カデンツァ|音楽の未来って(4)続・楽譜を読むとは|丘山万里子
音楽の未来って (4)続・楽譜を読むとは
“Where does Music come from? What is Music? Where is Music going?”
“ D’où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?”
Text by 丘山万里子(Mariko Okayama)
すでに書いたが、私は本誌創刊前の10年ほどクラシックからやや離れた。舞い戻って「ええっ」と衝撃を受けたのは、2018年10月フォーレ四重奏団公開マスタークラスでの見聞だ。
フォーレ・メンバーの「問い」に曖昧微笑か顔を見合わせだんまりの受講生たちに唖然かつ音大まだこんな教育してるのか!と呆れたのだが、その根っこは「異文化受容」問題だ。
今日、音大が国と頭(あたま)突きあわせ、国際競争力あるグローバル人材育成への教育戦略を練るのはそれはそれで良かろう。敗戦後の桐朋子供のための音楽教室だって、国はどうでも、なんとか国際舞台へと民間人々知恵を絞っての早期音楽教育を一丸となって探求推進、ちゃんと実績を上げたわけだ。それが今の音楽界の大家重鎮を生んだのだし、その成功世代が退陣するにそろそろ「新たな戦略」に取っ掛かるのは別段不思議でない。
だが、私が考えたいと思う「異文化受容」は、そういうレベルの話でないことは前稿で述べた通り。つまり、日本の「文化リミックス力」であって、若く優秀な人材に豊富な海外経験を(世界トップレベルの大学やオーケストラでの学習など)もしくは教育交流云々の「国際化」的発想とは異なる。
例えばフォーレのvc氏が言った。
「ドイツ語は子音が多い、だから発語のテンションが大事、喉と胸。」(弦の話だ)
それを聴いた時、そりゃそうだと思う一方、いつになく深く考え込んだのだ。海外留学2、3年(もっと長くとも)でドイツ語子音、発語のテンション、そんなこと体得(頭じゃない)できるか? それを身につけなければ、私たちはブラームスを弾けない、楽しめないのか?
日本の某オケが海外公演で完璧演奏したのに客の反応が今ひとつで楽員うなだれた、との話を聞き、いつまでそんなこと繰り返す?「先生、これでよろしいでしょうか」的萎縮から脱するに何が足りない?私たちはベルリンフィルだのウィーンフィルだの聴いて、おお、さすが本場、など「常に大感激」するわけじゃないのだ。
と、我が思考がどんどん突っ走り出したのは、ゆえあってのこと。訪れる外来 クァルテットがその範を示してくれ目からウロコ、日本もなかなかのもんだ、いや、相当いいかも、になってきたのはここ1、2年、そういう具体が「文化リミックス力」の発見(私には、だ)につながったのであり、その逆ではない。だから私は個々のステージや演奏家にとても多くを教わり学んだ、とはっきり自覚する。その理解が正しいか間違っているか、そこらのおかしな日本礼賛と同列の誤解を生まないか、そんなことはわからない。いかに荒唐無稽だろうと、現時点での私見をここに述べておく。
外来クァルテットに目からウロコの前に、まず、私の突っ走りの契機となった伊藤恵pfリサイタル(2019/4/29)に触れる。
評は書かなかったがツイートはした。私はデビュー時からこの人の演奏はなんだか好きで、折にふれ足を運ぶ。曲目は前半ブラームス『 3つの間奏曲 op.117』、ベートーヴェン『 ピアノ・ソナタ第30番』、後半シューマン『予言の鳥~森の情景 op.82より』、細川俊夫『エチュードVI ピアノのためのー歌、リート』、ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第32番』。その『予言の鳥』からだ、私がハッとしたのは。白露草葉を転がるかの幻想風景、その秘めやかな美に続けすぐさま彼女は細川に滑り込む。単音・和音・アルペッジョ、間に挟まれるしじま、深海に沈む鐘の如き低音の響き、高音の硬質なきらめきが飛沫をあげる。最後、1音ぽつねんの余韻縹渺からそのまま紡ぎ出されるベートーヴェンの細流はやがて激流となって天へ駆けるのだが、そこに細川の静謐がときおりふっと宿るではないか(私はそう感じた)。ん、そういうことか?すると前半の2曲がまるで違って現前してくる。ああ、そういうことだったのか。
つまり、この一夜の流れの「核心」は細川にあった。この時私は、1983年ミュンヘン国際コンクール優勝のこのピアニストがただコンクール覇者に終わらぬ、ついに至った自分の音楽、日本人が西洋音楽を弾くことの「意味」その「唯一無二の美しさ深さ」その熟成を見た気がして、本当に深い感銘を受けたのだ。これだ、細川を経由することで、すべてを「私だけ」の音楽にまで昇華させた、ここに私たちの一つの「美の形」がある。それが彼女の「リミックス力」の結晶であった、と今、振り返って思うのだ。
彼女が長く細川の主催する武生国際音楽祭に参加・講師を務めると知り、改めて頷きもした。ふと、ピーター・ゼルキンと武満を想起したのは自然なことだろう。
細川を読譜・音にするに必要な感覚を、伊藤はシューマンに、ベートーヴェンに、ブラームスに働かせ、新たな息吹に満ちた作品世界を広げて見せた。
「楽譜を読む」ってこういうことではないか?
はい、ドイツ語の子音、発語のテンションは大事です。でも。
Maestosoの序奏から第1主題に行く間の下降和音連打音のくぐもりや左の低音のさざ波のさやさや、呼吸の緩やか休符の「間(ま)」や溜めにある独特は、細川を知る彼女が聴き取ったベートーヴェンの声で、それが彼女にとっての「真実」。
私は思い出す、ずっと昔、どこかの音楽アカデミーでの野島稔のレッスン、スコアを立てた彼は「うーん、ここはこうだよねえ、ああ、こうかな。」とスコアにへばりつき、生徒などそっちのけ。どんどん楽譜の中にのめり込んで行きどっぷりつかってついに姿なんか消えてしまった(くらい)。音を鳴らし聴き読み、鳴らし聴き読み、を延々延々続け、いつ果てるともない探求世界。あくびする生徒(もう1時間近い)を片隅に、没入あちら世界にいっちゃった野島にただただ私は感動したものだ。
「楽譜を読む」ってこういうことだろう。これも既に書いたことだが、野島は日本人が西洋音楽をやることに「そりゃあ僕らはどうしたって不利です。でも僕はいつでも音の生まれた最初の時のことを考える。西洋とか日本とかの枠以前の、人間が最初に声を出す、すごくプリミティブなところでの声。いつでもそこから音楽を発想して行くんですよね。」(忘れがたいコンサート|第3回ソビエト国際音楽祭 松村禎三「ピアノ協奏曲第2番」|丘山万里子)
伊藤の読みと野島の読みは「底の底」にまで達する読みで、ドイツ語云々を超える。
もう一つ、昔から漠然と感じていたのは日本人は現代ものは「すごくいい」。だいたいバルトーク以降、どんな楽器・編成であれ、生き生きと「わがもの」として弾く。例えば竹澤恭子のバルトークなど、デビュー時からそうだったが完全に「私のバルトーク」、30周年リサイタルでも凄まじい内燃パッション表面張力パンパン音楽を披露した。若手では郷古廉、山根一仁、北村朋幹らのキレ・熱。新進なら久末航の音感覚と身体能力もいい。名はいちいち挙げないが、とりわけウェーベルンはみな(こういうのを取り上げる人は)見事に弾きこなす。そうしていつも私は「これは禅美であるなあ」(緊迫をぬらす冷たい抒情)と感心、こういう演奏は私たちしかできないだろう、世界よ、彼らの演奏を聴いてみてよ、と思うのだ(禅美についてはまた)。
SQでまず挙げねばならないのは古豪モルゴーア。ショスタコーヴィチ、ベートーヴェン(中・後期)、バルトーク全曲演奏の一方でプログレッシブ・ロックに挑み、すでに還暦過ぎた面々が足踏み鳴らし頭振りの熱いステージを続け、毎回沸かせる。
なぜみんな、現代ものをもっと弾かないんだろう。客層を思えば仕方ない、をいつまで続けるのか?
さて、目からウロコの中堅若手外来クァルテット。
ベルチャは優秀外科医4名完璧オペ、アポロン・ミューザゲートは音符が細胞の分裂流動に見えているに違いない、との評を書き、ノトスは今ひとつピンとこず(選曲の問題?)、エベーヌで仏語の会話と魂の断崖絶壁に打ちのめされた。
彼らの「読み」の自由自在、思いっきりの良さと斬新アイデアに、自分の頭の固さ古さをガツン叩かれた。モーツァルトはやっぱり・・・とか、それベートーヴェンじゃなくない?とか、この思い込み・固定観念はどこから来るのか。批評家人生何十年の耳垢でしかないかもしれん、と。
むろん彼らの背後には厳然たる「伝統」があり、それは血なり肉(自然)であるのだが、一方彼らはそのくびきからどう逃れよう、にどれほどの労苦辛苦を費やしていようか。話を飛ばすなら、かのユヴァル・ノア・ハラリのベストセラー、どう未来を語ろうと背負い込んだ「デウス」から逃れられずにいるではないか。外来クァルテット渾身の大胆綱渡り、それぞれの勇猛登攀を眺めつつ、昨今の日本の若手室内楽に、登り始めたばかりであっても見える自分たちの景色を怯まず見せてほしいと思う気持ちが膨れるうち、気づき始めた。
彼ら、やってるじゃないか。果敢に攻めているではないか。
確信したのはウェールズSQのベートーヴェンを聴いて。
私はその演奏(フーガ)に、ガウディのサグラダファミリアでなくエローラ石窟群カイラーサナータ寺院(インド)の威容を見た。「つまり、土台から人が築いてゆく手法と、すでに在る自然(岩山)を削って姿を顕現させる手法との違い。」ウェールズはインド古代寺院など見たこともあるまい。けれど、いわば「引き算」の美がそこにあると私は思ったのだ。現代のごたまぜ雑食文化圏若者たちに、「日本」の伝統だか血肉だかのあるなし、はたまた何が自然だか、など私にはわからない。だが、そもそも前稿で触れたとおり、日本とはそういうごった煮文化圏、なんでも適宜リミックス、そこに独自の花を咲かせるそれが得意なのだ。彼らの表現にそれが顕現した(引き算の美)、そう思えたのは素敵なことではないか。そうして、向こうの人がこのベートーヴェンに、へえ、面白いかも、と一人でも思ってくれたら、すごく素敵なことではないか。
もちろん、私がインド寺院を想起したには、私固有の背景があり(『松村禎三論』を書くためにそこへ行った)それが引き算の美へと繋がったわけで、そういう享受が極めて特殊であろうことは承知している。ウェーベルンを「禅美」などいう胡散臭さも承知だが、それは稿を改めよう。
だが私は私もまた「先生、これでよろしいでしょうか」にとどまることを自覚、そうでない耳を持ち、書くことができれば、と願うようになった。むろんそんなことは演奏家同様、一人一人の批評家が一人一人の登攀を試みればいいだけの話だ。
楽譜が話しかける声を聴くに必要なのは、その時々の自分たちの肉体と心しかないのだし、奏でられた声を聞くに必要なものも、受け取る自分の肉体と心しかない。
心身の錬磨、錬磨、ただ錬磨。
かつて吉田秀和がシノーポリとの会話について語るに(古い、と言うなかれ)。
シノーポリが桐朋学生オケの新鮮な取り組み、偏見のなさを称賛「ヨーロッパの音楽言語は表現すべき内容をすべて言いつくしてしまったような気がする」と言ったのに対し、それは明治開国直前までの日本の美術・音楽も同じで(言いつくすまで発展しきっていた)、だからこそ西洋芸術に向かったのではないか、と口走りかけたという。
この文は「古いものは朽ち葉のように落ちるとしても、新しい芸術を興すことのむずかしいこと。」(1987年朝日新聞『音楽展望』)で終わる。
これを読んだ時、吉田は武満に「これだ!」と叫んだが、つまりは夢の西欧、パリの石畳から動かぬ人だ、と思った。それから何十年、自分はどうか。
音楽の持つ生命は、東西新旧のそんな幅尺で測れるものではあるまいと、10年余のやや流離後の今、私は思うのである。
同時に、自在に世界をリミックス、囚われなき若く(年齢ではない)新しい耳と評文の出現を乞う。
(2020/7/15)