Menu

ヴァレア・サバドゥス & コンチェルト・ケルン|大河内文恵

ヴァレア・サバドゥス & コンチェルト・ケルン

2019年2月13日 紀尾井ホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi) 撮影:2/11@武蔵野市民文化会館小ホール

<演奏>
ヴァレア・サバドゥス(カウンターテナー)
コンチェルト・ケルン

<曲目>
ダッラーバコ:合奏協奏曲 ニ長調 Op.5-6
ヘンデル:歌劇「セルセ」HWV40より セルセのレチタティーヴォとアリア
    「優しく美しい葉」~「かつて木陰ほど(オンブラ・マイ・フ)」
ジャコメッリ:歌劇「シリアのアドリアーノ」より ファルナスペのアリア「愛、義務、尊敬」
ヴィヴァルディ:協奏曲 イ長調 RV158
ヘンデル:歌劇「リナルド」HWV7より リナルドのアリア「愛する妻、愛しい人よ」、「風よ、暴風よ、貸したまえ」

~休憩~

ヘンデル:オラトリオ「ソロモン」 HWV67より シンフォニア「シバの女王の到着」
カルダーラ:オラトリオ「アベルの死」より シンフォニア へ短調
     :オラトリオ「アベルの死」より アベルのアリア「私はその善き羊飼い」
ポルポラ:歌劇「アンジェリカ」より ティルシのアリア「私の足は遠ざかる」
ヴィヴァルディ:「調和の霊感」より 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 Op.3-11
    ヴァイオリン独奏:平崎真弓、イエルク・ブッシュハウス
ポルポラ:歌劇「ポリフェーモ」より アーチのアリア「至高のジョーヴェ」、「聞け、運命よ」

~アンコール~
カルロ・ブロスキ(ファリネッリ):誇り高きとき
越谷達之助:初恋(詩:石川啄木)
ヘンデル:歌劇「セルセ」第3幕より 「恐ろしい地獄の残酷な復讐の女神が」

 

昨年11月のファジョーリに続き、またもや人気カウンターテナーの初来日公演とあって、紀尾井ホールは開場前から熱気に包まれていた。と思っていたのは、古楽クラスタだけで、もしかしたらコンチェルト・ケルンお目当ての観客のほうが多かったのかもしれない。楽器を背負った若い人の姿もちらほらと見かけた。

コンチェルト・ケルンだけでのダッラーバコの合奏協奏曲の後、サバドゥスの登場。思っていたよりも小柄なことに驚く。いや背は高いのだが、華奢なのだ。オペラのDVDなどで他のカウンターテナーに比べて大柄な印象を持っていたので、意外な感じがした。

そして歌い始めたのは、「ラルゴ」としても知られるヘンデルの『オンブラ・マイフ』。この曲はモダンの歌手にもよく歌われるアリアで、最初の長く延ばす音をたっぷりと響かせ、そこからすぐに達する高音など聴かせどころの多いアリアである。サバドゥスはその前のレチタティーヴォから歌い始めた。いよいよアリアが始まると少し戸惑いが。耳になじんでいる朗々と響く声でのオンブラ・マイフにはなっていない。

この曲はどちらかというと声の響きをひけらかすようなタイプのアリアなのだが、サバドゥスにはそうしたところが全くないのだ。もしかしたら、調子があまり良くないのかと思い始める間もなく、彼の声に聞き惚れている自分がいた。モダンの歌手のようにビブラートをかけたり豊かな声量を誇るわけではないながら、まるでビロードのような、まろやかで深みがありつつ芯のしっかりした声。聴いていて幸せになれる声である。

つづくジャコメッリのアリアでは、前奏からもうその世界に入り込んでいた。この曲は音を転がすところが多いのだが、とくに高音での下降音型では、まるで鈴が転がっているかのような美しい転がり具合がたまらない。ダ・カーポで戻る直前の伴奏がなくなって一瞬ソロになるところで、ホールの隅から隅までサバドゥスの声だけで空間が満たされた瞬間、なんともいえない幸福感を感じた。

軽快なヴィヴァルディのコンチェルトに続き、いよいよヘンデルのリナルドだ!と思ったが、オーケストラの演奏が始まってもサバドゥスがいない。そして『愛しい妻』の例のせつない前奏が始まると同時に下手の扉が開いて、サバドゥスが沈痛な面持ちで入ってきた。悲痛なA部分と早口で訴えかけるB部分が終わり、ダ・カーポで前奏が戻ってきた時の、サバドゥスのせつない憂いを押し殺した表情に涙が出そうになった。曲の最後では、この曲の雰囲気をリュートがまとめあげていて見事。

「リナルド」の2曲は、ファジョーリのコンサートでも歌われたが、まったく様子が違った。とくに2曲目の「風よ」では、ファジョーリがぐいぐい音楽を引っ張り、ヴェニス・バロックがそれに必死についていく風情だったが、サバドゥスの場合には、彼自身がリードするのではなく、コンチェルト・ケルンとともに一緒になって1つのものを作り上げようとしている感じが見て取れた。ソリストとしてここにいるのではなく、アンサンブルの一人としているのであり、たまたまパートが歌手だっただけだとでも言いたげな感じなのである。それでも、この曲は盛り上がる曲なので、休憩前にふさわしかったと思う。

休憩後は『シバの女王』のシンフォニアから。弦楽器の冒頭の旋律が有名だが、オーボエ2本の演奏が素晴らしく、じつは主役は弦楽器群ではなく、そちらなのではないかと思った。

カルダーラは生前の知名度に反して演奏機会が多くないが、近年演奏されることが増えている作曲家の一人である。コンチェルト・ケルンがドイツを拠点とするオーケストラだからか、フーガ部分の巧みさはさすがである。アベルのアリアでは、やはりソロ部分に惹きつけられた。曲が終わった後、しばらく拍手をしたくない、このまま時が止まってくれないものかと思うような、曰く言い難い感情がわきあがった。

次のポルポラの『私の足は』は技巧的なアリアであるが、サバドゥスの歌い方は技巧をあまり感じさせない。その一方で、合いの手をつとめる平崎のヴァイオリンが光った。最後の器楽曲となったのは、ヴィヴァルディの協奏曲で、急病のため来日できなかったマルクス・ホフマンの代理のイエルク・ブッシュハウスと平崎がソロをつとめた。これが抜群の出来で、ソリスト二人が素晴らしいのはもちろんのこと、チェロ奏者の見事さに耳を奪われた。

プログラムの最後はポルポラの2曲。とくに『至高のジョーヴェ』は映画『カストラート』の劇中で使われ、よく知られるようになったアリアである。こういう切々と歌うアリアを歌わせると、せつなさを前面に押し出すのではなく、奥底から滲み出させるように歌えるサバドゥスは天下一品だなぁと思う。フィギュアスケートの採点のように、歌にも技術点と演技構成点があるのなら、彼の演技構成点は満点をつけたい。

最後の『聞け、運命よ』は広い音域をもち、非常に技巧的なアリアで、客席は最高潮に盛り上がった。止まない拍手の後、アンコールがさらに続く。最初はカルロ・ブロスキの曲で、サバドゥスの艶やかな声に、カストラートが今もいたとしたらこんな声だったのかもしれないと思わされた。出色だったのは、2曲目の『初恋』。歌詞は「初恋」以外ほとんど聞き取れなかったが、日本歌曲の雰囲気は充分出ていたし、何よりサバドゥスの声が日本歌曲にとても合っていることに驚いた。いつか他の日本歌曲も聴いてみたいと思った。最後はヘンデルの「セルセ」より『恐ろしい地獄の残酷な復讐の女神が』。圧巻の演奏に客席は大いに沸いた。

今回のツアーが、ファリネッリ(カルロ・ブロスキ)にフィーチャーしたプログラムが組まれていることが、紀尾井ホール制作のパンフレットの解説(那須田務氏)に記されていた。会場で販売されていたアレグロ・ミュージック制作のパンフレットでは解説が水谷彰良氏によるものとなっており、ファリネッリと台本作家メタスタージオに捧げたCD「親しい二人 Caro Gemello」の曲を中心に構成されていることがわかる。

このCDには一般には知名度が高くない作曲家による作品が多いために、ヘンデルが追加されてプログラムが組まれたものと推察される。結果として、一貫性がありつつもヴァラエティに富んだ選曲となり、コンサートの充実に繋がったものと思われる。「聞いたことのない曲が多かったけれど楽しめた」というお客さんも多かったのではないだろうか。

先ほど触れたように、サバドゥスは自分が前面に出て引っ張るというよりも、アンサンブルの一人としてステージに立っていた。それは、技巧よりも曲の世界観を優先させる姿勢とも共通している。ファジョーリの時にも感じたが、サバドゥスの演奏会を聴いて、彼らのオペラをぜひ日本で聞きたいと思った。いつかその日が来ることを願って。

(2019/3/15)