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湯浅譲二の肖像|齋藤俊夫

湯浅譲二の肖像
The Portrait of Joji Yuasa

2022年7月9日 水戸芸術館コンサートホールATM
2022/7/9 Art Tower Mito Concert Hall ATM
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 田澤 純/写真提供:水戸芸術館

<作品・演奏>        →foreign language
(全て湯浅譲二作品)
『ホワイト・ノイズによるイコン』電子音楽(1967)
  エレクトロニクス:磯部英彬
『相即相入』2つのフルートのための(1963)
  フルート:木ノ脇道元、内山貴博
『内触覚的宇宙II―トランスフィギュレーション』ピアノのための(1986)
  ピアノ:高橋アキ
『ソリテュード・イン・メモリアム T.T.』ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための(1997)
  ヴァイオリン:尾池亜美、チェロ:山澤慧、ピアノ:高橋アキ
『UPICによる始源への眼差』テープ音楽(1991)
  エレクトロニクス:磯部英彬
『「Do you love me?」から「I.私は夢を見た」「II.愛は似る 降りくる雪の…」』ソプラノのための(2002)
  ソプラノ:工藤あかね
『序破急』5人(フルート、ヴァイオリン、チェロ、打楽器、ピアノ)のための(1994-96)
  指揮:藤本高輝、フルート:木ノ脇道元、ヴァイオリン:尾池亜美、チェロ:山澤慧、打楽器:安江佐和子、ピアノ:高橋アキ
(アンコール)
『おやすみなさい』
  ソプラノ:工藤あかね、ピアノ:高橋アキ

おはなし:湯浅譲二
ナビゲーター:片山杜秀

 

湯浅譲二作品を生演奏で聴く、という体験からは儀式に立ち会うというか、峨々たる山脈を仰ぎ見るかのような厳粛な心が自ずからこみ上げてくる。彼の音楽に宿るコスモロジー、語義通り宇宙的スケールのそれを目前にして畏れを抱かない人間がいようか? 宇宙を目にし、かつその宇宙を共有できる、この音楽の喜ばしき魔法がこの批評にも少しでも宿っていれば嬉しいのだが……。

いきなり大本命、『ホワイト・ノイズによるイコン』で大宇宙の大星雲の中に放り込まれた。全てホワイト・ノイズなのに〈音高〉も〈音色〉もあり、それらが〈オーケストレーション〉され、さらに5トラック、25チャンネルで位置パラメータを変えて会場中を巡り巡るというこの奇跡。序盤からその精緻な構築性に圧倒されるが、何と言っても後半の「ドカーン!!」という横殴りの音からの、隕石が次から次へと360度から落ちてきて暴風が吹きすさぶかのような音響は……たまらない、そして筆舌に尽くし難い。

『相即相入』、チャンス・オペレーションによって構成され、2人のフルート奏者がお互いの音を聴き合い、さらに火花を散らして斬り合うがごとき緊張感に満ちた〈掛け合い〉を見せる。音高はセリエルに基づくらしいが、音楽の発想の基にある日本的な感性により、丁度能楽の囃子方の呼応に似た感覚を覚えた。

『内触覚的宇宙II―トランスフィギュレーション』、金剛石の打鍵とその余韻にじっと耳を澄ます。澄まさざるを得ない。息が苦しくなるほどに空気が張り詰める。だが、苦しさと同時に音楽=宇宙に触れているという喜びもまた感じる。弱音と強音、音のアタックと減衰など、全ての音のパラメータが完全に制御されねばたどり着けない音楽の高みに達していた。

『ソリテュード・イン・メモリアム T.T.』、T.T.とは湯浅の盟友・武満徹。ヴァイオリン、チェロ、ピアノが悲しみを表出するが、その悲しみは個人的悲しみを超えて神的あるいは宇宙的悲しみとでも言うべきもの。それぞれの楽器が何故人は生まれ、そして死なねばならないのか、という絶対的問いかけを人より上位のナニモノカに投げかける。特にヴァイオリンのソロには息を呑んだ。悲しみの上行音型が昇華を拒むように下行に転じての終曲に湯浅の強靭な意思を聴いた。

『UPICによる始源への眼差』、フルートのような音、ピッコロのような音、幽霊のような音、金属を叩くような音、ふわーっとした音、キラキラきらめく音、ブゥーンとした超低音、水の中の泡のようなブクブクした音、などなど、種々多様な音による一大合奏が巻き起こる。ランダムな要素、即興的に聴こえる要素は全く無くコンポジションされているが、『イコン』と比べるとそれぞれの音同士の繋がりはゆるやかで、空間をぶつかり合うことなくたゆたい、儚い感触。終盤には人声のコンクレートとおぼしき音が轟き渡るのだが、それもまた音の波の中に消えゆく。「日本も西洋もない、いわば、文明以前、音楽以前の世界を、人類の最も深いルーツに立つ音楽を、作り出そうと努めました」(プログラムノートより)。人類のルーツにこのような音楽が存在するならば、きっと人間とは祝福された存在なのだろう。

『「Do you love me?」から』、冒頭の発声から正直言って怖い。こんな人に「愛してる?」などと言われたら即逃げ出す。「I.私は夢を見た」の最終節は「私は死んだ」なのだが、では歌っているのは誰なのだ?「II.愛は似る 降りくる雪の…」、日本語と英語が混じった歌詞なのだが、英語部分が何故か陽気に歌われて、その陽気さが開けっ広げの狂気を感じさせる。この2曲目の歌詞はそんなに怖いものではないのだが、工藤の歌唱が尋常ではない。白無垢のドレスがまた怖い。湯浅譲二の音楽にこんなものがあったとは……。

プログラム最後は『序破急』、チェロが能の謡のようなメロディを奏で、ピアノの打鍵は能の大鼓の一打を思わせ、打楽器がきらめき、フルートが全体の音楽的ベクトルをまとめるという「序」の切り詰められた美。これまた能を思わせる強さと幽玄が同居し、5人が光と闇の両方を発する「破」。フルート→マリンバ→ヴァイオリン→ピアノ→チェロと楽器が増えて合流しながら高速で動き回るイントロから、5人が無窮動で駆け巡り、あっという間に終曲する「急」。湯浅自身のプログラムノートには「日本の伝統が保つ特異性を、とりたてて曲の内容的側面に反映させ曲を支える意図を持ってはいない」とあるのだが、筆者には湯浅の血肉となっている日本的感性が生き生きと現れていると思えた。

アンコールは工藤と高橋による『おやすみなさい』、全ての節が「おやすみなさい、(名詞)」の反復で書かれ、前半は哀しくやさしい短調、後半は温かい長調へと転調する。しみじみと音楽のヒューマニズムに身を委ねる。

宇宙に始まり、人間に終わる。いや、宇宙と人間とを対立する存在と見なすのは人間の狭量というものであろう。宇宙とは我々であり、我々とは宇宙である、そんな矛盾的かつ宇宙的かつ人間的な思考にまで至らしめられる素晴らしい演奏会であった。

(2022/8/15)

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<pieces & players>
(All pieces are composed by Joji Yuasa)
Icon on the Source of White Noise(1967)
 electronics: Hideaki Isobe
Interpenetration for 2 flutes(1963)
 flutes: Dogen Kinowaki, Takahiro Uchiyama
Cosmos Haptic II-Transfiguration-for piano(1986)
 piano: Aki Takahashi
Solitude in Memoriam T.T. for violin, violoncello and piano(1997)
 violin: Ami Oike, violoncello: Kei Yamazawa, piano: Aki Takahashi
Eye on Genesis for UPIC(1991)
 electronics: Hideaki Isobe
from “Do you love me?”for soprano. I. I saw a dream.II.Love is like the falling snow.
 soprano: Akane Kudo
JO HA KYU for 5 players
 conductor: Koki Fujimoto, flute: Dogen Kinowaki, violin: Ami Oike, violoncello: Kei Yamazawa, percussion: Sawako Yasue, piano: Aki Takahashi
(encore)
Good Night, Sleep Well
 soprano: Akane Kudo, piano: Aki Takahashi

Talk:Joji Yuasa
Navigator: Morihide Katayama