品である。

坂田直樹『組み合わされた風景』、筆者は2017年度武満作曲賞本選における初演N響ミュージック・トゥモロー2018における再演を聴いており、これが3度目に聴く演奏だったのであるが、おそらく今回がこの3回のうちで最高の演奏であった。
打楽器をこする音や、弦楽器のハーモニクス、管楽器に息を吹き込む音のような噪音を多用しながら、その噪音が音楽として構築され、アンサンブルしている。その噪音が静まっても鬱勃としたエネルギーが蓄積され、やがて色彩豊かなフォルテシモ、さらに轟音として放出される。この噪音と静寂と轟音の波が幾重にも押し寄せ、積み重なるのに、塗りつぶされることがない。指揮者・杉山洋一の読譜能力、新日フィルの演奏の正確さは、さすがと言うべきか。そして坂田の音色・音響の想像力とその論理的構築力も、さすがと言うしかない。

岸野末利加『シェーズ・オブ・オーカー』、オーカーとは天然の酸化鉄の顔料「黄土」であり、シェーズとは作曲者の言葉では「陰影」を表す。
坂田作品の噪音とは対照的な澄んだ音が積み重なり、やがて静寂の中に崩れ去っていき、静寂の中からまた違う音が積み上がっていき、崩れ去り、時には荒ぶり、また崩れ去り……という音楽の構造を聴いて、少々筆者は気になる既視感(既聴感?)を感じた。先の坂田作品と一瞬一瞬における音色・音響こそ違うものの、通時的な構造、音色へのフェティッシュな感覚が非常に似ていたのである。ただ、似ているがゆえに、坂田と同じ物指しで作品を計ることができ、そうなると論理的構築力において坂田に一歩劣るのは否めないように感じてしまった。音の色彩感覚は素晴らしいのだが、それを構築することに成功していないように思えたのである。

この既視感、つまり坂田は噪音による岸野であり、岸野は澄んだ音による坂田ではないか、という感覚は筆者の中でわだかまりとして残った。

久保哲朗『ピポ-ッ-チュ』、オーケストラの前にヴァイオリン、バスクラリネット、テューバ、ピアノのソリストグループ(テューバ以外は電気的に増幅した音をスピーカーから出していた)、4人のヴァイオリン奏者をバンダとしてホールの奥(サントリーホールではパイプオルガンの席)に配置したことはあまり成功していたとは思えない。ソリストグループがソリストとして活躍する場面はわかったのだが、バンダは曲のどこで何をしていたのか筆者にはほとんどわからなかった。
また、楽想の切り替わりがあまりにも多く、また早く、聴いていて追いつけなかったのも事実である。ポリリズムが吹き荒れたり、ヴァイオリンソロ、バスクラリネットソロ、ピアノソロが早いパッセージを、テューバソロが鯨のようにゆったりとした旋律(?)を順番に奏で、そして4人によるアンサンブルが現れたり、ミニマル・ミュージックのような同音連打・反復楽句が現れたり、ハリウッドかディズニーかと思わせられるような楽想が現れたり、と、作曲者の頭の中にある音楽を全て盛って詰め込んだようなカオスな構造の音楽だったのである。
だが、これを「若書き」として切って捨てることができないのもまた事実である。先の筆者の「わだかまり」、坂田と岸野が互いに似ているということは、この2人の「音楽像」が似ているということであり、さらにこの音楽像が「既にある現代音楽像」をなぞっていたということではないだろうか。それに対して、久保の音楽は完成度、論理構築性こそ低いものの、「まだ聴いたことのないもの」であることにおいて非常に独創性、可能性を持っている、そう筆者は評価した。

そして鈴木純明、野平一郎、菱沼尚子による選考の結果、坂田直樹が第28回芥川作曲賞を受賞した。これで坂田の本作品は武満・尾高・芥川賞の3冠である。

しかし、この選考過程は筆者には非常に不服の多いものであった。選考委員が各作品についてほぼ絶賛の感想のみのコメントをおよそ1時間半連ね、肝心の選考では数分でそれぞれの価値判断を戦わせることなく多数決を取り、坂田2対久保1となり、久保を推した鈴木があっさり退いて授賞作が決まったのは納得できない。
どの作品がどのように「清新で、豊かな将来性を内包する作品」と認められるのかの議論を交わし、その上で1つの作品を選ばねば、なんのために作曲家3人による公開「討論」の形を取っているのかわからない。作曲家ならずとも、人はそれぞれ自らの音楽観を持っているものであり、それを言葉によって共有し、比較検討し、評価する、その場こそがこの芥川作曲賞の選考会ではないのか。現代音楽界における「言葉」の欠如を見せつけられたようで、苦い気持ちを抱えて帰路についた。

関連レビュー:第27回芥川作曲賞選考演奏会

(2018/9/15)