ウェールズ弦楽四重奏団|丘山万里子
クァルテット・ウィークエンド2019~2020
ウェールズ弦楽四重奏団
ベートーヴェン・チクルス第1回
Quartet・Weekend 2019~2020
Verus String Quartet
Beethoven Zyklus I
2019年9月14日 第一生命ホール
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
写真提供:トリトンアーツ
<演奏> →foreign language
ウェールズ弦楽四重奏団
﨑谷直人/三原久遠(ヴァイオリン)
横溝耕一(ヴィオラ) 富岡廉太郎(チェロ)
<曲目>
ベートーヴェン:
弦楽四重奏曲 第6番 変ロ長調 Op.18-6
弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調 Op.130/133「大フーガ付」
2006年結成、30 代前半のウェールズ弦楽四重奏団、聴きたいと思いつつ機会を逸しており、ようやっと。ベートーヴェン・チクルス第1回だ。
6月にクスSQの、7月にエベーヌSQの『大フーガ付』を聴き、とりわけエベーヌにはうちのめされたのだが、ウェールズはまた別の独特さ、堂々たる自己主張だ。「他がどう弾こうと関係ない、自分たちはバーゼルで一緒に学んだ仲。ハーモニー一つでもお互いよくわかっている。」とのコメントをどこかで読み、ほう、と思ったのだが、なるほど4人揃って媚びない面構え。この自信、自恃は並のものでなく、日本の SQ新時代の尖兵ではないか。
前期6曲セットの最後に位置する『第6番』、最初の総奏一弓のはったり無き冴え冴え、響の緻密が生む明確な表情に筆者、思わず前傾する。そこから小躍りして跳躍音形が飛び出す。刻まれるリズムの小気味よさ、シャープだが尖りなく、弾んで旋律をくいくい浮かせてゆく。いかにもcon brioだ、若きベートーヴェンの。チェロとヴァイオリンの呼びかわしが絶妙。強弱のコントラストも嫌味なく、第2主題の長短色合いに瞬時の移ろいがかすめる。
第2楽章、弱奏に包まれ1vnの濃やかな歌。4声が揃った時のハーモニーの密やかさ、あるいは互いの間で交わされるそれぞれの語調、繊細極細ラインの絡み合いの美しさに感心。
一転、スケルツォはシンコペーションに最終拍スフォルツァンドが不思議な拍動を生む書法の独創を生き生きと表出、とりわけ素早い落下音型の滑らかとそれを受ける他声の呼吸には快感すら覚え、そこだけ繰り返し聴きたかったほど。
「La Malinconia」(憂鬱)との表題を持つ終楽章は深海に差し込むほのかな光のごときチェロの一節、ひたひた波間に揺れる微光(ハーモニーの揺曳)に突然の投石(総奏)といった静謐〜撹乱の序奏に息を凝らす。と、軽快舞曲へと身をひるがえすわけだ。と、また海に潜り(憂鬱)、また踊りだし(撹乱)の静謐〜撹乱別ヴァージョンを開陳、最後、深海から一気に海面までひとかきひと蹴り、洋上に身を躍らせキラリ陽に輝いた終尾は圧巻であった。
彼らの美質は何より細密なスコアの読みとそれを音にする技、加えて「音の収め方」の抜群のセンスで、つまりは楽句、楽節、文脈を細部と全体でどう収めるかを会得している感性知性。やたらに弓を振り上げ振り回す昨今の無意味な身振りとは無縁の、潔く清冽な四重奏世界を聴かせてくれた。
前半ですっかり筆者は彼らの力量に魅了されたゆえ、『大フーガ付』はさらなる期待に胸膨らんだのである。むろん、それに応えてあまりある演奏であった。
前述通り、エベーヌのただならなさの残影が筆者にはあった。が、響きの質量と重量(弓の圧)のバランスの見事さ(同質でありつつ個々の形質を保持、それが多重すなわち「一」にして「多」の響きとして立ち上がる)。忍び入る静謐とある種の崩落(下降音型)を行き来する序奏つきソナタの多彩な楽想を一つに撚り綯ってゆく流れをしかと捉える集中力。スケルツォ風プレストでのvnの微細な刻みを受ける3者の阿吽、弾みつつ一陣の風のごとく駈け去った。
第3楽章のPoco scherzoso、第4楽章Alla danza tedesca、両者とも時折肩をすくめる風の「抜け感」に若さが匂い立つ。とりわけドイツ舞曲で描かれる円弧が軽やか。
さてエベーヌで涙したCavatina、見えたのは当たり前だが全く別の景色。ここに至って筆者は彼らの独特の感性のなんたるかを漠然と意識し始める。
しんしんと降りつもる雪。寂寥。この若さで、だ。いや、人生の寂寥は老若にかかわりなく誰もの孤独のうちに降りつもる。筆者の脳裏をふとよぎったのは、江藤淳『漱石論』での言葉。
「ぼくら日本人の特質は、究極に於いてぼくらが彼らの神と無縁だという所にある。西欧人が“無限の永遠の沈黙”と向かいあった時、彼らの胸には、反射的にーーほとんど条件反射的にーー神若しくは神の追憶の観念が去来する。しかしぼくらの胸にはそのような性質のものが何も浮かばない。」
そうだ、エベーヌの背後には神のようなものが居たように思うが(『銀河鉄道の夜』の賛美歌を想起したように)、ここにそれは無い、ただ音もなくつもる雪、茫漠たる墨絵世界。
そうして決然たるフーガの刀一振りが来た。
この長大なフーガ構築、しかもほとんどガウディのサグラダファミリアを思わせる多様かつ多層多重多面の建築物(ストラヴィンスキーが「現代音楽」と呼んだこの大フーガ)を彼らはどう築きあげたか。
すでにカヴァティーナで墨絵世界に染まってしまった筆者には西欧の教会建築とは別物、
巨大な岩山に彫られたエローラ石窟群カイラーサナータ寺院(インド)の威容が見えたのだ。つまり、土台から人が築いてゆく手法と、すでに在る自然(岩山)を削って姿を顕現させる手法との違い。ウェールズの4人は、筆者には明らかに後者と見えた。
これ以上妄想をつのらせるのは控える。
だが、若き彼ら精鋭の振るう鑿(のみ)は天(神)を目指してのフーガでなく、自然から彫り出す空中回廊に思えたのは致し方ない。それをこそ、彼らの独特な知性感性と筆者は感受、その自恃の依って来る淵源へと思いを馳せたのだった。
自恃とは、自分自身の眼力を持ち、見えるところを描く筆と色とを持つことだ。
彼らには確かにそれがあり、このツィクルスで必ず彼ら自身のベートーヴェン像を彫り上げてくれることだろう。第2回は11月24日。
関連評:エベーヌ弦楽四重奏団 2019年日本公演|丘山万里子
(2019/10/15)
<Artists>
Verus String Quartet
Vn: Sakiya Naoto, Mihara Hisao
Va: Yokomizo Koichi
Vc: Tomioka Rentaro
<Program>
Ludwig van Beethoven:
String Quartet No.6 in B flat major, Op.18-6
String Quartet No.13 in B flat major, Op.130 with Grosse Fuge Op.133